グルメなベビーと食べたい私

 遠い遠い記憶。生温いまどろみの中で私は猫のような泣き声を聞く。身体中が痛くてとにかく疲れて眠くないのに眠い。


『元気な――』

『よくがんばった――』


 ああ、意識が朦朧とする。うまく周りの声が聞こえない。代わりに機械がけたたましい音を立てる。ガチャガチャという不快な金属音が加わった。


『バイタルを確認し――!』

『おぎゃあ!』


 何だろう。私は手を伸ばそうとした。でも、目蓋がひどく重くて開かない。

 とにかく今は眠らせて。すごく疲れたの。

 足元から冷え込んでくる。まるで水の中にいるみたい。全部の音が不鮮明になって、鼓膜へ届かなくなる。



 ‥‥‥



 そして夢から覚めた。

 現実の私も水の中に浸かっている。ぼんやりしてたら目の前に魚影が見えて、一気にお腹がすく。


『今日は逃がさん!』


 耳には鋭い鳴き声に聞こえる。意味は頭の中で勝手に変換されているから気にしない。

 ヒレと尻尾を必死に動かして魚を追いかける。あいつはこの湖でいちばん大きな種類の魚だから、食いでとマナが多い。キュウキュウしている胃袋がこのままだと餓死するぞ、と訴えている。

 そんなさもしい死に方は嫌だ!

 スピードを早めて急カーブからの追い込み。一噛みしてマナを注入し弱らせたらこっちのもの。最後は口の中に放り込んでゆっくり味わう。

 うーん、おいしい。

 時々観る夢に登場した砂糖やみりんと一緒に食べたらもっとおいしいかも?

 まぁ、今の私はそんなこと出来ようもない。料理という習慣はニンゲン特有、私はしがないヘビモドキ。

 次の獲物を探しにまた底まで潜る。とにかく体力をつけて次の湖へいくんだ。ここは私には暑すぎる。

 それに。眼をこれでもかというくらい開きながら悩む。

 マナの栄養価を考えたらニンゲンが一番だ。喰らえば飢えの心配はない。でも、たまに見る夢で私はニンゲンの姿をしている。誕生してからそれとなく共食いになる気がして避けてきた。

 お陰で同族の中でも成長が遅く、ヘビモドキといじめられて逃げ出した。

 願わくばもう二度と同族と会いたくない。

 そうこう考える間にもう一匹を食してほどほどにマナ袋が膨れた。

 よし、休もう。

 水底にとぐろを巻いた。表面近くまで昇ったあぶくが光を含みキラキラしている。

 一瞬、クラムボン、という言葉がよぎった。かぷかぷ笑ったよ。宮沢賢治。それ以上のことは思い出せない。


『かぷかぷ、かぷん』


 実際の音はグァフグァフ、グァフン。コレジャナイ感がある。

 まあいいや。猛烈な眠気が襲ってきたから寝よう。考える時間はいくらでもあるし。


 かぷかぷ、かぷかぷ、かぷかぷ、どぼん……どぼん?


 ウトウトしていたら起こされた。音源は上。変なモノが湖に入り込んだら縄張り争いに発展するし面倒だ。

 額の目で確かめたら敵対生物はいない。うん、生物はいないけど、何かが水に浮かんでいるぞ。

 マナの流れを読むと木箱のようなものだった。しかし、中身はマナが遮蔽されて分からない。え、どうしよう。これきっとニンゲンのゴミじゃん。こんなのと一緒にいたら、私、病死しない?


『よし、移動しよ』


 ぐっと水面まで上昇する。その時に自分の姿を変えていく。

 ひれは5本の指に、鱗は滑らかな皮膚に、そして尻尾は二つの足に。

 夢の記憶があるからか体の動かし方は分かる。こういう時は便利だ。

 そしてさぁ岸から這い上がって逃げようとした瞬間、湖から声が響いた。


「おぎゃあ!(死ぬー!!)」


 足がピタと止まる。

 これは、ニンゲンの赤子の声?

 振り返るとやはり木箱だった。さっきと違うのは、中身が把握できるようになったことか。

 空気と水じゃマナの流れが変わるからな……と冷静になった私の口からタラリと涎が落ちる。

 木箱が濃厚なマナを垂れ流している。

 湖面を操って岸まで箱を手繰りよせる。釘で打ち付けられた蓋をこじ開けた。


「おぎゃああ!?(化け物!?)」


 中には生後間もない赤子が顔をクシャリとさせている。肉付きの少ない両手両足と大きな頭。オクルミと花に包まれた姿に喉が鳴った。

 ご馳走だ。本能が空腹を満たせと叫んでくる。

 ああ、でも、それに抗うように頭にたくさんの赤子の映像が浮かぶ。

 可愛らしく守らねばならぬ存在だ。絶対に食べちゃだめな――食べたい。駄目だ、食べちゃ駄目だ。

 混乱した私は赤子を抱えて走り出す。そうだ、誰かに預けてしまえばいいんだ。

 そうして闇雲に進んだ結果、一人のニンゲンを発見し叫んだ。


「あたちをとめてぇ!」

「おぎゃあ!(ヘルプミー!)」


 勢い余って頭から突っ込んだ。ボフンと受け止められた私と赤子は仲良く目を回す。

 ぴよぴよぴよ。ひよこが回るっていうのかな、こういう時。

 相手は大柄な男だった。傷のある頬をかきながら困った表情をしている。この男もマナがおいしそう……だらしなくなる口を閉じた。


「お嬢ちゃんどうしたんだ」

「あかちゃん、食べそ!」

「待てって、落ち着け、な?」


 私が先程までの事情を説明すると、男は赤子を抱き上げた。その隙に男の荷物のロープで自分を縛る。こうでもしないと食欲に負けそう。


「捨て子か? 乳母を探さねぇとな」

「そう、そうだから、あたちから逃げて!」

「はいはい、お嬢ちゃんも遊んでないでおうちに帰ろうな。おじさんが送るから」


 あれ?

 私がヘビモドキだと信じられてない?

 おかしいな。怖がらせるためにちゃんと話したのに。強そうじゃないから逃げると思ってた。


「で、お嬢ちゃん名前は何だ」

「え、えと、ヘビモドキ!」

「……自分の名前を言えない事情でもあるのか?」


 深刻な顔をされた。何故だ、ニンゲンの言語にちゃんと直したのがいけなかったか。慌てて「シェルトフシグ」と発音した。それでも真剣な表情は変わらない。


「長いからシェルトでいいか。ほれ、これ食うか?」


 一転して男は笑顔に変わる。同じ言葉なのに会話が通じない。ニンゲンってこんなに不気味な生き物だったっけ?

 おののく私の眼前に果物がぶら下がる。

 夢の記憶を手繰り寄せると洋梨に近い。が、色が真っ黒で腐ってるように見える。正直、まずそう。


「食べ方、知らない」


 拒否したら男はフライパンに果物を置いて一振りした。

 ポン、と軽い音が鳴って鮮やかな黄色のスライスが現れる。同時にお腹がギュルギュルと声高に叫ぶ。涎も出まくっている。

 どういう仕組みだろ。赤子もおいしそうだけど、このスライスもマナが豊富だ。

 気がついたらフライパンの中身は消えていた。口の周りがベトベト。気持ちも穏やかになった。


 泣きわめく赤子を高い高いする男は「デンと呼んでくれ」と言った。


「おぎゃあ! おぎゃあ!(おじさんこいつ化け物、僕たち食べられちゃうよ!)」

「泣き止まねぇな。もう少し頑張ってこいつをだっこしてくれ」

「だ、だから、あたち食べちゃうからっ、むり!」

「腹ごしらえも済んだろ、近くの村まで歩くぞ」


 逃げようにも赤子を引き取ってくれない。腰に巻かれたロープで引っ張られ、私は閑散とした人里まで連れていかれた。日はすっかり暮れて夜。

 残念ながら乳母になりそうな女はいない。ミルクを与えようにも家畜は潰してしまったばかりだそう。


「元気な子だから一日なら持つだろうけどねぇ。ここいらは最近おっかねぇドラゴンの根城になっちまって、商人も来ねぇんださ」


 以上、老婆の言葉である。

 ここに残るのは遠くまで避難できない者達。姥捨山という不穏な単語が浮かんでしまった。


「代替品はねぇのか?」

「大人が食べるのも苦労してんだ、無理さね」


 非情な現実だ。

 このまま赤子は死んでしまうのか。私が食べなくても関係なく。


 ――嫌だな。


 本能が満たされたからか、夢の風景が延々と繰り返される。

 大きなお腹をさするのは、自分だと思う。ずっと待ってた。ようやく出会えると信じて。信じて……でも、顔を合わせることはなかった。

 自分で育てたかった。


「おぎゃぁ(まだ死にたくないよ)」


 泣き声が弱まる赤子を見つめる。

 ニンゲンの母乳は水分と栄養があればいい、だったっけ。

 マナを手元に集めて、体内の水分と栄養をぶちこんだ。ニンゲンの赤子ならそこまで量はいらないだろう。

 小さな球体から指づたいに水が滴る。それを赤子の唇に添えた。


「おぎゃモグモグ……ぷはっ、おぎゃあ! おぎゃあ!(体が勝手にモグモグ……ぷはっ、洋梨のような甘さと滑らかで軽い舌触りが口の中で舞踏会を開いている! まさに甘露のマリアージュ、体に力が満ち溢れて元気が出てきたサイコー!)」


 初めはゆっくり、すぐに忙しなくあごを動かしだす。飲み終わった赤子は薄目を開けて泣き声を上げる。元気になって良かった。

 それにしてもこの赤子、やけに自我が強い。泣き声一つにたくさん意味が込められている。


 赤子が満足そうに寝入ったところでデンと老婆がじーっとこちらを凝視しているのに気づいた。

 そして急激な空腹に襲われ二人が肉の塊に化けて……我に返ったら、家の屋根と壁が吹き飛んでいた。そして老婆が悲鳴を上げて逃げ去る。

 デンはフライパンを振りかぶった姿勢で固まった。ギギギとぎこちない仕草で腕を下ろし、引きつった笑顔に変わる。


「シェルト、もう一度さっきのやつやってくれないか? 俺も味見したいんだ」


 疑問に思うも、胃袋もマナ袋もいつの間にか満タンになったからいいか。

 味見ならほんの小量。作った球体を差し出して飲んでもらう。


「あー、これはアンブロシア……何つーもん拾ったんだ俺」

「あんぶろしあ?」

「あ、ああ、とてもうまくておいしい飲み物のことだよ」


 曖昧な表現で濁され、首をかしげたところで再び赤子の声が鳴り響く。


「おぎゃあ!(分かったこいつに飯をたかって生き延びる!)」

「とりあえず、逃げるか」


 赤子を抱えた私をデンが抱える。横目に見た里は壊滅して誰もいなかった。


 これが、私とデン、そして食レポ赤子カイトとの逃走劇の始まりだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る