Eグループ

青春モノに紅を差す

 知らない花の香りと桜色に艷めく唇は、若者らしく春らしい。

 しかしスっと伸びた背筋には、高校生には見合わない気品を感じられる。


 幼馴染の日々鳴秀花は、そんな姿形だけじゃ語れない魅力に溢れてるけど。


 彼女は始業式の今日、一段と気合いが入っていた。

 ルンルンと弾む声の原因は、珍しく口紅を差していることとも関係あるのだろう。


 今日は元気いっぱい、朝から布団に飛び乗ってきた。

 あまりに早い目覚ましも、ニヤリと覗く八重歯の前では苦笑いで答えるしかない。

 普段なら品性など無い大声で起こされるし、マシな方ではあったが。


 さっさと準備を終わらせて、玄関先で腰を下ろし登校までの余暇を過ごす。


 去年も、毎日同じルーティン。

 主な原因は日の出と共に訪れる、秀花のモーニングコールのせいだ。


 別に嫌な時間ではない。

 おかげで冬頃から読んでいた本も、わずか残り数ページ。

 一ヶ月は読めていなかったせいで、内容はもうあやふやだけど。


「潤くんの小説、二年生になっても読み終わらないんだね」

「水を差すな。せっかくのキスシーンなんだ」

「え、あのヘタレの主人公、告白成功したの?」


 ヘタレとはなんと可哀想な呼ばれよう。

 大人はこういうもんというか、人間の多様さを身に染みていると、慎重にならざるを得ないんだ。

 

 そう、前世じゃずっと臆病に生きていた。

 アラサーで死んだ俺に転生の機会が与えられて、何の因果か似たような世界の同じ時代でもう一度生きている。


 けれども、もうリスクを避けていたせいか情熱は湿気てしまった。

 もっと大胆に生きられる、本当に高校生な幼馴染が羨ましい。


 とはいえ、潤いに満ちた人生を送る大人はごまんといる。


 年齢がどうこうではなく、俺が何者かという話が本質なのだろう。


「してない。失敗どころか告白も」

「付き合ってないのに、キスを?」


 秀花は、現代にしては数少ない純朴なお嬢さんだ。家柄もあるだろうけど。

 色恋の話に興味はあれど、生々しい話は取りこぼしてしまったのか。


 隣にいた俺が、綺麗事ばかり話していたせいでもありそうだ。

 彼女は自然と俺の近くで、離れる気配もなかったはず。


 まあ最近では、もう俺とは別の部活に入っていた。

 交流は広がっているのだから、近いうちに色々と知れるのだろう。

 

 もう昔の彼女ではなく、青春を謳歌している女子高生。

 変わっていくことは喜ばしいことで、否定はすべきでない。


 でも、アレは三月のこと。

 彼女はまだ、俺以外を知らないはずだ。


「俺たちもしたでしょ、キス。付き合ってないのに」


 からかい混じりに笑いかければ、隣に座る秀花はヘーゼルの瞳を丸くした。


「待って覚えてない。いつの話、それ!」

「四歳の7月6日、短冊書いてる時に秀花が」


『将来は潤くんと結婚する』


 舌っ足らずで紡がれた言葉と一緒に、記憶をもう一度想起する。

 幼女のプロポーズを本気にするほど愛に飢えてはいなかったけど、それほど強い好意を持たれていることは素直に受け入れていた。


「あの……ちなみになんだけど、どこに?」

「そんなに気になる?」


 ほのかに感じ取れる、焦りの気配。

 唾を飲み込んだのはファーストキスかどうかを気にしている印か。


「別に、ちょっと気になるだけだって」


 もちろん俺は忘れていない。覚えているに決まってる。


「ごめん、忘れた」

 

 誤魔化したように微笑むと、秀花は呆然と口をポカンと開けた。


 純潔を気にする乙女心と、ただの幼馴染に対する羞恥心。

 ふたつを有耶無耶にするには、多少の嘘も方便だろう。


 ――なんて、もっともらしい言い訳だ。

 

 一方的に期待した返答は訪れなかったことからか、彼女にじっとりとした目で睨まれる。

 口内で赤く濡れた舌が揺らめくも、結局何も発音されることはなく沈黙に落ち着いた。

 

 拗ねてしまって唇を尖らせる秀花に、構わず話しかける。


「彼氏とは順調?」


 唐突な話に彼女は戸惑いつつも、すぐ頬は緩んでいた。


「昨日も、夜まで通話したんだ」


 三月、秀花は告白した。

 知り合ったのは、たった一年前。

 茶道部の先輩なのだとか。


「どんな人なの、彼氏は」

「優しいよ。まあ変なとこもあるけど。

 知ってる上で付き合ったから大丈夫!」


 ピースサインで答える秀花の視線を、俺は合わせられない。

 

「今日は随分お洒落なのも?」


 貼り付けた笑みに、なんの価値があるのか。

 薄づきの化粧も、桜色に色づく唇も、甘い花の香りも。

 何もかもが彼のためだと、最初から分かっていた。

 

「うん、教えてもらったの。

 可愛くなったと思わない?」


 恋慕じゃない。なのに嫉妬は一丁前にできあがる。


 あの日のプロポーズで油断していたのだ。

 ずっと隣にいてくれる、好意を抱いてくれる存在なのだと。


 きっと俺が秀花と同じ時間を生きていれば、情熱を持って彼女に迫れたのだろう。

 ありきたりな略奪愛の皮を、堂々と被れていたのに。

 

 ――だから、これは


「ずっと前から可愛いよ」


 最後だ。

 キスはもう、今世で最後だと誓うから。


 ヘーゼルという名の偽色の奥。

 本当の、琥珀の瞳を支配した。

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