第25話 恋と知らない街
気がつくと居ても立っても居られなくなっていた。
だからわたしは家を飛び出した。
そうやって駅へと走る。
暗い街はいつもと違って見えた。
所々にある光がどこか寂しい雰囲気をまとっている。
そんな中を走るわたしとすれ違った人が不思議そうな視線を向けてくる。
でも気にならなかった。
わたしは愛華のことで頭がいっぱいでその他のことなんてどうでもよかった。
そうこうしているうちに駅に着いた。
わたしは構内へと続く階段を駆け降りて改札を抜ける。
乗る電車が来るまでには少し時間があって焦ったいような気持ちになった。
やがて愛華の住む街の方面へ向かう電車がやって来て乗り込む。
ドはつかないけど田舎よりの街だからだろうか。
それとも時間的なものか。
ロングシート式のその電車に乗っている人はそれほど多くない。
座席は十分に空いていて、わたしは扉近くの座席に腰を下ろした。
そうするとはやっていた気持ちが少しだけ落ち着く。
ふと近くに座っていたスーツ姿のお姉さんが訝しげにわたしを見ていることに気がつく。
主にわたしの足に視線が向けられているみたいだった。
そこでわたしはようやく気がつく。
わたしは今外で穿くには心許ない薄手のショートパンツを穿いていた。
生身の足が外気にさらされている。
それに上はゆったりめの半袖Tシャツ姿。
誰がどう見ても部屋着だとわかる服装だった。
できる限り足を閉じて少し前屈みになって足を隠そうとする。
そんなことしても大して隠せるわけはないけどなにもしないよりはマシだ。
足元に見えたわたしのパステルブルーのスニーカーがどこか浮いているように思えた。
今さらながらしまったなって思う。
いくら居ても立っても居られなかったからとは言え足辺りは着替えるべきだったかな。
さすがにこれはちょっとだけ恥ずかしいかも……。
手に持った荷物もあまりに少ない。
なにも考えずに手に取ったスマホ。
元々手にしていた願望ノートと年賀はがき一枚。
部屋着姿に少ない荷物。
そんな女子高校生を見たら誰だって訝しむ。
これが近所のコンビニならまだよかったかもしれない。
でも電車に乗るのは突発的な家出かなにかを疑われてもしかたないと思う。
……まあ突発的なのはあっているんだけど。
でも今さらどうすることもできない。
このまま行くしかないんだ。
わたしが向かっているのは愛華の住む家。
実は一度も行ったことがなかったりする。
住所は愛華から送られてきた年賀状でなんとかわかる。
逆に言えばそれだけが頼りで、あとはスマホで地図を見て探すしかない。
なんでそんなストーカー一歩手前みたいなことをしてまで愛華の家に行くのか。
その答えは簡単で。
気持ちがはやっていたのもたしかにある。
でもそれだけじゃない。
それ以外の方法だと愛華と会えない可能性があったから。
なにせあんなことがあったのだし……。
わたしみたいに部活をサボるかもしれない。
たぶん電話しても出ない。
たとえ出てくれたとしても会う約束はしてくれないと思う。
だったらもう直接愛華のいる場所に乗り込んだほうがいい。
そんな考えのもとだった。
実際には他にもっといい方法があったかもしれない。
でもはやった気持ちを抱えていてはそこまで考える余裕がなかった。
その結果恥ずかしい思いをしちゃったんだけども。
でももう恥ずかしいとかそういうことはどうでもいいのかも。
だってわたしは愛華にわたしの気持ちが届けばそれでいいから。
愛華のためなら、多少の恥ずかしい思いは些細なことなんだ。
そう思うとなんだかもう気にならない気がした。
夜の世界で電車は愛華の街へと向かっていく。
○
しばらくして愛華宅の最寄駅に着いた。
駅舎を出るとわたしの知らない景色が広がっていた。
あたりまえだ。
ここはわたしの生まれ育った街じゃなくて、愛華の生まれ育った街だから。
駅前のロータリーはそれほど大きくなくて、中央にはちょっとした植え込みがあった。
ロータリーの周りには居酒屋などが数件建っている。
スマホを取り出して、地図アプリに住所を打ち込んだ。
それを頼りに、わたしは夜道を歩いていく。
しばらくマンションやお店が建ち並ぶ道を歩いた。
その後線路を超えて、道なりに歩いて……。
段々と繁華街から遠ざかっている雰囲気が漂ってきて、周りが住宅街じみていく。
そうして十分くらい歩いたとき、路地裏みたいな道にたどり着く。
その道の左右には家がぎゅうぎゅうに並んでいた。
「……この辺のはずだけど」
並んでいる家の表札を見ながら進む。
少し歩くとちょっと開けた場所に出た。
その脇に二階建ての民家が建っていた。
木造建築って言うわけではないけど昭和っぽい家に見えた。
庭がちょっと広めで物干し台と家庭菜園用の小さな畑があった。
縁側がついた大きな窓の横には開きっぱなしのガレージがある。
中に車はなくて、代わりに農作用の道具とか運搬用の一輪車や台車とかが置かれていた。
物置きとして使われているみたいだった。
門にある表札を見てみれば【愛川】と表記されていた。
……見つけた。
愛華の家だ。
一階の見えるところに明かりは見えなかったけど二階に明かりが見えた。
あそこは愛華の部屋だろうか。
……さて愛華を呼び出さないと。
わたしは愛華の番号に電話をかけることにする。
……出ない気はするけど一応。
コール音が鳴り始める。
でも、思った通り数回のコール音の後で電話を切られた。
「……やっぱりダメか」
一応愛華にSNSでメッセージを送ってみる。
でもやっぱりどれだけ経っても既読すらつかなかった。
わたしは門の前から引き戸の玄関についた呼び鈴を見やる。
愛華はお祖母さんとの二人暮らしをしている。
こんな時間にそれもこんな格好で来てしまったんだ。
お祖母さんと出会したら変な友達と付き合うなって愛華が怒られちゃうかもしれない。
それはもう恥ずかしさ以前の問題だ。
だからできるだけ呼び鈴は鳴らしたくなかった。
……迷惑だと思うなら最初から来るなって話だけど来ちゃったからな。
それに今さら帰るのもどうかって思う。
たぶん愛華はわたしと会うのを避けたがっている。
もしかしたらなにかしら理由をつけて二学期まで部活を休んでしまうかもしれない。
二学期を待っていたらもう愛華との関係は壊れてしまう気がする。
今ここにしかチャンスはない気がする。
愛華はまさかわたしが家の前までくるとは思っていないはず。
そうなると愛華が呼び鈴に反応してくれたらなんとかなると思う。
……もう、そうするしかない。
後悔しないためならしのごの言わずにやるしかない。
お祖母さんが出てきたら誠心誠意謝ろう。
許してもらえるかはわからないけどちゃんと謝る。
許してもらえるまで何度頭を下げにきてもいい。
愛華との関係が壊れたらそれもできなくなるんだから。
意を決して、わたしは呼び鈴を鳴らした。
やがて引き戸の向こうに明かりがついた。
ガラガラと引き戸を開けて出てきたのは……。
目つきの悪い小さな女の子、愛華だった。
「……愛華」
驚いた顔で固まってしまっている愛華の名前を呼ぶ。
でも愛華はしばらくなにも言わなかったけど、やがてその顔から驚きが消えた。
目の色がスッと冷たい色に変わって、それから口を開いた。
「……なにしにきたの」
その声は目の色と同じく冷たくて、わたしと仲良くなる前の愛華を思い出す。
あの頃、愛華は壁を張るみたいに凍てついた雰囲気を纏っていた。
今ならあの頃の愛華の気持ちがわかる。
彼女の漫画に描いてあったから。
愛華と仲違いした後の方が彼女のことを知れたっていうのは、なんというか悲しい。
「これ……、あのとき愛華、落としていったよね」
そう言って、わたしは愛華が描いた漫画のノートを差し出す。
それを受け取った愛華は決まりが悪そうな顔で目を逸らした。
そんな愛華にわたしは頭を下げた。
「ごめん、愛華。そのノート、勝手に中を見ちゃったんだ」
「……そう。別にいい。……それだけ?」
「ううん……。愛華と話がしたくて」
「……あたしは話なんてしたくない」
「お願い愛華。わたしの話を聞いて」
「……帰って」
愛華が冷たく言う。
それから引き戸を閉めようとした。
わたしは咄嗟に足を玄関に入れて手で引き戸を掴んでいた。
閉められないように。
当然愛華は抵抗してくる。
でもわたしだって譲る気はない。
二人ともなにも言わなかった。
ただ閉めようとする愛華と開けようとするわたしで引き戸がガタガタ音を立てるだけだ。
愛華がなんで黙っているのかはわからない。
でもわたしも自分が黙っている理由がわからなかった。
そうやって抵抗しあってどれくらい経ったか。
痺れを切らしたみたいに。
「どうして放っておいてくれないのっ」
愛華が強く口にした。
その視線はわたしに向いていない。
「あたしはもう傷つきたくないっ」
痛いほどにわかる。
でもわたしは放さない。
「もう会いたくないっ」
……心が痛い。
でもわたしは放すわけにはいかないんだ。
わたしは愛華を失いたくないから。
「あたしは誰も傷つけたくないっ、お母さんみたいにっ。……涼子みたいにっ」
「わたしはもう愛華に傷つけられたよ!」
愛華の動きが止まる。
思わずっていうふうにゆっくりと顔を上げてわたしを見た。
わたしは静かに見つめ返す。
愛華の目は信じられないものを見たって言うみたいに見開かれていた。
そしてその瞳は揺れている。
「……わたしは、愛華に傷つけられたんだ。何度も傷つけられた」
愛華がわたしに傷つけられたっていうなら、間違いなくわたしだって……。
わたしだって愛華に傷つけられたんだ。
それで愛華を責めたいわけじゃない。
でもわたしは愛華に――。
そのとき愛華の家の奥から物音がした。
奥の方でふすまが開いて明かりが漏れ出る。
『愛ちゃん、どうかしたの?』
年老いた人の声が聞こえて、明かりの影に人の姿が映った。
愛華が振り返って奥に視線を向けてまたわたしを見て、また奥に視線向ける。
「……大丈夫。だからお祖母ちゃんは来なくていいよ」
『そう?』
「うん。……あたし、ついでにちょっと外に涼みに行くね」
『こんな時間に?』
「大丈夫だよ。庭に出るだけだから」
『……そう。なるべく早く戻ってくるんだよ』
「わかった」
そう言った愛華はサンダルを履くと玄関から出てきて引き戸を閉めた。
「……場所を変えるわよ」
わたしには目を向けずに歩きだした。
わたしはその後を静かについていく。
愛華はどこに向かっているんだろう。
土地勘のないわたしには予測ができない。
前を歩く愛華はなにも言ってくれない。
顔も見えないからどんな表情を浮かべているのかもわからない。
でもきっといい感情は抱いていないと思う。
でも話は聞いてくれるつもりになったんだって信じたい。
見上げた空には微かに星の煌めきが見える。
知らない街の知らない夜空に今さらになって不安みたいなものを感じた。
心許ない服装が余計にそう感じさせているんだろうか。
目の前に愛華がいるのにひとりぼっちみたいな気分だった。
両想いの二人とは思えない。
やっぱり心に隔たりがある。
でもわたしのやることは変わらない。
その心の隔たりを埋めるためにここに来た。
この微かな痛みこそ、わたしが愛華に伝えたいことだから。
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