第9話 恋とお弁当

「わたしに料理の作り方、教えて!」


 わたしはそう言って妹に頭を下げた。


「なに、急に。どういう風の吹き回し? 熱でもあるんじゃない?」


 明日香は本気で戸惑っているみたいだった。

 いやそんなに変なこと言ったかな。

 ……言ったかもしれない。


 料理のりの字も知らない食べ専のわたしが料理を教えてなんて……。

 熱を疑ってもしかたないのかもしれない。

 わたしは愛華とお弁当の作り合うことになったと明日香に説明した。

 それで明日香は納得したみたいだった。


「なるほどね。なにが起こったのかと思ったけど、そういうことなら納得」

「……教えてくれる?」

「いいよ。……でもお姉にも作れるものあるかな」

「ウインナー焼くとか? ……焦げるかもしれないけど」

「でもそれだけじゃダメでしょ?」

「たしかに」

「でもなー、簡単なのばっかだと味気ないし……」


 明日香は一通りうーんと考えて、それから口を開いた。


「……無難に卵焼きとかポテサラか」

「た、卵焼き? それって難しいんじゃあ……」

「まあお姉がサクッとできないほどには難しいよ。でも卵焼きって途中で巻き方に失敗してもある程度リカバリーできるからね」

「そうなの?」

「まあさすがに限度があるけど。それに黄色だから見栄えもいいしね。……それから和え物、かな。あとは小さい野菜いくつか入れればいいか。これだけあればいい感じでしょ」

「なるほど……」


 料理できない身としては不安が尽きないけど、ここは妹の指導を信じて頑張るしかない。


「ご指導お願いします、明日香先生」

「誰が先生だ。……まあ、やれるだけやってみるけどさ」


 明日香は腕を組んでわたしの顔を訝しむように見つめてきた。

 まあまあな期間姉妹をやっているからなんとなくなにを考えているのかはわかる。


 ……どうも不安なのはわたしだけじゃなかったみたい。

 これ、大丈夫かな。



   ○



 時は変わって翌々日の日曜日。

 明日香の部活が休みの今日、さっそく料理講座をすることになった。

 まず今回作る中で一番難易度が高そうな卵焼きから作ることに。


「じゃあまず私がお手本で作るから見てて」

「よろしくお願いします」


 まず明日香はボウルの中で卵を三つ割り入れる。

 そして砂糖と醤油を入れてかき混ぜた。

 次に長方形のフライパン――卵焼き器にサラダ油を入れて火にかける。

 油を広げて、しばらくしてから卵液を三分の一ほど流し入れて広げた。


「卵、全部入れないんだ」

「まあそうやって作る人もいるよ。でも分けてやるのが多いんじゃない? 知らんけど」

「なんで?」

「綺麗にするためと巻きやすくなるから、かな」

「へぇー……」


 卵がある程度固まってからシリコン製のヘラで支えながら巻く。

 そこで空いている場所にまた卵液を三分の一流し込んで最初の卵と一緒に巻く。

 最後に残りの卵液を入れて、もう一度巻いた。


 完成した卵焼きをお皿に移して包丁で切るとお皿ごとわたしに渡してきた。

 わたしはお皿を受け取って卵焼きをまじまじと見つめる。

 形も断面も綺麗だった。


 ここまでの工程もテキパキしていたし、さすがわたしの妹って感じだ。

 いやまあできる姉みたいな言い方だけど残念ながらわたしはできない姉なんだよね。


「じゃあ、お姉。やってみようか」

「え、もう!?」

「大丈夫、ちゃんと指示は出すから」


 そう言って明日香がボウルと菜箸をわたしに押し付けてきた。

 わたしはそれを受け取りながら戸惑う。

 一回見ただけで作れるわけなくない?

 でも明日香はぐいぐい背中を押してくる。


「で、でもさ料理は化学っていうでしょ? もうちょっと座学してからのほうがいいんじゃない?」

「それはお菓子作り。お菓子は分量とか正確のほうが上手く行くけど、料理はある程度感覚でやる部分があるから。……まあだから難しいんだけど」

「いやでも心の準備が」

「いいから」


 だ、大丈夫かな。すごく心配なんだけど。



   ○



 結論から言うとわたしの不安は的中した。


「……また失敗した」


 これで何回目の失敗だろう。

 卵焼きのつもりで作った、はずだった。

 でもそれはぐずぐずに崩れて真っ黒なスクランブルエッグになっていた。


「いやなんで」


 明日香が頭を抱えていた。

 わたしは泣きそうだった。いやもう泣いている。


「形が崩れたりさ、焦げすぎたりさ……。そういう失敗ならわかるよ? でもなんでスクランブルエッグ(炭)になるわけ? おかしいよ」

「(炭)って……」

 もっとこう、言い方ってものがあると思うんだ。

 たしかに炭かもしれないけどさ。


「だから言ったじゃん」


 わたしは明日香に文句を垂れる。


「予想以上の不器用さだったんだよ……」


 明日香は「どうしよう」と言って腕を組む。

 その視線は宙を睨んでいた。


「……いっそのことスクランブルエッグにする?」

「そっちのほうが簡単なの?」

「まあ現状勝手に出来上がってるから、あとは炭にならないようにすればいい。卵焼きよりはいけるかも」

「そっか……」

「まあ卵焼きのほうが褒めてもらえるとは思うけどね。……相手の人はお姉が料理ができないって知ってるんでしょ? やったじゃんって言ってくれるかもね」


 ……愛華に褒めてもらえる。

 それってすごく魅力的な状況だよね。

 きっと愛華に褒めてもらえたら嬉しくて飛び跳ねちゃうと思う。


 ……褒めてほしいな。

 こんな気持ちで物事に挑むのは軽薄っていうやつなのかもしれない。

 でもやっぱり好きな人には褒めてもらいたい。


 そう思うのはおかしいことだろうか。

 きっと普通のことだと思うんだ。

 だから。


「でもこのままだと成功するかわかんないしな……」

「……頑張りたい」

「え」


 明日香が思わずって感じで声を漏らした。

 そしてまじまじとわたしを見つめてくる。


「……本気?」

「……うん」


 わたしの返事に明日香は考え込むような素振りを見せた。

 それからしばらくして……。


「……わかった、やろう」


 明日香はそう言った。


「いいの? またいっぱい失敗するかもしれないよ?」

「大丈夫。失敗してもいいよ。全部お父に食べさせればいいんだから」

「え……、それは」

「娘の手料理だからお父さんなら失敗したものでも泣いて喜んでくれるって。何度失敗しても誰も不幸にならないから」

「……そっか。そう、かも」


 なんか姉妹二人で酷いことを言っているような気もするけど、たぶん気のせいだよね。

 でも明日香が背中を押してくれたのはすごく嬉しかった。

 明日香の心意気に報いるためにも絶対に成功させなきゃ。


「さ、お姉。覚悟はいい?」

「うんっ」



   ◯



 そして翌日の月曜日、その昼放課。

 愛華とお弁当を交換するときがやってきた。

 いつもの屋上、いつものベンチにわたしと愛華は並んで座っていた。


 それぞれが互いに向けて作ったお弁当を膝の上に乗せていら。

 でもわたしは緊張でいっぱいいっぱいだった。


 明日香に合格はもらえた。

 それならってわたしも一度は納得した。

 でも――。


「それじゃあ交換しましょ」

「……や、やっぱりやめない?」


 渡す直前になって怖くなってきた。

 もちろん味見はした。我ながらいい感じだって思えた。

 でもそれが愛華の口に合うかはわからないんだ。

 もしも美味しくないって言われたらって思うと急に渡したくなくなってきた。


「なに、直前になって」

「いや、なんていうか自信ないし……」

「ここまで来たんだから観念しなさいよ。……それに言ったでしょ。どんな出来でも気にしないって」

「でも……」


 きっと愛華が作ってくれたお弁当はすごく綺麗なんだろうな。

 それに比べたらわたしのなんて……。

 だから見せたくないんだ。


「も、もうさ。自分で作ったのは自分で食べない?」

「無理よ。あたし、涼子仕様で作ってきたから量が多いの。食べきれない」

「それは嬉しいけど、でもやっぱり……」

「もう。いいから渡して」

「あっ」


 そう言うと、ぱっと愛華がわたしの膝上のお弁当を奪い取ってしまった。

 代わりにわたしのために作ってくれたお弁当を押し付けてくる。

 そうなるとわたしは受け取りざるを得なくて、でもお弁当を持ったまま動けなかった。

 そんなわたしの目の前で愛華はわたしの作ったお弁当の包を開けていく。


「あ、あのね。愛華みたいに綺麗じゃないと思うし味も愛華の口に合うかわかんないしそれに――」

「いいから」


 わたしの言い訳じみた言葉を、でも愛華にピシャリと遮られてしまった。


「ご、ごめん……」


 愛華に怒られたくないからそれ以上は言わないように我慢した。

 でもすごく気になってハラハラと愛華を見てしまう。

 そして、愛華がついにお弁当の蓋を開けてしまった。


「ちゃんとできてるじゃない」

「そう、かな? ……で、でも卵焼きとか焦げてて断面も綺麗じゃない気がするし」

「そう? 言うほど見た目悪くないと思うけど。それにこれくらいの焼き目なら全然いい」

「……ホント?」


 愛華はこくりと頷いた。

 それから愛華は箸を手に取って卵焼きを摘んだ。そして口に運ぶ。

 何度かもぐもぐした後で愛華の喉がこくんと動いた。


「……それにうん。おいしい。初めてでこれは結構いいんじゃない? ……やればできるじゃない」

「それって……、お世辞?」

「あたしがお世辞言うと思う?」

「………………やった」


 さっきまで不安でしかたなかったのに。

 愛華が褒めてくれただけでその不安は一気に吹き飛んでいってしまった。

 嬉しさが込み上げてきて、ホントにもうなんていうか……、ホントに……。


「やった!」


 お弁当を膝の上に置いて、思わず両手を空にあげていた。


「テンションたっか……」

「だって嬉しいんだもん!」


 好きな人に褒められるってそういうものだと思う。

 どんなに些細なことで褒められたとしても相手が思うよりも数倍嬉しい。

 それはもうホントならもっとじっとしていられなくて意味もなく動き回りたい。


 どうしてかわからないけどそういうものなんだからしかたないんだ。

 でも好きな人の前ではできるだけみっともない姿を見せたくない。

 だからこれでも抑えている方なんだよ、ホントに。


 でもどうしたって抑えきれない嬉しさが漏れ出ちゃうものなんだよ。

 テンションが高くなっちゃうのくらい許してほしい。

 そんなわたしに愛華は呆れたように微笑んだ。


「涼子もあたしのお弁当食べてよ」


「うんっ」


 ウキウキで愛華がくれたお弁当を開ける。

 相変わらず綺麗なお弁当だった。

 それにすごく豪勢に見える。


「なんでこんなに豪勢なの?」

「そんなことないと思うけど……」

「え、そう?」


 わたしは改めて愛華が作ってくれたお弁当に視線を向ける。

 まず目を引いたのはオムライスだった。

 白いご飯の代わりにオムライスが入っているなんてすごいよ。


 おかずは五品。

 タコさんウインナー。鶏のからあげにブロッコリーとおかかの和え物。

 ミックスベジタブルとかぼちゃを混ぜてきゅうりで巻いているもの。

 それからわたしの一番好きなミニハンバーグ。


「やっぱり豪華だよ。だってお弁当にオムライスだよ?」

「中身はただのケチャップライスだし卵だって薄いのかぶしただけなんだけど。……もしかしてそれが入ってるから豪華ってこと?」

「うんっ、あとハンバーグ!」

「……もしかして涼子って単純?」

「え、なんて?」

「なんでもないわよ。……でもそんなふうに喜んでもらえたのなら作った甲斐があるわ」


 わたしはハンバーグを一口かじる。

 そのハンバーグは冷めているのにすごく美味しかった。

 愛華の手料理を食べられたってことも相まってすごく嬉しかった。


 お昼の時間が終わるまで自分でもわかるくらいテンションが上がりっぱなしで。

 愛華は隣でずっと微笑んでいた。

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