第10話 恋と距離
部活終わりのこと。
わたしはいつも通り愛華と並んで歩きながら下駄箱へと向かっていた。
そんなときにふと思った。
今なら夢を叶えられるんじゃないかって。
今わたしと愛華は恋人ごっこの最中だ。
それはつまり今までできなかったことができるかもしれないということ。
愛華は必要以上に近い関係があんまり得意じゃない。
だからなんとなくわたしは遠慮しているところがあった。
嫌われたくないし……。
たとえばそれは一緒に帰るっていう行為。
同じ街に帰ることはできなくても駅までなら一緒に帰れるかもって思ったことがある。
でも愛華はいつだって校門前でさよならをする。
愛華にとって一緒に帰る行為は必要以上に近い関係なのかもしれないと思っていた。
だから踏み込むことができなかった。
でも今なら取材の名目で希望が通るかもしれない。
そう思ったんだ。
だからわたしは――。
「愛華。今日は駅まで一緒に帰らない?」
愛華にそう聞いた。
愛華は訝しむみたいな目でわたしに視線を向けてきた。
「……でも涼子の家、反対方向でしょ?」
「そうだけど。恋人って一緒に下校したりするから、いい取材になると思うんだ」
「取材で……。たしかにそれなら一緒に帰ってもいいけど。でも涼子は帰り、大丈夫なの?」
「大丈夫! わたし、体力だけはあるから」
「そういうことじゃなくて面倒じゃないのかって話」
「それも大丈夫」
「そう……。ならいいけど」
「やったっ」
「なんでそんなにうれしそうなの」
「だって初めてじゃん、一緒に帰るの」
「たしかにそうだけど……。喜ぶようなこと?」
「うんっ」
わたしと愛華は下駄箱で靴を履き替えると校門に向かった。
校門前にたどり着いて……。
いつもならここで別れるけど今日は違う。
思い描いていた理想よりもスケールは小さいけど、愛華と下校ができるんだ。
それが嬉しくてテンションが上がっていた。
だから愛華と駅に向かって歩いている間、わたしばっかり喋っていた気がする。
でも愛華は嫌な顔一つしないで聞いてくれていた。
相槌だってしてくれていた。
そういうところがわたしは愛華の優しいところの一つだって思う。
ホントに居心地が良くて、やっぱりわたしは愛華が好きなんだなって実感した。
そうやって楽しい時間はあっという間に過ぎていって……。
気がついたら駅に着いてしまっていた。
もう終わりかって落ち込みかけたとき、腕時計を見ていた愛華が口を開いた。
「ちょっと電車まで時間ある」
「そうなの?」
愛華がこくりと頷いた。
「そういうとき、いつもどうしてるの?」
「普通にホームで待つけど」
「そっか……」
……ホントはまだ愛華と一緒にいたいんだよね。
慌てるほどの時間じゃないみたいし、どうにかもうちょっとだけ一緒にいられないかな。
……そうだ。
愛華と恋人ごっごをするってことで、一つやりたくて準備していたものがあったんだ。
学校でやろうと思って鞄に入れていたはず。
鞄に手を入れて確認すると、ちゃんと【それ】が入っていた。
「ねえ、愛華。時間あるなら取材でちょっとやりたいことがあるんだけど……。五、六分で終わるからさ」
「別に、いいけど……」
わたしは愛華をロータリー近くのベンチに連れていって並んで座る。
そして鞄から有線イヤホンと、それをスマホに繋げるための変換アダプターを取り出す。
少し古めの漫画にこういうシーンがあった。
有線イヤホン一つを二人で身を寄せ合って使い音楽を聴く。
それを見てずっと憧れていた。
好きな人とそれができたらきっと幸せだろうなって思ったんだ。
だから愛華と恋人ごっこを始めたときいつかやろうと思って準備していたんだ。
それを今やろうと思いたった。
「同じイヤホンを二人で使うの」
「……それ取材と関係あるの?」
「あるんだよ。今はあんまり見なくなったけど昔は恋愛系漫画でよく使われてたんだよ」
「そうなんだ……。でもそれってなにがいいの?」
「ほら二人でイヤホン使うってなるとある程度距離を詰めないと届かないでしょ」
「そうね」
「相手が気になる人だったらドキドキするんだよ」
「……そういうものなんだ」
こういうところを見ると愛華ってホントに恋愛のこと知らないんだね。
でも興味ないものってそういうものだよね。
わたしにもそういう経験がある。
わたしの友達である菜々は男性アイドルが好きでよくグループの中で話をする。
でもわたしは男性アイドルに興味がなくて話についていけないんだ。
詳しい人にとっては常識なことでも知らないとわからないものだ。
だから愛華の気持ちはなんとなくわかるかも。
「はい、愛華」
わたしは片方のイヤホンを愛華に渡す。
受け取った愛華は不思議そうな顔をしつつもイヤホンを耳にはめた。
それを見届けてからわたしもイヤホンをはめて音楽を再生する。
ホントはわたしの好きな恋愛ソングを一緒に聞くのが理想だった。
でもそれは遠慮しておいた。
愛華は苦手だろうし……。
それにしても、……わたしと愛華の距離がだいぶ近いな。
触れることはないけどそれでも今までの関係ではなかった距離だった。
そんな肩が触れるか触れないかの距離がすごく……。
なんていうか、その……。ドキドキする。
心臓の音が愛華に聞こえるんじゃないかって怖くてでも抑えることなんてできなかった。
そのくせ愛華の横顔ばかり見てしまう。
距離が近いことを喜んでいるわたしがいる。
愛華のそばにいられればそれでいいって思っていた。
でもそれ以上に距離が近づくってことは。
パーソナルスペースを超えたみたいな状況は。
こんなにもドキドキして、こんなにも嬉しいことなんて。
想像の中で知っているつもりになっていたけど、実際に経験してみると全然違う。
想像の何倍も感情がなんというか、大きく揺れ動くなんて知らなかった。
でも居心地の良い、心が落ち着くような幸せも感じる。
ずっとこのままでいたいって思った。
それぐらいの幸せが生まれていたんだ。
だからわたしはこの幸せがずっと――、続けばいいのに。
……なんて思った。
○
それからの学校生活は今までより何倍も輝いて見えた。
愛華と過ごすお昼ごはんのときの屋上も空中庭園みたいに華やいで見えた。
そこから見える青空もどこまでも澄み渡って見えた。
放課のちょっとしたやりとりも幸せで埋め尽くされた映画のワンシーンに思えた。
二人で並んで歩く駅への帰り道も灰色の道が色とりどりの花が咲き乱れている道みたい。
全部がはっきりと色づいていて目に見えるものも匂いも感触も違う気がした。
なんだか世界が生まれ変わったみたいな錯覚を覚えてしまうほどに。
それはどれだけ退屈な数学の授業でも変わらない。
終わった後に愛華と過ごす時間があるって思うと少しだけ頑張れた。
……わかっていたつもりだった。
好きな人とずっといられるということは幸せなんだって、わかっていたはずなんだ。
でもきっとわたしはそれを知らなかったんだ。
愛華と偽物でも恋人になれなかったのならホントの意味で知ることができなかったこと。
そんな幸せが今ここにある。
それがホントに嬉しくて毎日が楽しかった。
だからわたしは心の底から愛華に恋人ごっごを提案してよかったって、そう思うんだ。
○
そんな日々を過ごしてどれくらい経ったんだろうか。
ある日の夜のこと。
わたしはベッドの上で正座をしていた。
客観的に見たら『なんで?』となるけどこれには深い理由があるわけで。
それは遡ること一時間前。
わたしは愛華にとある提案をしようと思った。
わたしと愛華は恋人ごっご期間の最中なわけで、つまりそれは偽物でも恋人なわけで。
つまりその、恋人ならやるべきことがあるんですよね……。
それは世界がひっくり返ったとしてもきっと変わらないことで。
それはなんだと思う?
……わたしはわたしの脳内に問いかけた。
すると無邪気なわたしが脳内で元気よく手を上げる。
『そんなの簡単だよ!』と言う。
そう、これは簡単すぎる問題。
考えるまでもない。
その答えは恋人ごっごを提案したときにもうすでに愛華には言っている。
愛華はわたしに恋人ごっごで具体的になにをするのかって聞いた。
そしてわたしはこう答えた。
『で、でデート……とか、したり』
……端的に言うとついにそのときがやってきた。
正確にはわたしにデートを提案する覚悟ができたって言って方がいいかも。
つまりこれから愛華をデートに誘おう……、というわけ、なんだけど。
いざ愛華にメッセージを送ろうとしたところで、急に緊張してきた。
スマホでSNSの画面を開いまま指が動かなくなった。
わたしたちは恋人ごっこをしているわけだからデートに誘うのは普通のこと。
おかしなところなんてなにもない。普通で自然の流れ。
……そう思う。
思ってはいるんだけど、そのなんというか……。
無理。
いやだって無理じゃない?
もちろん愛華とはデートに行きたい。
誘いたい気持ちだってちゃんとあった。
でもさ、そうは言っても緊張しちゃうよそんなの。
もう緊張しすぎて無理ってなるくらい緊張しちゃってメッセージを送るどころじゃない。
だってここで下手に誘う言葉を何も考えずに送ってなにか失敗したらどうするの?
愛華にわたしの気持ちがバレるかもしれない。
変な言葉を使ってしまって愛華に嫌われるかもしれない。
そう思うとメッセージを送ることなんてできなかった。
なんとか心を落ち着かせようと好きな百合漫画を読んだり頬を叩いたり逆立ちしたりと。
いろいろやってみたんだけど……、一向に緊張がなくならなかった。
それどころか恋人ごっこでデートに誘うのはやっぱり変なのではと思い始めた。
いやだって偽物の恋人なんだよ? いいの?
でも愛華とデートに行きたい……。
たとえ変でもそれはたしか。
ならやっぱり誘わないといけないわけで……。
そんな欲望を叶えるためにはなんとしてでも心を落ち着かせなくちゃいけない。
姿勢は心に現れるって誰かが言っていた。
つまりちゃんとした姿勢なら心がピシッとして、落ち着いて緊張がなくなるかも。
そういう願いにも似た思いのもと、わたしは正座してみることにした。
こうしてベッドの上で正座している今に至る。
背中をピンと伸ばして膝に手をおく。
それから目を閉じて深呼吸をする。
しばらくそれを繰り返して……。
「……ダメだー!」
そのまま後ろに倒れて天井を見上げる。
……どうしよ、このままじゃ愛華をデートに誘えない。
なんでわたしはこんなにも弱いんだろう。
「強く、なりたい!」
少年漫画にありそうなセリフを口にしてみる。
そんなので強さが手に入ったら苦労はしないか。
でもこのままじゃホントに埒が明かないのはたしか。
どうにかしないといけない。
だってここで愛華をデートに誘えなかったら一生後悔するかもしれない。
いやかもじゃない、絶対に後悔する。
そもそも恋人ごっごはそうならないためのチャンスとして提案したことだ。
緊張なんかでそのチャンスを捨てるみたいなこと、わたしはしていいんだろうか。
「……いいわけ、ないよね」
うだうだやっていたってなににもならない。
……よしっ! やろう!
わたしは身体を起こして正座になる。
とはいったもののそんな簡単に緊張がやわらぐわけじゃない。
でもとりあえず手を動かすことにしたんだ。
スマホを手にとってSNSを立ち上げる。
愛華とのトークを開く。
チャット入力欄をタップして、わたしは文字を打ち初めた。
何度も文字を打っては消しては繰り返して、また一時間くらい経った。
そこでようやくなんとか打ち終えた。
文面はこうだ。
『デートに行きませんか』
正直に言って納得はしていない。
でもこれが一番無難な気がした。
「……よし、送ろう」
送信ボタンをタップしようとする。
……するんだけど、なかなかタップできない。
このまままた一時間消費するわけにもいかない。
なんとなく距離を開ければちょっとは平気になるかも。
そんなことを思い、スマホから目を離して……。
腕を伸ばして身体もできるだけ横に捻ってスマホを遠ざける。
……正直意味はなかったけど、こういうのは勢いが大切だから。
「えいっ」
勢いのまま送信ボタンをタップした。
その瞬間わたしはスマホを放るみたいにベッドに置いた。
スマホの前で正座して返信を待つ。
数秒か数分か。
数時間、はさすがにないと思う。
でも時間の感覚がおかしくなっていてどれくらい待ったかわからない。
しばらくして愛華からの返信がきた。
恐る恐るスマホの画面を覗くと……。
『いいけど。なんで敬語?』
そんな返信があった。
わたしは急いで返信を打ち込む。
『敬語は気にしないで。でもホントにいいの?』
『いいもなにも最初からそういう話だったでしょ?』
『そう、だけど……。まだ早かったりするかなって思って』
『まあそろそろいいんじゃない?』
『うん』
そこでわたしはデフォルメされたしろくまが飛び跳ねているスタンプを送った。
『それで、どこに行くの?』
『えっとね』
そうやってわたしと愛華はデート先を決めていった。
○
デート先が決まって、愛華とのやりとりを終えた。
わたしはベッドの上で抱きまくらを抱えて転がる。
意味もなくコロコロ転がって……。
「~~ッ」
声にならない声を上げて足をバタバタさせる。
『お姉、うるさい!』
隣の部屋にいる明日香に怒られて静かにする。
でも感情を抑えることができなかった。
抱きまくらをギュッと掴んで顔を押し付ける。
愛華とデートできるのが嬉しくて、その日はしばらく喜びを噛み締めて過ごした。
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