第二章

第8話 恋と月

 もしも心が月の形をしているなら、わたしの心はきっと少し欠けている。

 夜空に浮かぶ月を見ていると、時々そんなことを考えてしまうことがある。


 わたしは恋愛によって心に傷がついた。

 それはきっと癒えることがない。

 欠けたままの歪な心で、この先も生きていくんだ。


 あのときわたしが恋愛相談なんてしなければ、わたしの心は今もまん丸だったんだろうか。

 そう考えて他の、満月の心を持つ人を羨ましいって思う。

 そして寂しさを感じてしまう。


 誰かに傍にいてほしいと思って、でもそんな相手なんていなくて……。

 わたしの異質さを知らない親や妹に頼れるわけもない。


 だからその度にわたしは頭から布団にくるまって月が視界に入らないようにする。

 そして一人で寂しさを抱えて、ただ眠るときを待つ。


 この寂しさがなくなることなんてないって知っている。

 知っているから余計に寂しさを感じる。

 まるでひとりぼっちみたいな気分になるんだ。

 

 だからわたしは、一人で月を見上げることが嫌いだった。

 


   ○



 愛華との恋人ごっこが始まって一日目。

 そのお昼ごはんの時間のこと。

 愛華が一人で教室から出ようとしている様子を見つける。

 

 もう、約束したのに……。まったく愛華は。

 わたしは友達と一言二言話して席から立つ。

 そしてお弁当を持って愛華を追いかけた。

 廊下で声をかける。


「愛華」

「……涼子」

「一緒に食べよ」

「……本当にいいの?」

「え? なんで?」

「さっき友達といたでしょ」


 愛華が教室の方へと視線を向ける。

 わたしはそれで愛華が何を言いたいのかわかった。


「うん。でも約束したでしょ。お昼は一緒に食べようって」

「そうだけど……。だけど」

「だけど?」

「……なんでもない」

「じゃあいいじゃん」

「……はあ、まあいいや。……もうアンタの好きにして」


 愛華の言い方はそっけない気がした。

 それが少しだけ不満で、わたしは口を尖らせる。


「愛華はわたしと食べたくないの?」

「……どっちでもいい」

「えー、食べたいって言ってよ」

「嫌」

「なんで!?」

「……そういうこと言うとうるさくなるでしょ、アンタは」

「そんなことは……あるかも」


 残念ながらないとは言えなかった。

 きっと嬉しくてテンションが上がってしまうだろうから。

 愛華はわたしのことをよくわかっているな。

 それはちょっと嬉しいかも。


「でしょ? だから言ってあげない」

「いけずー」

「ほら行くならさっさと行くわよ」

「うん。……あ、ちょっと待って」

「なに?」

「ちょっと購買に行ってくるから先に行ってて」

「……わかった」


 そう言った愛華だったけど、なにか言いたそうな顔でわたしを見ていた。


「なに、愛華」

「お弁当あるのに購買行くんだなと思っただけ」

「? うん。なんで?」

「……なんでもないわよ。さっさと行きなさい」

「うん。じゃあまた後でね」


 わたしは愛華と別れて購買へと急いだ。

 購買でカツサンドを買って、愛華と食べるときのいつもの場所。

 屋上へと向かった。

 

 屋上に着くと、ベンチに座っていた愛華を見つけた。

 わたしが隣に座ると二人は昼食を食べ始める。


 この学校の屋上は開放されていて出入りは自由になっている。

 だからわたしたち以外にも何人かの生徒たちがいた。

 とはいえ中庭のほうが人気だからそれほど多くはないけど。


 愛華の膝に載せられたお弁当箱は小さい。

 いつもと同じお弁当箱。

 中身は彩りが意識されている綺麗な内容になっている。


「愛華のお弁当、相変わらず綺麗だね」

「そう?」

「なんかこう彩り豊か? というかなんか。……自分で作ってるんだよね」

「まあね」

「毎日大変じゃない?」

「もう慣れたよ」

「そっか。ホント、すごいね」

「好きでやってるところもあるし、別にすごくはないと思うけど」


 否定する愛華に、わたしは首を横に振る。


「そんなことないよ。わたしには無理だからさ」


 わたしはいつもお母さんか妹の明日香に作ってもらっている。

 その二人のこともいつもすごいなと尊敬していた。


「それにしてもさ、愛華。いつも思うけどそれで量足りるの?」


 愛華のお弁当は箱が小さいからか、中身もそれほど多くはなかった。

 それで足りるのかな?

 愛華に限らず、他の友達もそうだ。


 みんなやたらと小さなお弁当だったり、パン一個だけだったりと少ない昼食だ。

 わたしからしてみればすぐにお腹が減りそうな量なんだけど……。

 みんな少食ダイエットでもしているのかな。


 わたしはといえば、愛華よりも一回り大きいお弁当箱。

 そして購買で買った大きなカツサンド。

 お弁当だけじゃ足りないから、いつも追加で何かしら買っているんだよね。

 わたしは運動部ではないけど、このくらいは余裕で食べられちゃう。


「……普通に足りるけど」


 愛華は口の中で小動物のようにもぐもぐしていたものを飲み込んでから言った。

 わたしがその様子を見て可愛いなと思う。


 当の愛華はわたしの膝元に視線を向けてきた。

 そこにあるのはわたしのお弁当。

 そこからわたしへと視線を移してから、愛華が口を開いた。


「逆に涼子は多いわね。……食べ過ぎじゃない?」

「え、そう? いつもと変わらないけど」

「そのいつもがおかしいって言ってるの」

「そうかな……? 愛華が少なすぎるんだよ」


 わたしは愛華のお弁当を指差す。


「あたしはこれで充分なの」

「えー。……愛華はもっと食べた方がいいよ。おっきくなれないよ」

「……じゃあアンタはそれ以上でかくなるつもりなわけ?」

「わたしはこれで適量だから大丈夫」

「本気で言ってる? それが? 適量?……アンタそのうち横にでかくなるんじゃない?」

「それも大丈夫。わたしどれだけ食べても太らない体質だから」

「……それ、あんまり他で言わないほうがいいわよ」

「え、なんで?」

「そんないいスタイルしててそう言われるとなんというか、……すっごいムカつくから」

「そんなの理不尽じゃない?……わたしだって好きでこうなったわけじゃないのに」


 わたしがぶーぶー文句を言うと、愛華がふっと笑う。


「乙女心は難しいのよ」

「……おかしいな、わたしも乙女なんだけど」


 そういえば、とお弁当を見て思い出す。

 映画化もした百合漫画で恋人にお弁当を作ってあげるエピソードがあったな。

 ……愛華がわたしのためにお弁当を作ってくれたら嬉しいな。


「ねえ、愛華。わたしにお弁当作ってくれない?」

「……どうして?」

「ほら恋人ってそういうことするじゃん? 材料費は払うからさ。……どうかな?」

「……わかった。だけど材料費はいらない」

「そんなの悪いよ」

「いいの。……その代わり、アンタもあたしに作ってよ、お弁当」

「え……。む、無理だよ! さっきも言ったじゃん! ……やったことないし、不器用だし」

「やってみるだけやってみてよ。上手くいってもそうじゃなくてもちゃんと食べるから」


 それに、と愛華は続けた。


「片方が作るイベントがあるなら、互いに作り合うイベントもありそうでしょ?」

「それは……、たしかにそうかもしれないけど」


 でもやっぱり自信がない。

 愛華は失敗してもいいって言ってくれたけど、でも失敗したものを食べさせられない。

 というか食べさせたくない。

 でも。


「ね? 作ってみてよ」


 愛華がわたしの目を見つめて言った。

 そんなふうに言われたら、断れるわけがなかった。


「……わかったよ」


 こうして、わたしたちは互いにお弁当を作り合うことになった。

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