第9話 俺の部屋はゴミ屋敷じゃない(上)

 あれから数日後。俺の日常はつつがなく流れていき、志乃がこちらに帰ってきてから初めての週末を迎えようとしていた。ちなみに、まだ彼女がこちらに帰ってくることになった理由は聞き出せていない。

 この週末の間に少しくらいは情報を得られるとよいのだが。


「あ、風見くん、ちょっと待って」


 放課後――カバンを持ってそそくさと帰ろうとしていた俺は、廊下で志乃に呼び止められた。ある程度クラスメイトとの交流も活発になってきたため、彼女が俺のことを廊下で呼び止めるくらいならば、そこまで注目を集めなくなってきた。

 俺は振り返ると、あくまで出会って5日目くらいのクラスメイトを装いながら彼女に対応する。


「どうしたんですか」


「……な、なんか他人行儀すぎてちょっときもいかも」


「じゃあどうすりゃいいってんだよ」


「普通に喋っていいんじゃない? 周りの人もみんなタメ口だし」


「そうか。じゃあそうさせてもらう」


 っていうか、俺の敬語ってそんなにキモいのか。なんか地味にショック。


「それで、どうした」


「今日、帰りにドラッグストア寄ってもいい?」


「なんか欲しいものでもあるのか?」


「洗剤とかスポンジとか、いくつか買いたいものがあるから」


 志乃はそう言って、スマホの裏に張り付けてあるメモ用紙を見せる。さすが丁寧な暮らしを送っているだけある。すべて脳内でやりくりしている俺とは大違いだ。

 彼女は少しだけ距離を開けて俺のとなりに並ぶと、そのまま二人で昇降口へと向かう。ちなみに佳春は今日、知り合いから頼まれていたゲスト原稿の締め切りをすっかり忘れていたようで、放課のチャイムが鳴った瞬間に俺に謝りながら学校を飛び出していった。あんまり他人事ではないが、とても大変そうだった。


「あれ、そういえばこの前、日用品ならめちゃくちゃ買い込んでなかったか」


 繁華街へ向かうバスを待っている間、気になったことを志乃に問う。


「こないだ買ったのはシャンプーとかボディーソープかな。ひとり暮らしするならトイレ掃除用の洗剤とかお風呂掃除用の洗剤も買っておかないと」


「……あ~、たしかにそうだな」


「部屋に一本も常備してないみたいな返答の仕方だね」


「よく分かったな」


 俺が答えると、志乃はこれ見よがしにため息をついた。


「少なくとも、トイレとかお風呂は一か月に一回は掃除しないとダメだよ? 汚くなっちゃうし」


「まあ半年に一回くらいはやってるし、そもそも俺しか使わないしよくないか」


「わたし、そんな汚いトイレとかお風呂使いたくないんだけど」


「お前はそんな頻繁に俺の部屋来るつもりなのかよ」


 言うと、彼女ははっとしたような顔をして、少しだけ気まずそうに咳ばらいをする。そして露骨にバスの時刻表に視線を移した。


「……別に、そんな頻繁には行かないよ。ただ、もし何かで使うことになったときに嫌だなっていうだけ」


「その一瞬の『嫌だな』のために俺の貴重な創作時間を削れと?」


「いつも部屋でダラダラしてるだけじゃん」


「違うの! あれはインスピレーションが降ってくるのを待ってるだけなの!」


 創作をしているとき、アイデアが降ってくるタイミングは机に向かっているときよりも、ゲームをしたり寝転んだりしているときに浮かぶことが多い。だから、彼女の言う「ダラダラ」も、本当はれっきとした創作活動に含まれている……はずなのだ。

 ただ、そのことを普通の人は理解できないっていうだけで。いや、別にサボりを正当化したいとか、そういう邪な考えではなく。


「まあ、とにかく、せっかくドラッグストアに行くんだから、風見くんもなにか買いなよ。食器用洗剤とかなくなりかけてるよ?」


「なんでそんな俺の部屋の事情に詳しいんだよ」


「最初に部屋に上がったときにいろいろと見させてもらったから」


「怖すぎる……」


「あと、押入れの中に雑誌とか洋服とかいろいろ詰め込まれてたのも知ってるよ」


「見たのかよ!? 見るなよ!!」


 たぶん、あのとき見ることができたタイミングと言えば、俺が風呂に入っていた時だろう。蕩けたような目をしてたくせに、抜かりないな。


「明日、予定ないよね?」


「え? ああ、別にないけど」


「風見くんの部屋、掃除しに行くから」


「マジかよ志乃さん……」


「だって、ゴミ屋敷のとなりに住みたくないもん」


「ゴ……」


 彼女の言葉に肩を落としかけていたところ、ちょうど上河原工業団地行きのバスがやってきた。志乃は「ほら、行くよ?」と言って俺の背中を押しながら乗車する。

 なんで俺のまわりの女子はあんまりプライバシーとか人権とか気にしないタイプの人間しかいないのだろうか。なんでそんなやつしか集まってこないのだろうか。

 もっとこう、俺のやることなすこと全肯定してくれるような、超激甘な妹キャラが居てくれてもいいはずだ。

 そこらへん、どうなんですか?



 バスに揺られること10分。俺たちは町の繁華街にたどり着いた。こちらはこの前佳春と同人誌を買った場所よりも規模や人口密度は圧倒的に小さいが、その代わり喫茶店や古風なアクセサリーショップ、甘味処など風情のある店が多く立ち並んでいる。石畳の地面だったり、通りの一段低いところを流れる川に小舟が浮かんでいたりと、なかなか洒落た町並みだ。

 俺と志乃はショーケースに並べられた和菓子などに気を取られながら、交差点の一角に建っている複合施設へと入った。ここにドラッグストアがあるのだ。


「えーっと、買いたいものは……」


 と、志乃はスマホの裏に張り付けたメモ用紙を見ながら店内をまわりはじめる。かくいう俺は、ここに入ったことはおろかドラッグストアにもほとんど入ったことがなかったため、小鳥のように志乃の後をついていく。

 

「なんで志乃はここのドラッグストア知ってるんだ?」


 聞くと、彼女はトイレ用洗剤や詰め替え用のハンドソープ、綿棒、トイレットペーパーなどをカゴに放り込みながら答える。


「クラス委員の子に教えてもらったんだよ。ここら辺で暮らすなら知っておいた方がいいだろうって」


「ああ、もしかして鳥巣とりすか?」


「顔馴染みなの?」


「俺の数少ない友人のひとりだ」


「……けっこう、個性豊かな友人関係なんだね」


「まあな」


 たまに会話を挟みながら、ひたすら志乃の後を追いかける。道中でいつも使っている食器用洗剤を見つけたので手に取り、ついでに新しい歯ブラシも買っておく。


「……あの」


「どうした」


「いろいろと、買いにくいんだけど……」


「買えばいいだろ」


「気を使って目を逸らしたりとかしないの?」


「なんで目を逸らす必要があるんだ」


 と、志乃がまた大きなため息をついた。俺には何が言いたいんだかさっぱりわからない。というか、そこまでカゴの中のものを凝視しているわけでもないんだし、そんな敏感になることもないんじゃないのか。

 

「……とにかく、どっか適当にまわっててよ。買い物が終わったら合流ってことで」


「え? あ、ああ……」


 それだけ言うと、志乃は女性用品のコーナーへと足早に向かっていった。俺はひとまずカゴを持ってくると、さっき手に取ったもののほかに、トイレ用洗剤と浴槽用洗剤をカゴに入れる。

 バス停で話していた感じ、明日おこなわれるであろう俺の部屋大掃除大作戦はなにがあろうと決行されそうなので、必要な物品を買い込んでおくことにした。

 ――先に会計を済ませた俺がドラッグストアの入り口で待っていると、遅れて志乃もやってくる。


「お待たせ」


「ああ」


「意外と買ったね」


「大掃除には必要だろ?」


「まあ、それもそっか」


 俺のレジ袋の中を確認した志乃は、ぶつぶつ呟きながらバス停への道をたどる。耳を傾けた感じ、明日の掃除の大まかな作戦を練っているらしい。

 ……そこまでしないと立ち向かえないほどなのか、俺の部屋って。

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