第2話 太ってなんかない!
「カレーできたぞ」
あれから20分後。結局、俺と志乃はそこまで盛り上がった会話を交わすこともなく、ただひたすら鍋が煮えるのを待ち続けていた。
別に彼女にまったく興味がなくなってしまったわけではない。むしろ、興味に打ちのめされたからこそ、遠慮とか配慮とか、そういうコミュニケーションにおける障害物に阻まれてしまうというか。
とにかく……世界でいちばん長い20分間だった。
「わ、おいしそう」
こちらの気まずさなんて知る由もなさそうな晴れやかな笑顔を見せる志乃。たぶん彼女は遠慮なんてしているつもりもないのだろう。
ただひたすらに、あの頃の自分たちみたいに、やけにテンションが高くて、そのくせ喋ることがないときは、互いのことなんか気にせずに自分のことに集中する。
そういう気の置けない関係を、4年というブランクがありながらも維持することができている。変に相手のことを意識して、気を使い過ぎているのは俺だけだ。
「言っておくけど、わたしがつくるカレーは死ぬほど美味しいよ」
「市販のカレールー使ってるのにそんな美味しさが変わるもんなのか」
「風見くんはわかってないなぁ。どのカレールーをどのくらい混ぜるかによって風味とかコクが変わるんだよ。たとえばバー〇ントカレーのブロックを4個、ジャ〇カレーのブロックを2個とか」
「なるほど、そこで差別化するのか」
「そうそう、あとはハチミツ入れたり牛乳入れたりね」
事前に炊いておいたごはんとカレーを盛り付ける。志乃は盛り付けられた皿と食器を手早くテーブルに並べていく。まだこの部屋に来て1時間も経っていないのに、すでに勝手知ったる様子だった。
座布団に腰を下ろした志乃に遅れて、俺も反対側の座布団に座る。そして手を合わせて「いただきます」を言う。
志乃の親はこういうところに厳格な人だったから、彼女の家でごはんを食べさせてもらうときは必ず「いただきます」と「ごちそうさま」を言うようにしていた。
……まあ、彼女の両親の前じゃないにしても、言ったほうがいいのはわかってる。でも一人暮らしをしていると、ついつい言うのを忘れてしまいがちだ。
「ん、うまいな」
「えへへ、そうでしょ~。いつもは圧力鍋を使ってたんだけど、普通につくっても美味しいね」
俺はスプーンでカレーを口に運びながら、目の前の彼女を見やる。
こうして彼女と食卓を共にしたのは本当に久しぶりだ。あの頃は二人とも食べ盛りだったから、どっちかの家でから揚げとかハンバーグが出されると、いつも取り合いになっていた。そのせいで志乃の親に怒られたっけ。
高校生になった今では、さすがにカレーの取り合いをするようなことはなくなったものの、志乃の食べっぷりは4年経った今でも健在だった。
「……えと」
「ん?」
と、志乃がスプーンで口許を隠した。少し頬が赤らんでいる。
「あんまり食べてるとこまじまじと見られると、恥ずかしいんだけど……」
「えっ、あ、ああ。ごめん」
慌てて視線を外す。どうやら見入ってしまっていたらしい。たしかに自分が食べているところを他人にじーっと見つめられるのは気まずい以外の何物でもない。
「相変わらずよく食べるなって思って」
「まあ、食べることは好きだし。最近だと飲むのも好きだよ」
「前者はともかく後者は酒飲みしか言わんだろ」
「違うよぅ。自分でコーヒーとかミルクティーとかつくってるの」
「へえ、今度飲んでみたいな」
「気が向いたらわたしの部屋来てみてよ」
そう言って、志乃はあっという間にカレーを平らげると、第二回戦に入ろうとしていた。ちゃっかりご飯もよそおうとしている。4合くらい炊いておいたのだが、果たして足りるだろうか。
「そんなに食べたら太らないか」
「わたしの場合は栄養が全部胸にいってるから大丈夫」
そう言って、ぐいっと胸を張る志乃。それに合わせて彼女の着ているフリルシャツが控えめに張った。別にボタンが今にもはち切れそうとか、そういう気配は一切感じない。とても平和で安全な胸元だった。
「……思い込みでは?」
「すっごいひどいこと言うね!?」
「少なくとも栄養はまんべんなく身体に行き渡ってるみたいだな」
「遠回しに否定するのやめてよぅ……」
そう言って、志乃は脇腹とか二の腕をぷにぷにとつまんで見せた。とはいっても、志乃は昔からやせ型ではあるし、パッと見て太っているようには見えない。食べても肉が付きにくい体質なんだろう。
でも、彼女はすでにこんもりと盛ったカレーに視線を落としながら、心の中で壮絶な葛藤を繰り広げているようだった。彼女を無駄に心配させてしまったのはこちらなので、いちおうフォローはしておく。
「まあ、別に今日くらいはいいんじゃないか?」
「そう、だよね。別に今日くらいはいいよね!」
「ああ、好きなだけ食え……」
「……なんか、そこまで言われると逆に心配になってくるかも」
じゃあどうすりゃいいんだよ。
「でも、思いっきり盛っちゃったしなぁ。さすがに戻すわけにはいかないし……」
と、志乃はカレーが半分くらい減った俺の皿と自分の皿を交互に見比べて、合点がいったような顔をした。
「おい、なに勝手に納得してんだよ」
こいつがこのあと言うセリフの予想がついた気がする。
「ね、半分こしようよ」
「せっかく半量減らしたのにまたスタート地点に戻されるのかよ……」
「男の子なんだからもっと食べないと、ね?」
「あっ、ちょ、勝手に」
俺が制止する声も聞かず、志乃はさっきまで使っていたスプーンでカレーを次々と俺の皿に盛っていく。おかげで完食というゴールがさらに遠のいていく。なんていうか、ゴールポールに羽を着けられた配管工の気分だ。
「わたしの善意によって四分の一くらいにしといたから」
「そんな中途半端な分け方するくらいだったら全部食べろよ……」
「でも、こうすることでわたしが摂取するカロリーは四分の三になるからね」
そう言って、あらためて座布団に座りなおした志乃は、とても幸せそうにカレーを頬張った。本当に食べるのが好きみたいだ。
なんていうか、昔とあんまり変わっていなくてホッとした。最初に彼女の姿を見たときはあまりにも垢抜けていたせいか、正直言って少しビビっていた。でも、いまの彼女は完全に小学生だったころの彼女だ。愛想がよくて、ちょっと強引で、明るくて無邪気。そのことに俺は安堵をしてさえいた。
もし彼女が見た目も中身も変わってしまっていたらどうしよう、という俺の不安はまったくもって杞憂だったようだ。
「……また見てる」
「え?」
「そんなにわたしの食べるとこ見るの好きなの?」
「あ、いや、別にそういうわけじゃなくて……」
「それはそれでショックなんだけど」
「えぇ……」
年頃の女の子の扱い、難しすぎる。
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