俺の幼なじみは彼女であって妹ではない。
魂野風人
第1話 もはやあの頃の彼女ではない
ピンポーン。
普段は宅急便か出前の人しか押さないはずのインターホンが、何も予定がないはずの時間帯に鳴る。晩御飯の準備を進めていた俺は、ジャガイモの皮をむく手を止めて訝しげな視線を向ける。
もう午後7時だ。こんな時間に宅急便を頼んだ覚えはないし、いま料理をつくっているのだから出前を頼むはずもない。かといって、友人や顔見知りが訪ねてくるほど俺の交友関係は広くない。つまり、この場合考えられるのは大家かセールスのどちらかだろう。
前者はまったく身に覚えがないし、後者だったら居留守を使って終わりだ。とにかく外の様子を確認しないことには始まらない。そう思い、包丁を置いてタオルで手を拭くと、リビング脇のモニターからドア前の様子をうかがう。
すると、そこには。
「なっ……!?」
玄関前に立っていたのは、見目麗しい美少女だった。茶色がかった黒髪をボブカットに揃えており、フリルのついたシャツと足首を露出させたデニムパンツに身を包んでいる。都会という言葉をそのまま洋服にしたようなファッションだ。
残念ながら、俺の友人にこんなイケイケな少女はいない。しかし、透き通るような前髪の奥に隠れた、穏やかで控えめな瞳には十分すぎるほど見覚えがあった。
自分の目で見た光景が事実なのかを確かめるために、エプロンを着けたままであることも忘れて玄関へと向かう。そして、散らかりまくっていた自室の惨状を思い出し、雑誌や脱ぎ捨てた服などを押し入れにぶち込んでから、高鳴る心臓とともにドアを開けた。
「わっ」
真夏の静かな夜の空気が鼻腔をくすぐる。それとともに柑橘系の爽やかな香りが鼻を突いた。
目の前にたたずむ少女は、急なドアの開放に少しだけ背筋を震わせると、たちまち向日葵のような笑顔を向けた。
「久しぶり、風見くん」
「ああ、久しぶり……」
と、軽い挨拶を交わしそうになったところで頭を振る。
「いや、久しぶりなんてもんじゃないだろ。何年ぶりだよ」
「中学校3年間と、高校1年間あわせて4年ぶり?」
「もうそんなに経ったのか……」
「時間の流れは速いねぇ」
と、まるで昔を懐かしむおばあちゃんみたいな物言いをする。こういったふざけたやり取りも、俺にとっては懐かしく感じられた。
「それで、なんで急に帰ってきたんだ? 東京に住んでたはずだろ?」
「ちょっと、向こうでいろいろあって。帰ってきちゃった」
「いろいろってなんだよ」
「いろいろは、いろいろだよ。女の子の秘密を知りたがるのは無粋だよ?」
「今回のそれは女の子の秘密とはちょっと違うだろうが……」
ため息をついて、あたりを見渡す。時刻は午後7時。俺が住んでいるアパートの周辺は真っ暗だ。このあと彼女がどこに行くのかは知らないが、電灯の明かりしかない軒先で話すよりは、いったん彼女を家に上げたほうがいいだろう。
「入るか?」
「じゃあ、お邪魔しようかな」
志乃は「おじゃましまーす」と言って靴を脱いでフローリングの床を歩いていく。俺は彼女の後を追いかけながら、脳裏で先ほどの志乃の言葉について考えを巡らす。
いったいどういう事情で志乃は帰ってくることになったのか。それをもっと聞きたい。でも、彼女は明らかにそれを話したがっている様子ではなかった。まあ、強引に尋ねることでもないだろうし、しばらく時間を置いてから聞いてみよう。
「わ、ミニマリストの部屋みたいだね」
「そうか?」
ついさっきまでミニマリストとは対極にあるような部屋だったが。
「ソファベッド、テーブル、テレビ……なんか、スローライフ系のゲームの序盤の家みたい」
「なんだその独特すぎる例えは」
分からんでもないけど。
「あれ、さっきまで料理してたの?」
と、志乃の興味は今度はキッチンに向いたようだ。まな板に乗せられたままのにんじんや玉ねぎを物珍しそうに見ている。
「風見くんって料理できたんだ」
「一人暮らしだからな。自分でつくらなきゃメシは出てこない」
「コンビニでなんか買ったりしないの?」
「近くのコンビニここから20分かかるし……」
「あっ……」
そう言って、志乃は他人のトラウマを掘り返してしまったような瞳で俺のことを見つめてきた。
なんか、別に悲しくはないのに、悲しくなってくる。小腹が空いてもそう簡単にコンビニに行けないのが田舎暮らしの難点だ。
「え、えーっと、材料を見た感じ、カレーつくる予定だったんだよね? せっかくならわたしも手伝うよ」
「いいのか? こんなド田舎まで帰ってきたんだから疲れてるだろ」
「へーきへーき。わたしも料理つくるのは慣れてるから」
そう言った志乃は腕まくりをすると、しっかり手を洗ってからキッチンの前に立った。エプロンなどの典型的な小道具をつけているわけでもないのに、こうしてみると良妻感がハンパない。
いや、むしろこの良妻感はすでに誰かと付き合っているからこそ完成されたものなのかもしれない。そう思った俺は、それとなく声をかけてみることにした。
「なあ」
「ん?」
志乃は包丁を持ってじゃがいもを切り始めている。その手さばきを見るに、料理に慣れているという言葉は嘘ではないらしい。
「志乃って、もう彼氏とかいるのか?」
「ふふ、どっちだと思う?」
「まあ、居てもおかしくないんじゃないか」
「ふむふむ、その心は?」
「だって志乃って、顔も良いし頭もいいだろ? それでモテないわけがない」
小学校の頃からテストでは常に満点。中学でも全国模試で10位をキープするほどの頭脳の持ち主だ。おまけに高校は都内でも有数の進学校。
そんな頭の良さに加えて、志乃はこんなド田舎では持て余すくらいに可愛い。たぶん東京でも普通に渡り合えるくらいの美少女っぷりだ。いや、実際そうだったんだろう。いまの彼女を見ればわかる。
「え、えへへ。なんか、そうやって面と向かって言われると、照れるね」
横を見ると、志乃は静かに頬を赤らめていた。
「まあ、たしかにめちゃくちゃ告白されたし、誰かと付き合ってみたいなって、思ってた時期もあったよ」
「で、付き合ったのか?」
「いや、まだ一回も。わたしの通ってた学校の人たちって、みんなすっごい頭もよくて性格もよくて、男子なんかイケメンばっかりだったんだけど」
なんだその主人公養成機関みたいな学校。
「逆にみんな凄すぎて、気が引けちゃったんだよね」
「志乃だって同じようなもんじゃないのか?」
「わたしなんかまだまだだよぅ。勉強だって高校に入ってから苦手になってきちゃったし、今になっても引っ込み思案な性格だし……」
「でも顔は良い」
「だから、そういうこと面と向かって言わないでってば」
と、気づけば2個のじゃがいもの皮をすべて剥き切っていた志乃は、俺が担当していたはずのにんじんと玉ねぎも素早く処理し、油を引いた鍋で炒め始める。
「……本当に得意なんだな、料理」
「まあね。お母さんもお父さんも、帰り遅かったから」
彼女の両親は二人とも医療従事者だ。母親は看護師で、父親は開業医ではなく勤務医。だから当然、帰ってくるのも遅くなってしまう。
「そういえば、明日からどうするんだ?」
「どういうこと?」
「こっちに戻ったのはいいけど、住む家とか学校とか、どうするつもりなんだよ」
「ああ、それは大丈夫。学校はすでに転校の手続き済ませてるし、住む家も決めてあるよ」
「どこに住むんだ?」
「ここから300センチくらい離れたところかな」
「へー、そこそこ離れて……」
頷きかけたところで、言葉の違和感に気づく。
「待て、なんて言った? 300センチ?」
「そう、300センチ」
「メートルじゃなくて?」
「センチメートル」
「となりじゃねえか!」
そういえば昨日、引っ越し業者がとなりの部屋に荷物を運んでいたような気がする。こんなワケ分からん伏線回収があってたまるか。
「こっちに帰ってくるときに、風見くんのお母さんから連絡があって、せっかく住むならお互い近い方がいいんじゃない? って」
「真隣は近すぎるだろ……」
「でも、これであのときみたいに毎日会えるよ?」
「まあたしかにそうなんだけど……」
すぐとなりによく見知った女子が住むというのは、思春期の男子にとってあまりにも刺激が強すぎる。しかもそれが、桜ヶ丘志乃とかいう美少女ならなおさら。
「ここら辺の地理とか美味しいお店とかあったら、あとでいっぱい教えてね」
「あればな」
と、野菜が炒め終わったので、あらかじめ解凍しておいた豚肉を入れてもう一回炒める。今度は俺の番だ。
「ちなみに転校先の学校は?」
「えっと、県立上河原高等学校っていうところ」
「まあ、そうだよな……」
ここら辺にある高校といえばそこしかない。颯太朗とおなじ高校だ。偏差値はそこそこで、大学進学組と就職組がちょうど半々くらいに分かれる。
昔は水産科とか農業科とかいろいろあったようだが、10数年前になくなったらしい。いまは全日制の普通科のみが残っている。
「風見くんとおなじ学校に通うのなんて、小学校ぶりだね」
「なんか、そうやって言われるとすごい時間が経ったように聞こえるな」
「たしかに5、6年くらい経ってるように聞こえるかも」
「それだけ中学時代っていろいろと濃密なのかもな」
多感な時期であるが故に、いろいろなことを経験して、いろいろなことを知っていく。その大事な過程をともに過ごしていなかったため、どうしても彼女との間になにか大きな穴がぽっかりと空いてしまっているような感覚に陥ってしまう。
俺は豚肉と野菜を炒めながら、すぐとなりで水とカレールーの準備をしている志乃を静かに見つめる。これまで彼女と楽しく雑談を交わしているように振る舞ってはいたが、その実――心はずっと上の空だった。
大人として着実に成長している志乃の姿にまず戸惑い、そんな彼女と今後お隣さん同士でくらすことになるという事実に戸惑い。
そして、数年もの間ずっと心の奥でくすぶっていた感情と、どう折り合いをつければよいのかという自分の心の在り方に戸惑い。
志乃の突然の帰省は、まるで滞留した川のような俺の人生に、巨大な岩を思いっきり落とされたような衝撃を与えた。
「そろそろ炒め終わるから、水の準備をしておいてくれ」
「よしきたっ!」
いったん火を止め、具材が完全に沈むまで水を投入する。その後、また点火して鍋に蓋をする。あとは定期的に
20分にタイマーをセットして、ベッドに寝転がる。なんだかいつもより疲れた。たぶん彼女と久しぶりに話したことに対する気疲れだろう。
志乃はベッドに寝転がった俺を見て、自分もベッドに腰かけようとする。が、途中で思いとどまり、テーブル横の座布団に腰を下ろした。
テレビもなにもついていない静かな部屋に、カレーの具材が煮込まれるぐつぐつとした音だけが響く。なんだか妙に気まずくなり、リモコンを操作して適当な番組をつける。昔だったら適当な話でもして場をつないでいたのだろうが、いまの自分たちではそうもいかない。
喋る話題が尽きてしまえば、あとは息が詰まるような気まずさに空間を支配されるだけだった。
「……そういえば、風見くんは彼女とかいないの?」
「は?」
と、あまりにも突拍子のなさすぎる言葉が部屋の静寂を切り裂く。いやまあ、俺が彼女に同じような質問をしたときも、突拍子はまったくもってなかったけど。
「風見くんだって、カッコいいし、頭もいいじゃん」
「それ本気で言ってる?」
「本気だよぅ。こんなとこで嘘なんかつかないよ」
「少なくとも、これまでカッコいいなんて一度も言われたことないし、勉強も運動も死ぬほど苦手だ。モテるわけがない」
「じゃあさ、もし風見くんのことが好きな女子に告白されたら、どうする?」
「そんな妄想しても悲しくなるだけだろ」
「妄想でもいいじゃん。ね、どうするの?」
「そうだな……俺なら断る」
「えっ?」
「俺を好きになったって絶対に良いことなんかない。別に気配りができるわけでもないし、楽しませられるわけでもない。だから、俺なんかじゃなくてもっと別の……それこそ、志乃が通ってた学校にいるような男と付き合ったほうがいいだろ」
「…………」
志乃は表情を変えずにベッドに寄りかかっていた。しばらく沈黙したのち、静かに口を開く。
「でも、その女の子は『風見くんだから』好きだったのかもしれないよ? だから、ほかの人じゃ替えが利かない」
「……すまん、俺だけに惚れる理由がまったく分からない」
現に、志乃が通っていた学校の男子たちと比べれば、自分はどう考えても下位互換に過ぎない。だから、そんな下位互換を好きになる理由が、俺にはどうしても理解できなかった。
志乃は小さくため息をつくと、立ち上がってカレーの灰汁を取りにいく。そんな彼女の背中は、昔と比べれば明らかに成長しているはずなのに、やけに小さく見えた。
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