第2話 9月の事件
修士論文の一旦の提出を終えた。
これから査読とか口頭諮問とかもあるけれど、まだこれまでよりは軽い。
そんな9月に、バイト先で事件が起きた。
バイト先にやってきた紫乃の様子が明らかにおかしかった。
その声はかすれきっていて聞き取りにくく、やつれたような顔に深い隈が主張しており、よろよろと歩くそんな調子。
当然ながら、そのまま店に立たせるのは
「紫乃、ちょっと休憩室行ってて。塩見店長に相談してみるから」
「リオ先輩……でも、ウチ……仕事しなきゃ」
「紫乃、そんな状態でお客さんにいい印象与えるわけないことは、あんたならわかるよね? なら、今日のことろはあーしの言うこと聞いて、お願い。あ、塩見店長、ちょっと相談が」
塩見店長に話をつけて、紫乃は今日のところは帰すことになった。
あの紫乃をみたらそうするのが賢明なことは塩見店長もわかってくれた。
紫乃のいる休憩室に向かう。
休憩室には紫乃が椅子に座ってぐったりしていた。
さすがにやばそう、大丈夫なのこの子……真面目でしっかり者の紫乃がこんなになるなんて、きっと相当なことがあったんじゃないの?
「紫乃、一応何があったか聞いてもいい? それからあんた、今日なんか食べたの? すごいやつれてるように見えるし、口もガサガサ……顔色悪すぎて随分具合悪そうだし、目も充血してる……なに? 泣いてたの? あんたの目元腫れてんじゃん」
「すみません……リオ先輩……ご迷惑を……」
「で、なにか食べた? 飲み物はあーしのチョイスでいい?」
「実は……昨日から何も……すぐ吐いちゃうので……」
「はあ!? 1日何も食べなかったの? 馬鹿じゃないの!? 今なにか持ってくるからここに居なさい」
「……あ、せんぱ――」
あーしはすぐに休憩室を出て、お店のメニューでいちばん甘いビバレッジにさらにカスタムで色々と追加したものを用意して、フードケースの中で栄養バランス的にマシなスモークサーモンとチーズのクロワッサンサンドを掴んで休憩室に戻った。
「はあ……はあ……これ、ほら、飲みなさい。そして胃にこれも入れておきなさい……はあ……ぜえ……」
「……あ、いえそんな……悪いですから……」
「……はあ!? 悪いだなんて思うなら、自分で健康的な生活を送りなさいよね! あーしに何か言い返すのはそれからよ!」
「……ぅ…………ハイ……」
それから紫乃は特製の激甘のビバレッジを張り付きそうになっていた喉に流し込み、軽くむせながらも飲み込んで、クロワッサンサンドにかぶりついた。
飲み物を少しずつ飲みながら、紫乃は何があったのかを少しだけ教えてくれた。
あーしにしか話せない内容だったから、他の人には言わないと約束をした。
しかし、クロワッサンサンドを半分くらい食べたところで、どうやら限界が来たようだった。
「うぷっ……」
「もし吐きそうならこの袋にしていいからね」
「いえ……なんとか、持ちこたえました……でも、これ以上は……」
「はあ……仕方ないかー。まあ、半分は食べれたし、飲み物は全部飲めたのは偉いよ。あとは持って帰って食べられそうな時に食べな。代金は考えなくていい、あーしが立て替えとく、今度何か奢ってもらうからそれまでに元気になんな」
「……ありがとうございます、リオ先輩」
「それから、今回の貸しはいつか返してもらうから、覚えておいてよ?」
「はい、必ず。すみません……今日はこれで失礼します……店長にも挨拶してきます」
「いや、いい、いい。塩見店長にはちゃんと帰ったって、あーしから伝えとくから。気をつけて帰んなよ?」
「……すみません。ありがとうございます」
そう言って紫乃はぺこりとお辞儀をしてから休憩室を出ていった。
状況については塩見店長に伝えて仕事に戻った。
紫乃のプライベートの事情は特に言及もされなかったので、自分の胸にしまうことにした。
それなのに……
「ちょっとあなた……何しに来たの?」
カウンターごしに見知った客がやってきて、あーしは思わずそう言ってしまった。
ちょうど先程、紫乃の口からその客、笹原さんの名前を聞いたばかりだった……
「何って……ええと、その……コーヒーを、飲みに……」
その目は明らかに泳いでいて、探し人を見つけようときょろきょろとしていた。
「はあ? あなたのせいで紫乃がボロボロで、ダメそうだから帰したとこだよ。それなのにあなたはこの期に及んで、紫乃に一体なんの用って聞いてんの!」
「……え……わた、し……そんな……」
「え、ちょっ、なんであなたが泣きはじめてんのっ??」
「ふ……ふええぇ」
「な、なんなのもう! ちょっとこっち来な」
泣き出した後輩の元カノを、とりあえず従業員用の休憩室……先程紫乃といた所に連れてきた。
「……はあ……(もう、今日おかしいって……)。私が言いすぎたし、何も知らないのに責めたのも良くなかったよね。ほんと、ごめんなさい。店長には許可とったから、落ち着くまでここ居ていいからね」
「……ヒッゥ……ウゥ……」
「あの……さ? 笹原さん、だよね? エプロン掴まれたら出て行けないんだけど……」
「……ゥ……教えて、ください……フゥ……紫乃の、こと……」
「それはこっちが聞きた……いや、うん。いいよ……何が聞きたい?」
笹原さんの真剣で泣き腫らした充血した目をみると、あーしの気持ちより今は彼女の気持ちを汲むのがいいと思ってしまった。
「……どう……して……私のこと……? 紫乃が……どう言って……」
「4月くらいだったかな、紫乃から聞いた。あなたと付き合うことになったって……私はたまに相談とかもされてた。他のスタッフはたぶん知らないよ、あなた達のこと。さっきも、紫乃の様子が酷くて、ここで少し話聞いて私が店長に言って帰らせたとこ。話は私しか知らないし、店長は話のわかる大人だから変な詮索もされてないよ」
「……ここで……紫乃が?」
「そう。あなたから逃げたって、詳しいことは知らないけど、相当参ってた。昨日は1日何も口にしてないって言うから、一番甘いメニューとスモークサーモンのクロワッサンサンドを食べさせたけど……結局食べきれなくて持って帰った。ほんと、あんたたち……何をしたらそんな風になるわけ?」
「私が悪いの……私が紫乃のこと……」
「襲ったの?」
「ちがっ……わないけど……一緒にホテルに行って……」
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