第1章 逃亡と旅立ち

【読者の皆さまへ】

 お読みいただき、誠にありがとうございます。


【作品について】

・史実を下敷きにしたフィクションであり、一部登場人物や出来事は脚色しています


 ・本作品は「私立あかつき学園 命と絆とスパイ The Spy Who Forgot the Bonds」の遠い過去の話です。

 https://kakuyomu.jp/works/16818622177401435761


 ・「私立あかつき学園 絆と再生 The Girl who discovered herself」と交互連載です。

 https://kakuyomu.jp/works/16818792437738005380


 ・この小説はカクヨム様の規約を遵守しておりますが、設定や世界観の関係上「一般向け」の内容ではありません。ご承知おきください。



 ・今作には[残酷描写][暴力描写]が一部あります。


 ・短編シリーズ始めました(2025年8月16日より)

 https://kakuyomu.jp/works/16818792438682840548



 ・感想、考察、質問、意見は常に募集中です。ネガティブなものでも大歓迎です。



【本編】

 天正7年(1579年)、三河国――岡崎城。

 血で血を洗う戦国時代。


 重苦しい静寂が、奥御殿を包んでいた。

 障子越しに差し込む月明かりが、若き武者の横顔を淡く照らす。

 彼は床に正座し、目の前に広がられている書状を見つめていた。



 ――貴殿には甲斐国、武田勝頼へ内通の嫌疑あり。

 

 

「我は……内通などしておらぬ……なぜ……」

 かすかな声が、広間に溶けて消える。

 武者は続く一文に目を落とした。



 ――家のため、死をもって、織田信長公への疑いを晴らすべし。



「なぜ、そのような……疑いを……」

 武士として覚悟はあれど、18の若さで命を絶たねばならぬ無情さに、胸が引き裂かれる思いであった。


(これが、敵も味方にも容赦ない……第六天魔王信長公の苛烈さなのか……)


 書状はまだ続いていた。


 ――よって、徳川の名乗りを没収し、松平信康まつだいら のぶやすに切腹を命ずる。父、徳川家康。

 


「父上が……我に死を命ずると申すか」

 目を閉じ、静かに手を合わせる。


(徳川の嫡男として、我が命をここで絶てば、それもまた義なのか……)


 そう思いながらも、心の奥底では「まだ為すべきことがある」と叫ぶ己を抑えられない。


(だが、織田との盟が破れれば、徳川は潰える……父上の決断もやむを得ぬのか……心引き裂かれん思いのはず……)


 信康は目を閉じた。

 彼の脳裏に、父との思い出が駆け巡った。


――幼き日……。


 川で父と魚を追ったことがあった。

「信康!力任せでは掴めぬぞ!」

「はい!父上!」

家康の笑顔に導かれ、小さな手に魚を掴んだあの瞬間。

(あの時、父は生き残る術を、私に教えてくれたのだろう……)


――三方ヶ原の退き戦でしんがりを務めた時……。


父は城で労ってくれた。

「信康!よくぞ持ちこたえた!お前がいたから、皆が助かったのじゃ!立派な初陣じゃ!」

嫡男としての誇りと、父の言葉が胸に刻まれていた。


(父上……)


 すると、信康の耳に何者かが近づく音が飛び込んできた。


――タタタタタタ……。

 

 信康はゆっくりと目を開けると、再び月明かりが差し込む、奥御殿の風景が広がる。

「誰だ?」  

 

 そして、障子が慌ただしく開かれる。

 

 ――ガラッ!

  

 戸口に立っていたのは、二人の侍だった。

 信康はそちらに視線を移す。

亮衛門すけえもん……京次郎きょうじろう……」



「殿!亮衛門!参上仕りました!」

 小柄な体つきに短髪のまげを結った男、亮衛門が声を張る。

 その眼差しには炎のような情熱が宿っていた。

「ここはご決断を。生きてこそ道は開けましょう」


 続いてもう一人が口を添える。

「京次郎……ここに……」

 彼は髷を結わず、黒髪の長髪を頭頂部に白い紐でまとめていた。

 身の丈は平均的だ。

 京次郎の言葉は落ち着き払っていた。

「父君の御心を量れば苦き思いにございましょう。されど、御身が討たれては徳川の正当なる血脈、ここに絶え申す。どうか我らを信じ、今宵ただちに落ち延びられよ」


 信康は二人を見やった。


 ――亮衛門は血気盛ん、京次郎は理を尽くす。

 

 その対照こそ、己を生かそうとする真心に他ならない。

 二人の瞳には、決死の覚悟と揺るぎなき忠誠が宿っている。



 しばしの沈黙ののち、信康はゆるやかに立ち上がった。

「……父上を裏切るわけではない。ただ、この命を繋ぎ、真の道を見出すために――」

 


 ――ガラッ!

 


 ――ピューッ!

 

 

 障子を開け放てば、夜風が冷たく頬を打った。

 信康は京次郎に視線を移した。

 顔には神妙さが漂っている。

「切腹の……介錯は誰がするのだ?」

 京次郎は冷静な表情のまま告げる。

「服部半蔵殿でござる」

 

 信康の顔が驚愕する。

「三方ヶ原で、命を救ってくれた半蔵が……今度は私の命を奪うと言うのか……」


 亮衛門も愕然とした表情を浮かべる。

「家康公の……忠義の士が……殿の……」


 すると、遠くから床を打つ足音が静かにこだました。

 


 ――タン……タン……タン……。

 


 そこに亮衛門の声が重なる。

「殿!半蔵殿が参ります!」


 京次郎が冷静に言い放つ。

「急ぎで城を出ましょう。」

 信康は頷いて答えた。

「ああ……」

 

 冴え冴えとした月が天に浮かび、三人の運命を照らしていた。

 信康は足を早めていた。

 

(戦場で救った刃が、城内で我を斬る……これもまた武士の定めか……だが……)


(この命、易々とは散らせん!亮衛門、京次郎――参るぞ!)

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