異戦国史 あかつきの武士 松平信康伝

サブサン

プロローグ 三方ヶ原の敗走

【読者の皆さまへ】

 お読みいただき、誠にありがとうございます。

 本日より(2025年9月11(木)新連載です。


【作品について】

・史実を下敷きにしたフィクションであり、一部登場人物や出来事は脚色しています


 ・本作品は「私立あかつき学園 命と絆とスパイ The Spy Who Forgot the Bonds」の遠い過去の話です。

https://kakuyomu.jp/works/16818622177401435761


 ・「私立あかつき学園 絆と再生 The Girl who discovered herself」と交互連載です。

https://kakuyomu.jp/works/16818792437738005380

※本日(9月11日(木)は新旧同時公開です。


 ・この小説はカクヨム様の規約を遵守しておりますが、設定や世界観の関係上「一般向け」の内容ではありません。ご承知おきください。



 ・今作には[残酷描写][暴力描写]が一部あります。


 ・短編シリーズ始めました(2025年8月16日より)

https://kakuyomu.jp/works/16818792438682840548



 ・感想、考察、質問、意見は常に募集中です。ネガティブなものでも大歓迎です。


 以上、よろしくお願いいたします。


 【本編】

 天正元年(1573年)12月。

 三河と遠江の国境――三方ヶ原みかたがはら


 ――歴史に残る、三方ヶ原の戦い。徳川と武田の戦いが、そこで行われていた。


 ――ドドドドドド……。


「無事に撤退させろ!我々がしんがり最後尾だ!やつらを引きつける!」

 馬に乗った一人の若武者が叫ぶ。

 三葉葵の御門が、背中に染め抜かれている陣羽織。

 一揃いの輝かしい甲冑。

 右手で刀を振り、左手で手綱を握っていた。

 若武者の周囲には、二人の武士が馬に乗って並走していた。

 

 徳川軍は武田の大軍に大敗を喫し、潰走していた。

 雪混じりの寒風が吹きすさび、地には無数の屍が転がる。

 若武者たちは、背後に迫る多数の武田騎馬隊をから必死で逃れんとしていた。

 武田騎馬隊たちの怒声が寒風にこだまする。


 ――見つけたぞ!徳川信康とくがわのぶやすだ!


 ――家康の嫡男だと!兜首を取るのじゃ!


 ――なんとしても追いつけ!



「殿!お急ぎを!」

 小柄な武者が声を張り上げる。

 彼は青色の甲冑をまとっていた。

 血に濡れた刀を振り払い、迫り来る武田兵を叩き斬る。

 信康は、馬を駆りながら応える。

亮衛門すけえもん!ここは生き延びようぞ!」


 信康たちの馬が更に加速した。

 そこに背後から矢の雨が降り注いだ。


 ――シュシュシュシュ!ピューッ!


京次郎きょうじろう!」

 信康がもうひとりの甲冑武者に叫ぶ。

 冷静な所作と平均的な体型の武者。

 甲冑は紫を帯びた黒色だ。

 京次郎は即座に判断し、馬の手綱を引きつつ叫ぶ。

「亮衛門!退路は西の林!殿を先に!」

「承知!」

 亮衛門が身を挺して信康の背を守る。


 ――ズサッ!ズサッ!ズサッ!ズサッ!


 信康たちの背後。

 わずかに離れた地面に次々と矢が突き刺さる。

 信康は馬の腹を蹴りながら、大声を上げた。

「森へ入る!続け!」


 だが、武田の追撃は容赦なかった。数十騎の騎馬武者が雪煙をあげて迫り来る。

「森を抜けるぞ!」

「殿!いけません!そちらは!」

「だが、他に行き場が無いぞ!」


 ――ヒーヒヒーン!

 

 森を抜けるとすぐに馬が急停止する。

 信康たちは、バランスを取りながら、森を抜けた先に広がる景色を見て茫然とした。


 亮衛門と京二郎は愕然とつぶやきを漏らした。

「川……」

「行き止まりか!」


 ――ドドドドドド……。


 武田軍の騎馬隊が迫ってくる、

 三人は川辺に追い詰められたのだ。


「これまでか……!」

 信康は歯を食いしばり、刀を構えた。


 その刹那――鼻を突く焦げ臭さに気づいた。

 硫黄と硝石の混じった匂い。


「火薬……?」


 ――ザザッ!


 一瞬後、森陰に黒装束の影が走る。


 そして、号令が響き渡る。

「放てーっ!」


 ――ババババッ!


 轟音と閃光、白煙が一斉に立ち上る。

 武田騎馬隊の馬が次々と地に倒れ、混乱の叫びが森と川辺にこだまする。


 ――伏兵だ!引き返せ!


 ――このままでは全滅する!


 ――追跡中止だ!

  

 そして。その男たちの真ん中から、闇のような影がゆっくりと現れた。


「主君の命により……嫡子をお守り申す!」

 影が混乱する武田騎馬隊へと飛び込んでいく。


 ――また敵だ!


 ――忍者部隊だと!

 

 男は踊るような動きで、刀を振っていく。


 ――ぐわっ!


 ――敵わん!退け!退けーっ!


 男が一閃するたびに、武田兵が次々と倒れていく。


「……半蔵!」

 信康の声に影が振り返る。

 そして、短くうなずいた。

「若殿。ここは、服部半蔵にお任せを!」


 ――ギラッ!ズバッ!


 半蔵の刃が閃き、追撃の武田兵を次々と退けていく。

「今だ!退け!」

 信康が叫び、空を見上げた。


 その時、信康たちの視線の先に一つの丘が見えた。

 丘の上に一陣の風が吹き、無数の幟が翻った。

 水色の布地に描かれた桔梗の紋――。

 それに合わせて、法螺貝の音が空にこだました。


 ――ブォー!ブォー!


 ――わーっ!


「明智殿の旗……!」

 京次郎が驚愕の声を上げる。

「盟友――織田からの援軍か!」

亮衛門が叫び、安堵の笑みを浮かべた。


 丘からは多数の足軽や騎馬隊が、武田軍へ向かって駆け降りてくる。


 川辺と森は、間もなく地獄の戦場と化した。


 ――徳川の御曹司をお守りしろ!


 ――決して死なすな!


 ――光秀様の厳命だぞ!


 武田勢が思わぬ方向からの攻撃に足を乱す。

 「家康よ……信長公との盟。ここに活きましたぞ……」

 そして、信康率いる徳川軍の部隊は、辛くも撤退に成功する。


 ――ドドドドドド……。

 

 信康たちは、雪を蹴立てながら馬で走り抜けていた。

 亮衛門が息を切らせながら言う。

「助かりましたな……だが、殿には散々な初陣でござったな」

 京次郎が冷静に告げる。

「だが、生き延びれば次がある。ここは半蔵殿に感謝しよう」


 馬を進めながら、亮衛門が少し疑念の表情を浮かべる。

「だが、明智殿の援軍……ちょっと出来過ぎてないか?」

 京次郎が首を傾げる。

「確かに。織田は西の毛利、東の上杉とも戦う準備を進めていると聞く。そうですよね?殿?」

 信康の目が細くなった。

「父との盟があるとは言え、我々に兵を割く余裕は無いはずだがな……|」


 亮衛門が困惑の表情を浮かべる。

第六天魔王信長公のお考えは、よくわからぬ」

 京次郎も疑念の表情を隠せない。

「それに此度の戦。元々は、地の利はこちらにあったはず。殿はどう思われる?」


 信康はうなづく。

 そして振り返り、幟を見つめた。

「うむ……徳川が向かう敵は、今や武田のみのはず……なぜ我々は敗れたのだ……」



 胸の奥に生じた小さな疑念――

 それが、のちに不条理な疑いへと繋がっていくとは、この時は、信康たちは知る由もなかった。

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