第3話
翌朝の「起床時間」は、体内時計じゃなくて天井の照明と放送で決まる。
蛍光灯の色温度がじわじわと上がり、スピーカーから女声の合成音が流れてきた。
『第七方舟、居住ブロック時間サイクル:〇六〇〇。各自、勤務配置に従い行動を開始してください』
目を開けると、兵舎の天井がいつもの灰色でそこにあった。
夢の中で見ていたのは、昨日の地上だった。崩れたビルと、黒い影と、眩しすぎる光の矢。
あれが現実で、ここが夢みたいだと、時々本気で思う。
簡易ベッドから身を起こし、筋肉痛がどこにどれくらい溜まっているかをざっと確認する。
上半身、問題なし。足もまだ動く。寝不足感は……まあ、いつも通りだ。
洗面所で顔を洗い、髭を剃り、制服を着る。
廊下に出ると、同じような格好をした兵士たちが、ぞろぞろと点呼場へ向かっていた。
「おはよう、死に損ない」
背中を軽く小突かれて振り返ると、堀井マコトが欠伸をしながら歩いてきた。
「お前の挨拶、いい加減なんとかならないのか」
「事実だろ? 昨日出てって今日も歩いてる奴は、死に損なって戻ってきた奴だ。
俺からすると、尊敬と同情が五分五分って感じだな」
「同情は要らん。尊敬も怪しいもんだが」
そんな会話をしながら、駐屯区のロビーを抜けていく。
点呼を済ませ、適当な朝食を胃に押し込んだあと、自由時間と勤務時間の境目みたいな中途半端な隙間ができた。
「今日は出撃なしなんだろ?」
「ああ。少なくとも今のところは。補給と整備と、あと報告書地獄だな」
「おつかれさまです、前線職」
マコトは他人事みたいに肩をすくめた。
「俺はこれから管制室勤務。ネフの反応見ながら、豆みたいな味のコーヒー飲む役だ」
「代わるか?」
「いやだよ」
即答だった。
そんな他愛ない会話を続けながら、兵士用ブロックと市民エリアの境目まで来たときだった。
広場の一角に、人だかりができているのが見えた。
「……またか」
マコトが顔をしかめる。
近づくと、予想通りだった。
簡素な台の上に、一人の男が立っていた。
二十代前半ぐらいか。神官服とも学生服ともつかない白い衣をまとい、手には小さな本を持っている。
周囲を取り囲むのは、興味半分・苛立ち半分といった顔の市民たちと、一歩離れたところで様子をうかがう治安部隊だ。
「聞いてください!」
男の声はよく通った。訓練された演説家の声だ。
「ネフは災厄ではありません! あれは裁きです!
傲慢になった人類が、地上を汚し続けた結果、神が遣わした浄化の炎なのです!」
「またその話かよ……」
誰かが小さく毒づく。
男――殲滅教団〈イグジス派〉の説教師だろう――は構わず続ける。
「見てください、この地下都市を!
私たちは地上を捨て、安全な箱の中で、過去と同じ過ちを繰り返そうとしている!
軍は新たな“兵器”を作り出し、再び神の創り給うた世界を傷つけようとしている!」
その言葉に、少しだけ視線がこちらを向いた。
兵士の制服。軍靴。
「神の創り給うた世界」を傷つけている側、というラベルが、目だけで貼られた気がした。
「偽りの守護者に騙されてはいけません!
“魔女”と呼ばれる彼女たちは、神の裁きを拒む者たち!
ネフと戦うことは、神の意思に逆らう行為なのです!」
その台詞に、指先がぴくりと動いた。
殴りにいったわけじゃない。ただ、止まれと命令されていなければ、一歩前に出ていたかもしれない。
(よくそんなことを堂々と言えるな)
心の中で毒づく。
地上で何を見た。崩れた街で誰を失った。
ネフを「裁き」なんて言葉で包む気持ちが、俺にはまったく理解できない。
「落ち着けよ」
マコトが小声で肘をつついてきた。
「ここで噛みついても、得するのはあいつらだけだ。
“軍が宗教弾圧”なんて話の火種になったら面倒だぞ」
「分かってる」
深呼吸一つ。
俺は足を止めたまま、男の話を聞くふりをしつつ、人だかりの顔ぶれを眺めた。
疲れた顔の母親らしき人間。
配給袋を抱えた老人。
仕事前らしい整備服の男。
その誰もが、「信じている」というより「すがる場所を探している」ように見える。
「神の赦しは、誰にでも開かれています!」
説教師は本を掲げた。
「ネフは恐るべきものですが、同時に救いでもあるのです! 地上に巣食った汚れた文明を削ぎ落とし、私たちを真に清い姿へと戻してくれる!
その流れに逆らう“魔女”たちは、いずれ――」
そこまで言いかけたところで、治安部隊の隊長が前に出た。
「はい、そこまで。許可区域外での布教活動は規約違反だ。
解散しろ、イグジス派」
男は一瞬だけ口を閉ざし、それからゆっくりと笑った。
「規約違反……なるほど。
では、ここではやめておきましょう。
ですが――」
彼は、群衆の中の一点を見た。
それが、自分だと気づくまで、一秒かかった。
「あなた方“護る者”が、内心で何に迷っているか、私は知っています」
穏やかな口調だった。
糾弾でも煽動でもない。
ただ、「分かっている」とでも言いたげな目つきだった。
「もし、あなたが本当に“守りたいもの”が分からなくなったら……いつでも話を聞きますよ」
その言葉は、押しつけがましくも甘くもなかった。
ただ静かで、その分だけ気味が悪い。
「行くぞ」
マコトが肩を引いた。
俺は目線を切り、その場を離れた。
「……今の、覚えてるうちに報告しとけよ」
「分かってる」
イグジス派との接触は、すべて記録対象だ。
放っておくには、あまりにもでかい火種になりうる。
勤務開始時間が迫っていたので、マコトと別れ、俺は駐屯区のほうへ戻った。
廊下を歩いていると、頭上のスピーカーがノイズを挟んでから、無機質な声を流し始めた。
『通達。第七戦術魔女隊および第七随伴護衛班は、本日一九〇〇時、戦術会議室三に集合せよ。
新戦力配備および運用方針に関するブリーフィングを実施する』
「……新戦力?」
思わず足を止める。
魔法少女の「新戦力」といえば、つまり新しい子どもが前線に送られてくるということだ。
もう何人見送ってきたか、正確には覚えていない。
名前と顔を、意識的に記憶から外そうとした時期もあった。
覚えていれば覚えているほど、戻ってこなかったときにきついからだ。
でも。
(それでも、またひとり増えるのか)
ブリーフィングが何を告げるのかは分からない。
ただひとつだけ確かなのは、「守るべき背中」がまた一つ増える、という事実だ。
整備区画へ向かいながら、俺は無意識に空になった右手を握りしめた。
まだ銃も杖も持っていないのに、指先には昨日の反動と、少女たちの体温の残りかすがまとわりついているような気がした。
この都市は、今日も淡々と回っている。
ネフはどこかで蠢き、教団はどこかで囁き、軍はどこかで誰かを前線に送る準備をしている。
その歯車のひとつとして動きながら――
俺は俺の勝手な目標だけは、まだ手放さずにいた。
魔法少女たちを、「魔女」でも「兵器」でもなくしてやる。
そのための戦い方を、これから探すことになるのだと、まだ自分でははっきり言葉にできないままに、なんとなく直感していた。
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