第2話

 地下に戻ってからも、すぐに自由になるわけじゃない。


 エレベーターを降りると、そのまま検疫区画へ回される。

 厚いガラスと消毒液の匂いで満ちた白い部屋。壁際に並んだ簡易ベッドの上で、俺たち護衛兵と、リナ・サクマたち魔法少女は一列に並べられた。


「採血、異常なし。ネフ由来反応なし。次、精神チェックフォーム記入して」


 白衣の軍医と衛生兵が、慣れた手つきで俺たちをさばいていく。

 精神チェックフォーム――「最近よく眠れているか」「戦闘映像が繰り返しフラッシュバックするか」「意味のない不安や怒りに襲われることがあるか」。

 質問の並びは毎回ほとんど同じだ。


 俺は、ほとんど惰性で同じ欄に同じチェックを入れていく。


 ──睡眠:やや不安定

 ──フラッシュバック:あり

 ──業務に支障:なし


 支障があると書いたところで、代わりの人員なんてどこにもいない。

 なら「なし」と書いておいたほうが、いろいろと面倒が少ない。


「はーい、次は魔女隊ね」


 反対側の列で、白衣の女が手を叩いた。

 三島詩織。魔法少女担当の軍医だ。二十代のはずだが、慢性的な寝不足で目の下のクマが常駐している。


「リナ・サクマ。血圧、低め。緊張性ね。レイ・シロサキ、バイタル安定。……セラ・ミナヅキ、また心拍高め。少しは落ち着く努力をしなさい」


「別に。これが通常値です」


 セラは視線をそらしたまま、素っ気なく答える。

 リナは、腕に巻かれた血圧計を気にしながら、おずおずと口を開いた。


「あの、三島先生。今日の出力ってそんなに無茶じゃなかった、ですよね? その……記録的には」


「“記録的”って言葉が出てくる時点で、だいぶおかしいと思うけど?」


 三島は苦笑して、リナの頭を軽く小突いた。


「無茶かどうかで言えば、いつも通りギリギリ。

 でも、今日もちゃんと戻ってきた。それで十分。……あとはちゃんと食べて、寝なさい」


 そう言ってから、ちらりと俺のほうを見た。


「篠原くん。あんまり無茶させないでよ。あの子たちのカルテ、もうこれ以上厚くしたくないから」


「……こっちの台詞ですよ、先生」


「そうね。こっちも、護衛兵のカルテで手一杯なんだから、ほどほどに倒れてくれると助かるわ」


 医者の冗談にしては、笑えない。

 でも、三島の口調には少なくとも「死んで当然」みたいな冷たさはなかった。

 この都市には珍しいタイプの大人だ。


 検疫と簡単な診察が終わると、魔法少女たちは専用宿舎棟へと連行されていく。

 護衛兵とは、居住区画も食堂も別だ。「過度な私的接触は禁止」「任務外の癒着を避けるため」とか、そんな名目だったはずだ。


「じゃあ、また訓練か任務で」


 リナが、仕切り用のゲートの前で振り返る。

 レイ・シロサキは相変わらず無表情だが、わずかに俺のほうを見て頷いた。

 セラは何も言わず、肩越しに一瞬だけこちらを一瞥する。


「風邪ひくなよ」


 気の利いたことは言えなかった。

 結局、口から出たのはそんなありきたりな言葉だけだ。


「はい。悠真さんも」


 リナが、少しだけ笑った。

 ゲートが閉まり、重いロック音が響く。

 鉄の扉一枚で仕切られた向こう側は、俺には立ち入り禁止の世界だ。


 ──兵器は、兵士の私生活には混ぜない。

 ──兵器に、兵士の私生活を見せない。


 それが、軍のルール。


 俺たちは俺たちで、兵舎と食堂のある中層ブロックに戻る。

 エレベーターを乗り継ぎ、消毒された空気と、同じような白い壁と灰色の床。

 地上の焦土の後に見るこの整然とした通路は、いつ見ても現実感がない。


「お、戻ってきたのか」


 食堂に入ると、顔馴染みの声が飛んできた。

 堀井マコトだ。前線には出ない技術系の兵で、俺の数少ない飲み仲間のひとり。


「また派手にやったんだって? 配給所の電光ニュースで見たぞ。『第七戦術魔女隊、旧市街区にて多数のネフを排除。市民の安全を守る』ってな」


「相変わらず、いいように書くな」


「お前ら、ヒーロー扱いされてんだから素直に喜べよ」


 軽口を叩きながらも、マコトの視線が一瞬だけ俺の肩あたりを舐める。

 血が付いていないか、怪我をしていないかを無意識に確認しているのだろう。


「ヒーローってのは、もっと格好良くていい匂いがするもんだ。

 油と汗と焼けたネフの臭いしかしない俺たちがそう見えるなら、この都市の嗅覚はだいぶやられてる」


「はは、それもそうだ」


 マコトは笑い、それから声を潜めるようにして付け加えた。


「……でもまあ、本音を言えば、ありがたいって思ってる奴も多いぞ。

 “魔法少女は卑怯だ” とか “自分たちだけ特別扱いだ” とか言う奴もいるけどさ」


「言うだろうな」


 想像はつく。

 限られた資源。限られた居住スペース。

 その中で、「選ばれた少女たち」だけが特別な装備と食事と部屋を与えられている。

 恨みや嫉妬が生まれないほうがおかしい。


「でもさ」


 マコトは、トレーの上の薄いスープをかき混ぜながら言った。


「俺は地上には出たくないし、出たら死ぬ自信しかない。

 だから、代わりに行ってくれる連中の悪口をあんまり言う気にはなれねえな」


「……珍しくまともなこと言うじゃないか」


「失礼なやつだな」


 そんな他愛もない会話をしながら、配給された食事を胃に流し込む。

 味は、ほとんどしない。

 ただカロリーと栄養素だけを詰め込んだペーストと加工肉と、申し訳程度の野菜。


 食堂の片隅の壁には、また新しいビラが貼られていた。


 ──「ネフは裁きの使者」

 ──「汚れた世界を浄化する炎」

 ──「偽りの守護者〈魔女〉に騙されるな」


 イグジス派の連中がばらまいたのだろう。

 治安部隊がすぐ剥がすが、剥がしても剥がしても、すぐ別の場所に新しいのが貼られる。


「……やっぱり増えてきてるな、あいつら」


「教団か? ああ。下層エリアじゃけっこう信じてるやつもいるらしいぞ。

 『どうせネフに殺されるくらいなら、神様の裁きのほうがマシだ』とかなんとか」


 マコトは肩をすくめた。


「お前はどう思う?」


 自分でも、なぜそんな質問をしたのか分からない。

 マコトは愚痴や噂話には付き合ってくれるが、思想の話をするタイプではない。


「どうって……」


 彼は少し黙り、それからぽつりと言った。


「俺は、ネフに家族を殺された。それだけだな。

 神様だの裁きだの言われても、あいつらの形を思い出すたび吐き気しかしねえよ」


「……だろうな」


 俺も似たようなものだ。

 妹を飲み込んだ黒い影の形は、今でも時々夢に出てくる。


 飯を終え、報告書を書かされ、装備を返却し、ようやく兵舎に戻る頃には、地下都市の人工灯も「夜間モード」の薄暗さに落ちていた。

 外の時間はさっぱり分からないが、とりあえず一日の区切りだけははっきりしている。


 ベッドに腰を下ろし、上着を脱ぐ。

 天井を見上げると、かすかな振動と機械音が聞こえた。どこか別の区画で、浄水設備か酸素生成装置が稼働しているのだろう。


 壁の向こう側には、魔法少女たちの宿舎棟がある。

 距離にすれば、数十メートルも離れていないはずだ。

 だが、その間には何枚もの壁と、何重ものロックと、いくつもの「規律」が挟まっている。


(俺は――)


 今日、リナ・サクマに言ってしまった言葉を思い出す。


 ──お前らが“魔女”でも“兵器”でもなくていい世界を、俺は見たい。


 口に出してしまった以上、それはもうただの妄想じゃない。

 自分で自分に課した約束みたいなものだ。


(……バカだな)


 軍の定めた大義からすれば、そんな願いは全部「ノイズ」だ。

 人類全体の生存確率を上げるためには、魔法少女という兵器を最大限使い倒す。それが久我参謀みたいな連中の正しさだろう。


 だけど。


 目の前で震えていた少女の手とか、検疫室で三島がため息を吐いていた顔とか、宗教のビラを見て苦い顔をしたマコトとか。

 そういうひとつひとつの光景が、頭の中でぐるぐると渦を巻いていた。


「……人類とか地下都市とか言う前に、まずこっちだろ」


 思わず、誰もいない部屋で呟く。


「こいつらを、“兵器”以外の何かに戻す。

 それぐらいの勝手は、戦ってるやつの特権にしてもいいはずだ」


 根拠はない。

 計画もない。

 ただの感情論だ。


 でも、その感情だけは、ネフにも、軍にも、宗教にも、まだ擦り減らされていない。


 それなら、しがみつく価値はある。


 薄暗い蛍光灯の下で、俺はゆっくりと目を閉じた。

 耳の奥で、遠くの機械音と、人の足音と、かすかな笑い声が混じり合う。


 この都市は、今日もかろうじて回っている。

 明日もまた、警報が鳴るだろう。

 エレベーターが上がり、焦土の匂いが肺を焼く。


 そして、そのたびに俺は――


 魔法少女を「決戦兵器」として送り出す軍の一員でありながら、

 同時に彼女たちを「ただの少女」として守ろうと足掻く、矛盾だらけの護衛兵であり続けるのだろう。


 それが、自分で選んだ戦場なのだと、ようやく自覚し始めていた。

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