第4話
通達が流れたのは、ちょうど装備庫でライフルの分解清掃をしていたときだった。
『──新戦力配備および運用方針に関するブリーフィングを実施する』
その一文だけが、やけに耳に残った。
バレルの内側を布で拭きながら、俺は無意識に手を止める。
新戦力。
この文脈でそれが何を意味するか、知らない兵士はいない。
(また、“子ども”がひとり増えるってことか)
誰も口には出さないが、護衛班の連中の手も、同じところでわずかに重くなっているように見えた。
「……篠原。手、止まってるぞ」
隣で分解作業をしていた先輩兵士がぼそりと言った。
「ああ、悪い」
乾いた声で返し、仕事に意識を戻す。
銃は文句ひとつ言わない。ただ規定通りに手をかければ、規定通りの精度で働いてくれる。
人間と違って。
その日の日中は、結局、報告書と訓練と軽い装備テストでほとんど埋まった。
地上戦闘の映像解析に立ち会わされ、どこで誰がどう動いたかを点検される。
モニタに映るのは、俺たち護衛兵と、リナ・サクマたち魔法少女の姿。そして、その視界の端で揺れながら崩れ落ちていくネフの残骸。
「ここ。二十三秒から二十五秒の間、お前、〈ルミナ〉の死角ができてる」
指導役の中尉が、冷静な口調で指摘してくる。
「〈クロガネ〉がフォローしてるから結果オーライだが、本来は護衛班の仕事だ」
「了解です」
それしか返す言葉はない。
画面の中で、リナ・サクマ〈ルミナ〉がぎこちない足取りで前に出て、魔力の矢を撃つ。その背中に、黒い影が回り込もうとしていた。
その瞬間、セラが横合いから飛び込んで斬り落としている。
(……あのときか)
自分の記憶と映像が、少しだけズレているのに気づいた。
自分では「間一髪で間に合った」と思っていた場面で、実際には別の誰かがカバーしていた。
俺が「守った」と思い込んでいる場面なんて、案外、他人のフォローで成り立っているのかもしれない。
そんなことを考えているうちに、あっという間に時間は過ぎた。
◇ ◇ ◇
時刻一九〇〇
第七方舟、戦術会議室三。
狭い会議室に、護衛班と魔女隊の主力メンバーが集められていた。
長机と簡素な椅子。壁には戦況図や出撃記録のグラフが投影されている。
その前に、一人の男が立っていた。
背が高く、痩せ型。きっちりと着こなした軍服。階級章は中佐。
久我 総一郎――魔法少女運用本部の参謀だ。
整った顔立ちだが、目の奥には温度がない。
数字や地図を見る目をしている。人ではなく「戦力配分」としてしか見ていないような。
「全員揃っているな」
低い声が会議室に落ちる。
「では説明を始める。着席を許可する」
号令に従って椅子に腰掛ける。
隣にはリナ・サクマ〈ルミナ〉とレイ・シロサキ〈シロガネ〉、少し離れたところにセラ・ミナヅキ〈クロガネ〉。
三人とも制服ではなく簡易任務服だが、胸元にはしっかりとコードネームを示すタグが縫い付けられている。
「まず、先日の旧市街区での戦闘結果だが──」
久我は淡々と話を始めた。
スクリーンには、戦闘結果のグラフが表示される。
「ネフ反応の一時的な減少は確認された。ただし、十八時間以内にほぼ元の水準に回復。
既存の掃討作戦の効果が、限定的かつ一時的でしかないことが改めて判明した」
そんなことは、現場の人間はとっくに体感で知っている。
俺たちは殴り続けているだけだ。表面に出てきた分を削っているだけで、根本は何ひとつ変えられていない。
「しかし、前回の作戦には、ひとつ注目すべきデータがあった」
久我は別のグラフを呼び出した。
そこには、魔法少女三名の出力推移と、ネフ反応の変動が重ねられている。
「特に〈ルミナ〉の出力ピーク時、一時的に周辺広域のネフ反応の“質”が変化している。
これは、従来の対処では観測されなかった現象だ」
「質……?」
小さくリナ・サクマが首をかしげる。
その隣で、セラが眉をひそめてスクリーンを見つめていた。
「簡単に言えば、お前たちの魔力によって、ネフ側の“場”に揺らぎが生じているということだ」
久我は、教科書を読むような口調で続けた。
「現時点では仮説だが、高出力の魔法少女を複数同時運用し、その出力を意図的に重ね合わせることで、より深い層──ネフの“根”にまで干渉できる可能性がある」
それは、つまり。
「……出力と戦場負荷が、今よりさらに上がるってことですか」
口を開いたのはセラ・ミナヅキだった。
彼女の声には、怒りはなく、ただ事実確認だけを求める硬さがあった。
「そうなるな。だからこそ、新戦力の投入が必要になる」
久我は平然と頷き、会議室の後方へ視線を向ける。
「入れ」
ドアが開いた。
一人の少女が、衛兵に付き添われて部屋に入ってきた。
小柄。肩にかかるくらいの黒髪を、赤いリボンで無造作に結んでいる。
まだ支給されたばかりらしい魔女隊用の制服は、身体にしっくり馴染んでいない。
だが、その目だけは妙に大人びていた。
怯えと期待と、不安と興奮がぐちゃぐちゃに混ざった光。
「本日付で第七戦術魔女隊に配属された、新戦力だ」
久我が淡々と紹介する。
「アヤネ・クジョウ。コードネーム〈カルマ〉。十四歳」
少女は前に進み、ぎこちなく敬礼した。
「……〈カルマ〉です。これから、よろしくお願いします」
声は柔らかく、どこか甘ったるさすら含んでいる。
けれど、言葉の端々に「選ばれた側」であることへの誇りと怖さが滲んでいた。
「能力は拘束・鈍化系の広域干渉。ネフの動きを鈍らせ、他の魔女の攻撃機会を増やすことが期待されている」
「サポートタイプか……」
思わず小声で呟いた俺の耳に、隣のレイ・シロサキの囁きが届く。
「……篠原さん。今の、聞こえてますよ」
レイは目を伏せたまま、小さく言った。
「サポートタイプって言葉、あの子はたぶん、あんまり好きじゃないと思います」
「そうか」
素直に引き下がる。
レイの言葉には、自分自身の経験も含まれているのだろう。彼女もまた、防御結界という“補助”の役割を背負わされている。
「〈カルマ〉の運用については、既存の第七戦術魔女隊の戦術パターンを踏襲しつつ、段階的に投入していく」
久我は続ける。
「初回は護衛班と共に後方配置とし、危険地帯での投入は適性測定終了後とする。
……以上が新戦力配備の概要だ」
説明がひと段落したところで、久我がゆっくりと視線を巡らせた。
魔女たち、護衛班、誰の顔も見逃さないように。
「質問がある者は?」
しばらく沈黙が続いた。
やがて、セラが手を挙げる。
「新戦力の出力限界と、代償について。
すでに検査は?」
「初期検査は完了している。出力ポテンシャルは平均より高い。代償については、現時点で特筆すべき問題は確認されていない」
「“現時点では”、ね」
セラが小さく鼻で笑った。
「分かりました」
それ以上は追及しなかった。
追及したところで、「現場の感情論」として片付けられるのがオチだと分かっているのだろう。
「他には?」
誰も手を挙げない。
久我は「よし」と短く言い、会議を締めにかかった。
「では、具体的な運用スケジュールは部隊長から逐次伝達する。
繰り返すが、我々の目的は地上の奪還と、ネフの排除だ。
個別の感情や葛藤は、戦況改善に寄与しない限り優先順位が低い。
各自、自分が“戦力の一部”であることを忘れず動け」
その一言が、会議室の空気を数度、冷やした気がした。
久我 総一郎は、そこで初めて俺のほうを見た。
ほんの数秒。
表情は変わらないが、その視線は、まるで内部を透かして観察するような冷たさを帯びていた。
「以上だ。解散」
号令と共に椅子が引かれ、ざわめきが広がる。
アヤネ──〈カルマ〉は、どう動いていいか分からない様子でその場に立ち尽くしていた。
リナ・サクマが、少し迷ってから彼女に歩み寄る。
「えっと、アヤネさん。私、第七戦術魔女隊のリナ・サクマ、コードネーム〈ルミナ〉です。
一応、この隊だとちょっと先輩になるので……よろしく」
差し出された手を、アヤネはぱっと掴んだ。
その握り方は、思ったよりも強い。
「リナ先輩、ですね。
わたし、がんばりますから。早く役に立てるように」
「う、うん。無理はしないでね」
笑いながらそう言ったリナの目に、一瞬だけ、複雑な影が差した気がした。
自分もまだ消耗され続けている立場なのに、そこにさらに新しい子が投入される。
「仲間が増える」ことと、「代わりが増える」ことが同時に頭をよぎるのは、無理もない。
レイ・シロサキも、少し遅れてアヤネの前に来る。
「レイ・シロサキです。〈シロガネ〉。防御担当です。
……よろしくお願いします」
「〈カルマ〉です。レイ先輩も、よろしくお願いします」
にこ、と人懐こい笑みを浮かべるアヤネ。
表面だけ見れば、ただの少しませた十四歳の少女だ。
──だがその瞳の奥に、どこか焦りのようなものが見えたのは、気のせいではないと思った。
俺は少し距離を置いたところで、その様子を見ていた。
すると、不意にアヤネと目が合った。
「あ」
彼女は小さく声を上げ、そのまままっすぐこっちに歩いてきた。
「えっと、あなたが……護衛兵さん?」
「第七随伴護衛班、篠原悠真だ」
名乗ると、アヤネはぱっと顔を明るくした。
「やっぱり! さっき、会議中に名前呼ばれてたから……
わたし、護衛兵さんと一緒に行けるの、ちょっと嬉しいかも」
「そうか?」
「だって、“魔女”を守ってくれるんですよね?
そういう人がちゃんといるなら、がんばって前に出ても大丈夫かな、って」
その言葉に、一瞬だけ返事に詰まる。
彼女の口調は明るいのに、その実、支えを探して縋りついてくる子どもの声だ。
「……できる範囲で、守る」
結局、それしか言えなかった。
「必ず守る」とは言えない。
そんな約束は、とっくに守れないと知ってしまっているからだ。
アヤネはそれでも、安心したように笑った。
「十分です。
じゃあ、これからよろしくお願いしますね、篠原護衛兵さん」
そう言って、少しだけ距離を詰めた。
近すぎると感じるくらいの距離感。
リナ・サクマが心配そうにこちらを見ているのが視界の端に入った。
(……また、守る背中が増えた)
その事実だけが、じわりと重くのしかかる。
会議室を出たところで、リナが追いかけてきた。
「悠真さん」
「ん?」
「さっきの子……アヤネさん。
なんだか、がんばりすぎそうな感じしませんでした?」
「そうだな」
短く答える。
「自分の価値を、必死に証明しようとするタイプかもしれない。
“選ばれた”って言葉に、縋ってるっていうか」
「……わかる気がします」
リナは、少し笑った。
あまり明るくない笑いだった。
「私も最初、そうだったから。
“選ばれたんだからがんばらなくちゃ”“役に立たなきゃ存在価値がない”って。
……今も、たまに思っちゃいますけど」
「そんなことはない!」
言葉が思ったより強く出た。
「役に立たないお前に価値がないなら、俺みたいな凡人は最初から存在価値ゼロだ」
「えっ、そんな──」
リナが慌てる。
それを見て、少しだけ肩の力が抜けた。
「……とりあえず、これで守る理由がまた一つ増えたってことだ」
「守る、理由?」
「ああ。
お前と、レイと、セラと、アヤネ。
守らなきゃならない背中が増えた。
俺の仕事は、どんどん面倒になっていくわけだ」
「ふふ、そうですね」
リナの笑い方が、さっきより少しだけ自然になった気がした。
そのとき、背後から静かな声がした。
「──“感情的な負担”が増えた、とも言えるな」
振り向くと、廊下の角に久我 総一郎が立っていた。
いつからそこにいたのか分からない。
相変わらず、表情はほとんど変わっていない。
「篠原一等兵。少し、いいか」
名前を呼ばれて、俺は姿勢を正した。
「……何でしょうか」
「先ほどの会議の内容について、だ」
久我は廊下を並んで歩くよう、顎で合図した。
リナ・サクマは空気を読んで一礼し、その場から離れていく。レイ・シロサキとセラ・ミナヅキも、それぞれ別方向へ消えた。
二人きりになった廊下は、さっきまでよりずっと静かに感じられる。
「君は、魔女たちへの感情移入が強いようだ」
久我は、雑談のような口調で言った。
「先日の戦闘映像も確認した。必要以上に前に出ていた場面が複数ある。
それ自体は、結果が出ているので大きな問題ではないが──」
「問題では、ない?」
「現時点では、だ」
久我は足を止め、こちらをまっすぐ見た。
「護衛兵は、“戦術的な盾”であって、“感情的な親”ではない。
魔女たちを人間として扱うな、とは言わない。人格を無視した運用は、むしろ出力効率を下げる。
だが、君のようなタイプは、時に“戦力全体の合理性”を歪める」
それは、遠回しな警告だった。
「……具体的には」
「例えば、作戦遂行より個人的な救出を優先する。
合理的撤退よりも、その場の感情に流されて留まる。
あるいは──」
一拍置き、久我は言葉を続けた。
「敵よりも、味方の“損失”に過剰に囚われる」
イグジス派の説教師の顔が、ふっと脳裏に浮かんだ。
──あなたが本当に“守りたいもの”が分からなくなったら。
あの、底の見えない目。
「……俺は、宗教には興味ありませんよ」
思わず口から出たのは、その一言だった。
久我の眉が、ほんのわずかに動いた。
「何の話だ?」
「いえ。ただ、今日、市民広場でイグジス派の男に顔を向けられまして。
報告は上がると思いますが」
「そうか」
久我は、それ以上表情を変えなかった。
「宗教の話をするつもりはない。
ただ、君が“守りたいもの”を見失ったときに、そこにつけこもうとする連中がいる、というだけだ」
その言い方には、わずかながら現場への理解も混じっているように聞こえた。
感情を切り捨てろ、とだけ命じるわけではない。
切り捨てきれないからこそ、危うい、とも理解している。
「君のようなタイプは、正しく使えば有用だ。
魔女たちの心理的安定は、出力と直結する。
だが、その感情が“作戦拒否”にまで至るなら、君は単なるリスクになる」
「了解しました」
それが今のところの軍の総意なのだろう。
久我は満足したように頷き、背を向けた。
「君の理想が何であれ、我々の目的はひとつだ。
地上を奪還し、人類を生かす。
その枠から外れない限り、私は君のやり方を否定しない」
それが、「線引き」の宣言でもあった。
久我の姿が廊下の向こうに消えたあと、俺はしばらくその場に立ち尽くした。
(……線の内側、か)
その線が、どこに引かれているのか。
俺がこの先、本当にそこからはみ出さずにいられるのか。
答えはまだ出ない。
ただひとつだけ確かなのは――
守る背中が増え、守りたいものの輪郭がはっきりしていくほどに、
軍が引いた「合理的な線」と、俺が勝手に心の中で引き始めた「俺の線」が、少しずつズレ始めている、ということだった。
気づかなかったふりをするには、もう遅い。
その夜、兵舎のベッドの硬さはいつもと変わらないのに、眠りに落ちるまでの時間は、わずかに長く感じられた。
目を閉じると、ネフの歪んだ影と、焦土の空と、新しく増えた少女の顔が、交互に浮かんでは消えていった。
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