第24話 境界線は銀河のギザギザ
放課後の図書室。
窓の外では夕陽が赤く校庭を染め、長い影が机上に落ちていた。
机に広げられた分厚い医学書のページを、あかりは息を詰めるように食い入るように眺めていた。
「……はっ!」
ページの端に、思わず指を突き立てる。
その箇所には、鮮やかな見出しが書かれていた。
——歯状線(Pectinate line / Dentate line)
「……歯状線? なにこれ?」
図のイラストには、肛門管の中ほどをぐるりと囲むギザギザの線が描かれていた。
王冠の先端のように上下に尖った線。
その名前の由来は「歯のようにギザギザしているから」とのこと。
「わ、わかりやすい……けど、なんか妙にカッコいい……!」
あかりの頭の中で妄想が暴走を始める。
指先が震え、手のひらにじんわりと汗が滲む。
(これは……星座の境界線!? 天球儀に描かれた黄道十二宮のギザギザ!? いや、違う……! むしろ、銀河と銀河の“衝突面”だ……!)
ページをめくり、解説文を追う。
——歯状線を境にして、上部と下部ではまったく性質が異なる。
上は「内臓性の神経支配」で痛みを感じにくい。
下は「体性の神経支配」で痛みを強く感じる。
「……っ!」
あかりは思わず机をバンと叩いた。
周囲の生徒が一瞬振り返る。だが本人はお構いなし。
心臓がドクドクと高鳴り、息も荒くなる。
(つまり……歯状線を境にして、痛みの有無が分かれる!? それって……まさにブラックホールの“事象の地平線”じゃない!?)
上の世界——何をしても感覚が曖昧で、痛みも希薄な領域。
下の世界——少しの刺激でもビリビリと痛覚が炸裂する過敏な領域。
(片方は“観測不能な宇宙”、もう片方は“現実にさらされる宇宙”……!)
震える手でノートに書き込む。
【歯状線=宇宙の境界線】
【痛覚の有無=観測の有無】
「こ、これは……すごい発見よ……!」
ページの図を凝視する。
ギザギザの線の上に、細い縦のひだが並ぶ。
肛門柱と呼ばれる粘膜の構造で、彼女の頭の中では星の群れに変換されていた。
「ふむふむ……肛門柱が星の群れだとしたら、その間のくぼみ“肛門洞”は暗黒星雲……。
ギザギザの歯状線は、それらを一気に分ける“宇宙の境界壁”!」
自分で言って鳥肌が立つ。
しかも、この線を越えると血管や神経の性質もまったく違うらしい。上と下では病気の出方まで変わるという。
(なにそれ……! まるで異世界じゃん! ここを一歩またいだら、そこは痛覚も運命もルールも違う、もう一つの宇宙!)
胸が熱くなり、息が荒くなる。無意識に立ち上がりそうになったが、隣の席で勉強している美咲に肘で止められる。
「ちょっと、なに興奮してんのよ」
「み、美咲ぁぁっ! 今ね! 人体に隠された“銀河の境界線”を見つけたの! しかもギザギザよ! ギ・ザ・ギ・ザ!!」
「……いや、落ち着け。どう見てもただの解剖図でしょ」
「違うの! これは宇宙! 宇宙なんだよおおおお!」
興奮のあまり、あかりは両手を広げて天井を仰ぐ。
静かな図書室に、妙に通る声が響き、何人かの生徒がクスクス笑う。
「……恥ずかしいから座りなさい」
「うぅ……でも、わかって欲しい……この胸の高鳴り……!」
美咲は大きなため息をつきながらも、あかりのノートを覗き込む。
そこには銀河の図と肛門の断面図が並んで描かれ、境界線を赤く強調していた。
(……銀河と肛門を並べるやつ、初めて見たわ)
心の中で笑いを堪えながらも、美咲は思った。
(でも、こうやって毎回大げさに妄想するから……この子はバカみたいに楽しそうなんだよね)
ページを閉じ、あかりは小さく拳を握った。
「決めた。私……この“肛門宇宙論”を完成させる! だってこれは、誰も知らない真理なんだからっ!」
鼻息荒く宣言するあかりを見て、美咲は机に突っ伏して笑い転げた。
(……やっぱりこの子、世界ランク1位のアホだわ)
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