第18話 車内広告と宇宙のハッチ
土曜の昼下がり、車内は穏やかな光に包まれていた。
星野あかりは美咲と二人、揺れる電車の中で窓の外を眺めていた。
ショッピングモールで映画を観る約束をしていたのだが、
あかりの視線はまったく映画のことには向いていない。
目線の先は、天井の吊り革に貼られた広告――
【山本肛門科クリニック 日帰り痔手術 最新レーザー治療】。
「……っ!!!」
全身がビリビリと痺れる。心臓の鼓動が早まる。
(や、山本肛門科……!?)
思わずスマホを取り出し、検索窓に打ち込む。
《山本肛門科クリニック 口コミ》
《山本肛門科 日帰り手術》
《山本肛門科 場所》
地図アプリが表示された瞬間、あかりの目が大きく見開かれる。
(うそ……うちの学校の近くじゃん……!)
さらに嫌な予感がよぎる。
(……山本……って、ひょっとして隣のクラスの山本崇の家……!?)
頭の中に、小学生時代の記憶がフラッシュバックする。
給食の時間、山本がぼそっと「うち病院なんだ」と言ったとき、
「へーそーなんだーふーん」と聞き流していたあの瞬間。
(まさか……まさかの肛門科だったの!?)
雷に打たれたように背筋が伸びる。
(山本家は日々、真理に近づこうとしているの……? 家族ぐるみで!?
くっ……! 負けてられない!)
拳をぎゅっと握ると、脳内に山本家のダイニングテーブルが現れる。
そこは普通の夕食風景ではなかった。
テーブルの上にはカレーや味噌汁と並んで、人体解剖図や内視鏡写真が置かれている。
「今日の患者データはこれだ」
白衣姿の父がタブレットを見せると、母がうなずき、祖父母までもが真剣な表情になる。
「崇、ハッチの開閉角度は?」
「35度から45度に調整しました。レーザー出力は30%、直腸壁に損傷なしです」
その瞬間、食卓の中央でカレー鍋が光り出し、銀河の渦のように回転する。
あかりは思わず息を呑む。
(やばい……あれは完全に“肛門宇宙”のシミュレーター……!)
祖母までもが真剣な顔でカレースプーンをかき混ぜながら言う。
「いいかい崇、ハッチはただ開けばいいわけじゃない。人類の未来がかかってるんだよ」
「はい、分かってます……!」崇はきらりと光るメスを握りしめる。
(……こんな家族会議してるの!?
山本家、全員で宇宙の真理を追い求めてるの!?)
額からじわっと汗がにじむ。
(危ないところだったわ……眞鍋海斗以外にも、こんなところに伏兵がいたなんて!
油断も隙もあったもんじゃないわね!)
心の中で高らかに宣言する。
(必ずやってのけてみせる!
私の方が山本一族より先に解き明かしてみせるんだから!
この勝負、絶対負けられない!!)
現実に戻ったあかりは、スマホを胸に押し当てて深呼吸した。
「——でも、分かってしまったの。人体は、重力と戦うための宇宙船だったって!」
「はぁ!?」
美咲が素っ頓狂な声を上げる。
「痔は重力、レーザーは光子砲、肛門は宇宙船のハッチ……!
そして山本家はそのハッチを日々研究してる一族……!
私もペースをあげなきゃ負ける!」
「意味不明すぎる!!!」
美咲はツッコミを入れつつも、心の中では涙が出るほど笑っていた。
(ほんと、この子の頭ん中どうなってんの……やばすぎでしょ……!)
電車は次の駅に停まり、ドアが開く。
外の光が差し込み、車内の空気が一瞬柔らかくなる。
あかりは決意を胸に席から立ち上がる。
吊り革広告を再び見上げ、にやりと笑う。
(山本崇……次会ったときは、絶対真理を引き出してやる……!)
電車の振動に合わせて、妄想の銀河は微かに揺れながらも広がり続ける。
小さな広告一枚から、無限の宇宙が生まれる——
あかりの頭の中では今日も、小さなビッグバンが繰り返されていた。
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