第10話 神の設計図
週末の夜。
窓の外は静かな闇に沈み、机の上のスタンドライトだけが淡い光を落としている。
あかりは分厚い医学書を広げ、そのページに視線を釘付けにしていた。
(……ふふっ。ここまできたら、もう“肛門宇宙論”をじっくり深掘りするしかないわね……!)
ページをめくると、そこに現れたのはカラフルな解剖図。
直腸から肛門へと続く断面が精緻に描かれていた。
まず目を奪ったのは、粘膜の色だった。
淡い桜色の層が、幾重にも重なって内側に広がっている。表面は滑らかで光沢を帯び、まるで花弁を半透明に透かして並べたかのよう。
さらに外側には、環状に走る筋肉のリング。濃い紅色の帯が、同心円状に幾重にも積み重なり、しなやかな曲線を描いている。
(……きれい……)
思わずため息が漏れる。
それはただの解剖図ではなく、まるで芸術作品のように見えた。
放射状に伸びる筋繊維は、桜の花弁に差し込む朝の光の筋のよう。輪郭を縁取る線は曼荼羅の模様を思わせるほど精緻で、見ているだけで心が吸い込まれる。
「……便が直腸に溜まると、その刺激が“センサー”に届いて……内肛門括約筋がゆるむ。で、外肛門括約筋を自分の意思で開けば、便が排出される……」
小さく声に出しながら、鉛筆の先で解剖図をなぞる。
粘膜の淡いピンクと、筋肉の深紅のコントラストは、まるで宇宙空間に広がる星雲のように見えた。
(そうか……外側は“意志でコントロール”できる。だけど内側のゲートは“無意識”に働いている……。
じゃあ逆に、便が溜まっていないときに――どうやって内側を開けるの!?)
あかりは鉛筆を握りしめた。
(内肛門括約筋は本来、便が直腸に溜まったとき、その圧力が“センサー”に届くことで反応する。
自律神経で制御されていて、リラックスしたときに初めてゆるむ。
そして、その状態で自らの意思によって外肛門括約筋を開放すれば――排泄が成立する。
つまり、基本の流れは“内から外”……一方向の開放手順!)
脳裏に、内から外へのプロセスが描かれる。
だが――そこでふと立ち止まる。
(……え? じゃあ逆は? 外から入ってくる場合は……?)
震える指でページをめくると、そこに記されていたのは医療器具の挿入手技だった。
ローションなどで滑りをよくし、器具を肛門口にゆっくり当てがう。
そこから少しずつ押し進めると、まず外肛門括約筋が自力で拡張し、開放される。
その先に待つのは――内肛門括約筋。
(ここで本来なら“拒絶”するはず……なのに……!)
説明にはこうあった。
――外側からの刺激を持続すると、内肛門括約筋のセンサーが“誤認”し、あたかも便が溜まったかのように自律神経が働き、ゲートが開く。
リラックスとともに、内側の門は“外からの侵入”を許してしまう。
(……っ! センサーが誤認するなんて……!)
血の気が引くと同時に、胸が高鳴った。
(もし神様という存在がいて、人間を創造するときに本当に“一方向排泄専用”なら、神様がこんな設計ミスをするはずがない…
違う……! これはミスじゃなく、“意図”だ!)
脳裏にビルの設計図が浮かぶ。
通常の出入口とは別に、必ず非常口を設けるように――。
(神様はいざというときのために、逆方向からの刺激でも開放できる“緊急脱出口”を組み込んだんだ!
肛門は単なる出口じゃない……非常ハッチでもある……!)
ごくり、と唾を飲み込む。
(神はそこまで想定して、人間を創造したということ……!?)
脳裏にひらめきが走り、胸が高鳴る。
(つまり……内肛門括約筋は常に閉じている。だけど“ある条件”のときだけ無意識にゆるむ。
それを“意志のゲート”と連動させれば――宇宙の二重ドア、エアロックとまったく同じじゃない!?)
息を呑んでページをめくると、次に現れたのは医療器具の図解だった。
⸻
そこには、いくつかの器具が並んでいた。
まず目に入ったのは、細径の内視鏡。
直径5〜6mmほどの黒いチューブで、しなやかに曲がる材質をしている。先端には小さなレンズと光源が組み込まれ、まるで宇宙探査機のような精密さを備えていた。
(これくらいなら……鉛筆より少し太いくらい……? うん、余裕そう……)
ページを進めると、今度は一般的な大腸内視鏡が現れる。
直径は12〜14mm。チューブは太く、手元のコントローラから自在に動かす仕組みになっている。
その存在感はまるでホースのようで、細径スコープに比べるとぐっと圧迫感がある。
(……いやいや、これもうかなり太いじゃない……?)
さらにめくると、金属製の直腸鏡が登場する。
銀色に輝く硬い円筒。先端は直線的に切り落とされた形で、長さ20cmほど。直径は15mm前後ありそうだ。
冷たい金属光沢が、ぞくりと背筋を走らせる。
(これ……入れるの? 本当に……?)
そして最後に――決定的な図が現れた。
“直腸用超音波プローブ”。
棒状の器具で、先端がなめらかに丸く膨らんでいる。プラスチックと金属が組み合わさった冷たい質感。
サイズを確認すると――直径18〜20mm。
(…………えっ!?)
思わず鉛筆を取り落とした。
目をこすって数字を見直しても、やはり「18〜20mm」と書いてある。
(たしか……人間の肛門括約筋の通常時の直径って、せいぜい8〜10mm程度のはず……。
え!? じゃあ、この直腸用超音波プローブ……直径20mm近いのに!?
――入るの……⁉︎)
喉がごくりと鳴った。心臓が早鐘を打つ。
⸻
ノートを開き、勢いのまま書き殴る。
「肛門の直径=8〜10mm」
「細径スコープ=6mm」
「大腸内視鏡=12〜14mm」
「直腸鏡=15mm」
「直腸用超音波プローブ=18〜20mm」
「⁉︎」
文字の横に大きな感嘆符を書き込み、手が震える。
(……肛門って、本当に“外からの侵入”を許す設計なの?
いや、もしかすると――もともと“拡張性”を前提にした神の設計図なのかも……!)
胸が震えた。
外肛門括約筋と内肛門括約筋――二重のゲートが、無意識と意識のバランスで働く。
それはまるで、ブラックホールの事象の地平線が質量によって直径を変化させるように。
(片方向じゃない。出すだけじゃなく――受け入れることも可能なゲート。
人間の身体は“銀河の双方向ポート”として設計されていたんだ……!)
脳裏に浮かぶ。
肛門のリングは、宇宙船のドッキングポートのように開閉する。
意識ゲートと無意識ゲートが連動するその姿は、まさに宇宙エアロック。
震える手でノートに書き込む。
「内肛門括約筋=無意識ゲート」
「外肛門括約筋=意志ゲート」
「二重ゲート=宇宙エアロック」
そして最後に大きく――
「神の設計図=肛門宇宙論」
鉛筆の芯が折れるほど力強く書き込み、深いため息をついた。
(ああ……やっぱり肛門はただの穴なんかじゃない。
宇宙に通じる“神の設計図”そのものなんだ……!)
その瞬間、胸の奥でまたひとつ銀河が芽吹いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます