第11話 ライバル 眞鍋海斗

 まだ冷たい風が図書室の窓を揺らし、薄曇りのガラスを通して冬と春がせめぎ合う午後だった。


 あかりは禁断の医学書を机いっぱいに広げ、鉛筆を握りしめる。その目は真剣そのもので、まるで未知の宇宙を航行する探検家のようだった。


(よし……今日こそ肛門括約筋のシワ構造を徹底的に深掘り……!)


 ページをめくるたび、無数の放射状のシワが目に飛び込む。光の反射でページが微かに輝き、まるで星図のようだ。


(このシワたち……絶対にただの飾りじゃない……! これは宇宙からのメッセージ……!)


 脳内でファンファーレが鳴った、その瞬間――


「……脳のシワひとつひとつには、情報が刻まれている」


 静かに声が聞こえる。あかりは隣を見ると、そこには秀才・眞鍋海斗が分厚い脳科学の書物に没頭していた。


 ページには緻密な脳の断面図と複雑なシワの迷路が描かれている。彼の眉間に寄せられた真剣な表情が、図書室の静寂の中でより際立つ。


 あかりの脳内で爆発音が鳴り響く。


(きたーーーーっっ!!! 仲間!? いや違う……ライバルだあああ!!)


 ガタッと机が揺れる。鉛筆が転げ落ち、ノートに書きかけの文字が少しにじむ。


 あかりは慌ててペンを握り直し、殴り書きで書き込む。


「脳のシワ=情報」

「肛門のシワ=宇宙情報」


 勢い余って二重線で囲み、赤丸をつける。その瞳は炎のように輝き、呼吸は荒くなる。


(そうよ……! 脳が思考のアーカイブなら、肛門は宇宙のアーカイブ!!

 あの放射状のシワひとつひとつに、宇宙の歴史と真理が刻まれているの!)


 頭の中で銀河が回転し、ブラックホールと超新星が次々と爆発するイメージが湧き上がる。


「そうか……肛門シワ暗号を解読すれば、ワームホールの方程式すら導ける……!」


 思わず声に出してしまい、近くの生徒にチラッと見られる。だが、そんなことはお構いなし。


(眞鍋海斗……! あなたも気づいたのね、このシワの可能性に……!)


 脳のシワVS肛門のシワ――頭の中では、銀河を舞台にした最終決戦が始まった。


 青白く光る脳シワレーザーが宇宙空間を駆け、黄金に輝く肛門シワビームと激突する。ブラックホールが揺れ、星々が散り、微細な隕石が飛び交う。


「負けない……私の肛門シワ理論で、宇宙の扉を先に開いてみせるんだからッ!」


 机に両手をバン!と叩きつけ、呼吸を荒げるあかり。全身が熱く、頭の中の銀河も光の速度で回転しているかのようだった。


 その横で海斗は、冷静にシャーペンを走らせる。


「……脳の血流パターンとシワの関係性、ふむ、実に興味深い」


 ただ勉強していただけなのだ。自分が勝手に“宇宙最終決戦のライバル”にされていることなど、まるで知らずに。


 あかりの視線が海斗の手元から逸れることはなかった。鉛筆の動き、ページをめくる指先、眉間の寄せ方まで、すべてが戦略の一部に見える。


(……なるほど、これはライバルの存在が、私の妄想を加速させる装置なのね……!)


 図書室の静寂は、彼女の妄想によって宇宙戦争の戦場へと変貌した。窓の外では冬の冷たい光が差し込み、雪が舞い落ちる。それさえもあかりの目には、銀河系の端々で漂う星々に見えた。


 今日も、あかりの小さな宇宙は爆発を繰り返しながら、静かに膨張を続けていた。

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