第6話 一夜明けて(※)

(※後半、やや残酷表現あり)


目が覚めると、私は質素な部屋の硬いベッドにいた。窓の外は薄明るい。

日の出からさほど経ってないようだ。


あぁ、私ったら、久々によく寝たわ。


 異世界のどこか、見ず知らずの少年の住む家で、無防備に。

転落死を試みて、迷い込んだこの世界で、気色の悪い生き物に追われて。

人家に匿われて。


 ……現実世界で働いてたとき以上によく眠った。あの頃は不眠に悩まされていた。


あの頃と言ってもまだ2,3日前か。

 


 眠い目をこすりながら私は階下へと降りた。


 ん? ……図書室から人の話し声がする。


あの子以外に誰かいるのだろうか?


そっと扉を開けると、図書室のテーブルに少年あの子と他に2人の人間がいた。


皆が一斉に私を見る。


一人は金髪に緑の目をした、歳の頃は30代ぐらいで鍛え上げられた体をした男性。彫りの深い目鼻立ちで濃い顔のイケメン。


 もう一人は10代後半から20歳になっているかどうかくらいの黒目黒髪の細く引き締まった体格の若者。しゅっと鼻筋の通った涼やかな顔立ち。


 なんだろう、年齢も顔貌のタイプも違う美形が目の前に並んでいる。


 ……選り取り見取りって感じだ。


「$`:・(¿」


 黒髪の若い子が私を見つめて何か言った。

 私がそれがどういう意味か分からずにまごついていると、3人が私を見ながら、知らない言葉であれこれと喋りだした。


 少年、若者、男性は本当に打ち解けている。

あの少年もなにか言われるたびに、きまり悪げに口をとがらせたり微笑んだり、表情が目まぐるしく変わる。


あの冷ややかな眼差しと頻繁なため息は、今はなりを潜めている。


 その様子に、自分がほんとうに余所者なのだと思い知らされる。


少年だけでなく男性がさらに2人増えたこの家に、自分が紅一点であることも、とてつもなく不安になってきた。


 こうして他の人達がいるなかで、自分だけが完全に置いてけぼりだ。 


どうして良いか分からなくて俯いていると、コンコンと誰かが机の天板を叩いた。


その音に視線を上げると、黒髪の若者が

「$;@」と、同じ言葉をゆっくり繰り返しながら私を手招いた。


 もしかして、この【$;@】は、おいで、とか、来いって意味なのかな。


 彼のところへ行くと、他の二人がじーっと私を見た。


彼は「ラン」と言って自分を指さし、

少年を指して「ルド」、

男性を指して「マーシュ」と言った。


これは彼らの呼び名を私に教えてくれたのだ。


「ルド」「マーシュ」「ラン」

 私が一人ずつ名前を呼ぶと、それぞれこちらに視線をよこしたり、軽く手を挙げたりしてくれる。


それを3回ずつ繰り返して、黒目黒髪の若者・ランは今度は私を指さして首を傾げた。


私の呼び名を訊いてくれたのだ。


嬉しかった。

何がそんなに嬉しいのか自分でもよく分からないのだけど。

とにかくすごく嬉しかった。


「私は、ももかです、かつらぎももか、ももかって呼んでください!」


彼らの知らない言葉でついまくし立ててしまった。

ランは困ったように笑って、「モカ?」と聞き返してきた。


 あ、それで充分です。

私は今日からモカという名前でいこう。

なんだか生まれ変わったような気さえする。


「モカ」

 私は自分を指してそう宣言した。


 名乗りが済むと、マーシュが退屈そうに大あくびをして、ルドに何か言った。

ルドとマーシュは連れ立って図書室を出ていく。


 ランは反対に、図書室の奥の扉をくぐって塔の方へ行ってしまった。


私がランとルドたちどちらについて行こうか悩んでいると、ルドに「モカ」と呼ばれた。


……名前で呼んでもらえるって、嬉しいな。


 二人は屋敷の外へ出ると、何故か上半身裸になった。


脱ぐと一層逞しいマーシュと、肉付きの薄いながらもよく締まっているルド。


 うわぁ、朝っぱらから何を見せられているんだろう。つい見惚れてしまう。



二人は剣の素振りを始めた。


鞘に入ったままの剣を、抜けないように紐で縛り、それを何度も振り下ろす。


そのたびに剣はしゅん、ひゅっと勇ましく風を切る。


 私はマーシュとルドのしなやかに動く筋肉に魅了されながら、素振りの回数を何ともなしに数えていた。


 108回目で二人とも動きをぴたりと止め、辺りを見回した。


そして緊張した面持ちで、二人は剣に巻き付けた紐を急いで解き始めた。

 

 え、なに、何か起きているの?


理由が分からないながらも、私は二人の邪魔にならないよう、じりじりと後退りした。

 

私の背後で、ぎぃいっと音を立てて塔の出入り口の扉が開いた。


私がその音に振り返ると、ランが戸口にもたれて此方を見ていた。


ランも辺りを警戒しているのか、その手には抜き身の短剣が握られていた。


 ぐぁおぉぉぉん

 獣の吼える声がした。

 すぐ近くにいるようだ。


 ルドもマーシュも、そしてランも。

気配を察知して、こうして武器を手にしているのだ。


…………でも、あの獣は、大きくて力も強そうで、見た目よりずっと俊敏で。


昨日の、毛むくじゃらの肉食ゴリラを思い出し、私は背筋の凍るのを感じた。


息が苦しい。心臓がバクバクする。 


恐怖でしゃがみ込んでしまった私を、

 「モカ!」

ランが鋭い声で呼んだ。


私はその声に弾かれたように立ち上がった。


転びそうになりながら、急いでランのところへ逃げ込んだ。

 ランは私を屋内に引き込むと、素早く戸を閉めた。


扉一枚隔てた外からは、怒号と咆哮が聴こえてくる。


 ランは震える私を優しく抱き寄せ、宥めるように、髪に軽い口づけを落としてくれる。


 ……美男子からの可愛らしいキスに胸がドキドキしてしまう。


こんな非常事態なのに、私ったら。


 私は熱をもった頬を隠すようにランの胸に顔を伏せた。

 

ぎゃおぉぉ……

 やがて獣の叫びが途切れ、外の騒ぎが静かになった。

 ……二人とも無事だろうか。


 心配したのも一瞬で、ばたぁん!と賑やかに扉が開いた。


血まみれのルドが満面の笑みで立っていた。

……討ち取った獲物の生首を掲げて。


「ラン、モカ!」

ルドは喜々として私の目の前にそれを差し出した。


 鼻をつく、獣の血の臭い。

  

あ、やだ。無理。


私はその場で嘔吐した。

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