第13話 私を忘れないで
地区大会3位入賞おめでとう」
玲奈はグラスに注がれえた烏龍茶を上げなながら言った。
「おう。サンキュー」
俺もそれに応えてグラスを当てた。カチャリと無機質な音が病室に響く。
サッカー部は無事に地区予選3位入賞を勝ち取った。
玲奈は勝利した時の為に看護師さんに烏龍茶を用意しもらっていた。重要な試合だからこそ勝利を祝いたかったらしい。玲奈の体調と病室という場所でもあるから、二人で粛々と勝利を分かち合った。
「県大会はいつなの?」
「一ヶ月後の八月末。だから折角の夏休みを返上して練習三昧だよ」
「その割に顔は楽しそうだけど」
「そりゃ県大会だぞ? ワクワクもするよ」
県中から激戦を勝ち残った強豪たちが一堂に介するのだ。緑丘中学と同等の強豪校。その一角に我が校のサッカー部がある。不安もあるが、それ以上に武者震いがした。
「そうだ。君、まだ私に準決勝の試合を見せていないでしょう」
玲奈の指摘に、俺の県大会へ高揚から一転して嫌な汗を掻きそうになった。
地区大会の結果は、3位決定戦で勝利したことによる勲章だ。だがそれは、準決勝で破れてしまったが故だった。県大会に出場は出来ても、敗北した試合を玲奈に見せたくなかった。
「······あぁ、あれはな······」
「はやく見せて」
俺が声を濁していることを知ってか知らずか、玲奈は布団をポンポンと叩きながら急かした。無表情ではあったが、真っ直ぐな双眸から圧を感じてならない。
「でも、あの試合は······」
準決勝は相手側に1得点を先取されたまま終わった。それだけでなく、敗北は俺が相手にボールを取られる失態をした故に、点を入れられる原因を作ってしまったことだった。
敗北や失態より、応援してくれていた玲奈に残念な顔をしてほしくなかった。
「負け試合なのは知ってる。それとも、他に見せたくない理由があるの?」
玲奈は訝しげながら凝然と俺を見詰めた。決して目を合わせることは出来なかったが、それでも押し潰されそうな冷厳さがあった。静まり返った病室に、廊下を歩く足音が響いてくる。永遠にも思える数秒が経ち、依然として直視の視線が深々と刺さっていた。
「······俺のせいで先制点を入れられてさ、その後も何度か挽回しようと頑張ったんだけど、点を入れることができなかったんだ」
俺は遂に降参して、訥々と意図を話した。玲奈には残念も失望も抱かせたくなかったが、俺では誤魔化し続けることは難しかった。その後に紡がれる言葉に緊張が走った。
「なんだ、そんなこと」
だが、玲奈は俺の恐れとは打って変わって、心底くだらないと言うように嘆息まじりで紡いだ。試合の失態だけでなく、隠していたことにも叱責を受けると思っていたのに。
「くだらない見栄は張らなくて良いから、はやく見せて」
「良いのか? ガッカリするかもしれないぞ?」
「結果や成果なんてどうでも良いの」と玲奈は悠然と首を振った。「そんなのは二の次。それに、君は勝てるように全力を尽くしたんでしょう? ならそれを見せて」
その言葉に、俺は酷い間違いをしていることに気が付いた。俺が与えたかったものなど、玲奈は求めていなかったのだ。
「私は大切なことに一生懸命になれることが生きるってことだと思うの。例え結果が伴わかったり、不格好な姿になっていても、最後まで争う姿勢に突き動かされることもある。だから結果が全てじゃないの。それに、私は君の勝つ姿や活躍している姿が見たいんじゃなくて、本気でサッカーをしている姿を見たいの。それが病室に引き籠もっている私の数少ない楽しみなんだから」
俺は本当に馬鹿だったと後悔した。玲奈が試合映像で俺を追っていたのも、活躍する俺でなく、サッカーをしている俺を見ていたと分かった。勝つことで喜んでもらおうとしていたが、玲奈は結果ではなく過程を見ていてくれていた。勝利と活躍ばかりに囚われていた自分が酷く小さな人間に思えた。
「分かった。すぐに見せるよ」
俺は一切の迷いもなく準決勝のビデオをテレビに繋いだ。
次の3位決定戦でもし負けてしまっても、今日のような後悔はしないだろう。俺のサッカーをしている姿に喜んでくれる人がいる。例え負けたり失敗しても、彼女喜んでくれるようなプレイをしたいと思った。
俺は試合の他に、玲奈にも朗報があってほしいと強く願った。
もしも玲奈の体調が良くなれば一時的に退院ができるかもしれない。俺の前で発作は一度も起こらなかったから、思っていたより今の病状は軽いのだろう。ドナー提供者が現れなければ卒業まで生きられないと怖い真実を聞かされたが、まだ猶予は一年ある。その間に何か起こるはずだ。
俺はそんな願望を抱いた。
俺は夏休みの殆どを玲奈の病室で過ごした。サッカー部の練習終わりに病院へ直行して、面会時間ギリギリまで玲奈と話をする。そのため彼女とは家族以上に過ごしていることになる。家は夕飯と風呂と睡眠をするだけの場所となっていた。
時折見舞いに来る洋さんや玲奈の両親とも顔を合わせた。洋さんや彼女の両親もほぼ毎日見舞いに来ていたが、午前中だったり、俺が部活動中だったりと顔を合わせる機会がなかった。俺は家族水入らずの場を設けるため席を外そうとすると、玲奈は「君もいて」と俺の退室を拒んだ。
玲奈の両親は俺がよく見舞いに来ていることを既に耳にしているようで、特に迷惑とは思っていなかった。むしろ「いつも玲奈のためにありがとう」と母親は頭を下げ、「玲奈が寂しく過ごしていないのは君のおかげだから凄く助かっている」と父親が感謝の言葉をくれた。照れくさくなって言い淀んでいる俺を見て、玲奈は面白そうに笑っていた。
思い出しながら、もう何度見たか分からない自動ドアを潜った。静寂な院内は相変わらずだが、入り口から差し込む朝の陽光が珍しかった。
柱の時計は午前8時40分を指していた。玲奈と約束した時間は9時。今日は昼まで玲奈のお見舞いだ。
俺はいつものようにドアをノックしようとするが、昨日の玲奈の言葉が想起されて手が止まった。返事がなければ寝ていると言っていた。つまり玲奈の寝顔が見れるというわけだ。そう思うとノックする手が軽快になる。
「入って」
だが、ドア越しから玲奈の澄んだ声が聞こえてきた。寝ているは愚か、鮮明な意識を声音から感じる。真面目な彼女らしく早起きなんだろう。俺は少し残念に思いながらドアを開けた。
「よっ、来たぞ」
ドアの先にいた玲奈は、白い肌の輪郭に朝の光を纏っていて、いつも会う時より綺麗に見えた。俺へ向ける微笑に、寝顔でなくても良いと思えた。
「私の寝顔が見れなくて残念でした」と玲奈は見透かしたような勝ち誇った笑みで言った。
「え、なんで分かった?」と俺は驚いた。
「本当に見たいと思ってたの? 早起きして良かった」と玲奈は軽蔑の視線を向けた。
「朝一ではめるな」
俺の突っ込みに、玲奈はクスリと笑った。病気であるはずなのに、病人らしさは一度も見たことがなかった。元気な立ち振る舞いを見せてくれることは俺にとって救いだった。本当に一時的でも退院できるかもしれない。
「寝癖が立ってる」と玲奈は言った。
「え、マジ?」
俺は髪に触れると、右横に確かな跳ねがあった。強引に手櫛をするが頑固にも跳ねた。
「来て。整えてあげる」と玲奈は手招きした。
俺はおもむろに彼女の元に行くと、どこからか出したブラシと霧吹きで整え始めた。その滑らかさを感じさせる丁寧な手付きに、玲奈の綺麗な髪の秘密が分かった気がした。
「ところで、例のものは持ってきた?」と玲奈は言った。
「宿題だろ? 持ってきたよ。気が重いけど」
勉強道具は持ってきたが、今は玲奈と何か楽しいことをしたい気分だった。嘆息交じりに言った俺に、玲奈はクスリと笑った。玲奈が俺を茶化す頻度が増していくが、それはそれとして楽しそうでなによりだ。
俺は大人しく宿題に勤しんでいると、玲奈は隣で分厚い小説を読んでいた。時折見せる髪を耳にかける仕草に見惚れて、俺は集中力を削がれそうになった。
玲奈はずっと学校に行っていないはずなのに、俺が解けずに苦心している問題を悠然と解いて教えてくれた。俺が「何で分かるんだ?」と尋ねると、玲奈は「退院になったときに授業に追いていけないと困るでしょ? 時間はあるから出来るときにやっておくの」と言った。彼女の頭の良さには驚愕だが、同時に毎日授業に出席しているはずの俺が教えてもらうのは恥ずかしく思う。
「飲み物買いに行ってくるよ。何飲みたい?」
「麦茶でお願い」
俺は「おう」と言って席から立った。
「あ、待って、お金は出すから」
「良いよそれくらい。俺の奢りだ」
病院内を回って自販機を見つけると、そこには数字が揃うと一本無料と記載があった。このような自販機では何度か購入したことがあって、当たるかどうか友達と賭けたこともあった。だが当たった試しはない。だから期待もしなくなった。
料金を入れてボタンを押す。取り出し口からペットボトルが落ちると同時に電子数字が映った。その時、もし当たれば、玲奈にドナー提供者が現れて助かるかもしれない。と俺は思ってしまった。6、6、6、と数字が並ぶ。俺は期待などしていないはずなのに、その数字に目が離せなくなった。
だが、4つ目の数字は9だった。俺は、だろうな、と思いながら嘆息した。こんな物を当てにして何になる。それに当たったとしても、運を消費したみたいで、余計に玲奈の助かる可能性が薄くなるかもしれない。俺は馬鹿馬鹿しく思いながら天然水のボタン押した。
夏休みの間、俺は一日も欠かさず玲奈のお見舞いに来ていた。一人で病室にいるのは寂しいと思うから、課題をやる傍、玲奈の話し相手になることで少しでも寂しさが和らいでほしいと思った。本当なら課題などせず玲奈に意識を向けたいのだが、そのことについては玲奈は手厳しかった。「私の心配はありがたいけど課題をサボって本末転倒になるのはやめて。長商志望なら内申点も取らなきゃ」だそうだ。
「雄一君」
「ん?」
唐突に玲奈の呼びかけられたので、俺は漢字を書きながら生返事をした。だが、玲奈の方から一向に声がなくて、俺は怪訝と目をテキストから離した。
「どうした?」
尋ねると、玲奈は俯いたまま黙っていた。何か言いたいことがあると分かったが、彼女の舌に転がる言葉は判然としないので、怪訝さは増していった。
「······県大会頑張ってね」
「大会はまだ先だぞ」
「それは分かっているけど、大事な大会だから」と玲奈は不安そうに言った。「本当なら退院して実際に応援できたら良いんだけど」
玲奈は名残惜しいと言うような、寂しげな顔をした。彼女が一時的にも退院できるかどうかは不明瞭だった。
「気持ちは受け取ったよ」と俺は言った。「必ず勝つ。とは言えないけど、でも、勝てるようベストを尽くすよ。だから玲奈も祈っていてほしい」
俺は玲奈の元気が損ねない言葉を選んだ。
「そうだ、試合の前日にキスでも······」
「調子に乗らないで」と玲奈は殺気を込めて言った。
「冗談だよ」と俺は笑って流した。
俺のからかいをどう思ったのか、玲奈は呆れたように嘆息した。
「なんだか、悩んでいたのが馬鹿みたい」
なにはともあれ、調子が戻ってくれたのは嬉しかった。
「県大会でベスト8なんだから、充分健闘した方でしょう」
今日は洋さんも病室に来ていた。試合を撮影した彼女は、俺と玲奈を交互に見ながら励ますように言った。
県大会の二日間は終了し、試合終わりに合流した俺と洋さんは一緒に病院へ向かった。
県大会は二回戦で敗退となった。これで今年のサッカーの大会は終わり、来年の大会を目指して練習を続けることになる。やりきったという感慨深さもあるが、もう一試合でも多く出場したかったっという名残惜しさもあった。だが県の壁は高かった。
「来年また頑張りますよ」と俺は言った。
「そうそう! その意気だよ」と洋さんは力強く言った。
すると、隣から「来年······」と呟かれた声が聞こえ、その先に振り向くと、玲奈が虚空を眺めていた。
「ごめんな玲奈。あと一試合勝てば三位決定戦も含めて二試合見せてあげられたんだけど、力不足だったみたいで」
「何言ってるの。力不足なわけないでしょう。確かに勝てば嬉しいけど、君は十分健闘したと思う」
玲奈は咎めるように言った。だが、俺には大会前のもう少し見てみたいという言葉が去来していた。気を遣っているとしたら、やはり申し訳ななく思えてきた。
「雄一君は高校でもサッカーをやるの?」と神妙となった空気に、洋さんの砕けた声が響いた。
「はい、そのつもりです」
「じゃあ、今回の結果ならサッカーの強い高校に入れるんじゃない?」
「できれば長商に入学したいと思ってます」
「長商⁉︎ あの有名な? 凄いじゃん。意識が高い」
洋さんは目を見開きながら驚いた。玲奈は快活な反応を見せないが、玲奈とそっくりな顔で褒められると、俺はやはり照れ臭くなって言葉を失ってしまう。顔に熱を感じながら俯いた。
「知ってるだろうけど、偏差値も高いから学力も必要でしょ? そのへんはどう?」
洋さんとは対照的な冷静な声が聞こえてきた。俺はまたも言葉を失ったが、それは痛いところを突かれた図星によるものだった。彼女に顔を向けらない。
「······まぁまぁだな」
「なるほど。つまり足りないと」
「次の大会までは勉強にも集中しないとな······」
「大丈夫だって。まだ間に合うから」と洋さんの励ました。
何故同じ姉妹で正反対に違うのか不思議になってくる。洋さは気楽になれるように励ましてくれるなら、玲奈は気分を鼓舞されてくれるよう励ましてくれる。二人の共通点はとても優しいというところだった。
俺は病室を訪れた際、玲奈に世間話を聞かせることが多くなっていった。学校の事、部活の事、友人の事、勉強の事、テストの点数が上がったこと。文化祭の事。その他にも、俺たちが好きなガッツの大冒険やグリムの大冒険の話を切り出して玲奈の笑いを誘うなどして、ずっと俺が彼女に笑顔でいてもらうよう話し続けた。
俺が積極的に話題を弾ませ、玲奈は微笑しながら頷く。そんな応酬を一ヶ月以上は繰り返していた。
ドナー提供の願望は募ってゆくばかりだが、特に朗報の兆しはなく、変わり映えのない日々が淡々と過ぎていった。不変が顕然と不安を煽る。そんな中でも玲奈の微笑みを見て、まだ大丈夫だと言い聞かせた。
この一ヶ月間、俺の脳裏に妙な違和感を抱かせた。それは彼女の体が細くなっているように見えたのだ。羽織りのサイズが合っていないのかと思ったが、微秒に窶れた顔付きが羽織ではないと確信させた。
容姿の他にも、玲奈は俺の話に相槌を打つばかりで、以前のように茶化したり我が儘を言うこともなくなった。俺がひたすら話し続ける理由はそこにある。そうでないと病室が神妙な雰囲気になって余計に話せなくなってしまうのだ。だが、捲し立てていても、彼女の弱々しい微笑を見て分かってしまう。
玲奈は元気を失くしていたのだ。
「そろそろ寒くなってきたな」
玲奈の見舞いに行き続け、季節もいつの間にか秋になった。向かう途中、枯葉が冷たい風で舞っていた。今は十月の半ばだから、十一月になればさらに寒くなる。最近まで快適だと思っていたクーラーがヒーターへと変わってゆく。だが、変わってくれないものが一つあった。「この前冷え込んだ時に、雅人のやつが朝練で手袋忘れてきてさ、悴んで第一ボタンはめられなくなったんだよな。それほど寒くなってるから、今年の冬はかなり冷えるぞ」
「·····そう。外になんてずっと出てないから分からないけど」
そう言った玲奈は、ベッドに横たわりながら虚空を眺めていた。それは鬱々と濁ったような瞳だった。
俺は失言をしたと悟り、口と噤んだ。玲奈は入院してから今日まで、一度も外に出ていないのだ。ずっと病室に居たからこそ、外へ出たいと思っているだろう。自由に動ける俺が外の話をしたら落ち込むに決まっている。
「まぁ、寒さが体に触るといけないから。でも、春には退院できると良いな」
俺は希望を捨ててはいない。今は厳しい時かもしれないが、きっと以前のように登校で出来るはずだ。暖かくなれば良い兆しに向く。洋さんの言っていたタイムリミットまで猶予はあるのだから。
きっと大丈夫だと、いつものように自分を鼓舞していると、玲奈がむくりと体を上げた。
「雄一君」そう言った玲奈の目は、真剣な色に変わっていた。「君に渡したいものがあるの」
玲奈は引き出しを開けた。そこから出された物は銀一色の金物で、照明の光を反射させていた。チェーンに丸い物体がぶら下がっている。それは一目でペンダントだと分かった。
俺は受け取ると、その作りに「あ、」と声が漏れた。
「これって······」
そのペンダントは蓋が付いていた。開けると、玲奈の微笑が写った写真が飾られていた。俺が初めて見た微笑とよく似ている。
「クリスマスには気が早くないか? 俺の誕生日はとっくに過ぎてるし」
俺は玲奈が写真入りのペンダントを渡したことに戸惑いを覚えた。彼女は傍にいるのだから写真入りのペンダントなど渡す必要がない。何故、今こんな物を渡すのか不思議かつ不穏で堪らなくなった。冗談を笑い飛ばすように言うが、玲奈は無言で頭を振った。
「これは君へのお守り。ずっと私を憶えていられるためのね」
そう言う玲奈に、俺は絶句しながら息を呑んだ。その言い分はまるで諦めているようにしか聞こえなかった。
「雄一君、私と一つ約束して」
玲奈は真剣な双眸と口調ではっきりと告げた。その黒い瞳に目が離せなかったが、良い予感はしなかった。
「私を忘れないでいてね」
その言葉に、俺の中の疑念が確信に変わった。微笑の奥に諦念の色が内包されている。
「これまでの私の人生はただ過ぎてゆくだけだと思ってた。このまま何もなく終わっていくって。そんな灰色のような人生だった。でも、それでも良いとも思ってたの。どうせ終わってしまうのだから、楽しいことがあっても虚しいだけだってね。私の人生は他の人と違って、いつも終わりが脳の片隅にあったの」
玲奈は俯きながら吐露した。
「だけど、私の人生に彩をくれた人がいた。最初は私のことずっと見てきて、仕舞には癇に障るようなことを言って、本当に変な人だと思った。私は性格が悪いから邪険に扱ったりしたけど、それでもこんな私に話しかけてくれた。みんな私を怖がって避けていたのに、その人だけは関わろうとしてくれたの。サッカーに情熱を持っていて、直向きで、いつも明るかった人。気づけばもっと話したいと思って、その人のことばかり考えるようになってた。度々姿を見たくなって練習を覗き見たこともあった。サッカーをしているその人は凄く精彩で、私もあんな風に生きれたらって思えた。その時から、私の人生にも彩が見えるようになっていたの。その人の傍にいるだけでも嬉しかった。でも、もっと嬉しいことがあってね。その人、私のことを好きだって言ってくれたの」
そう虚空を眺めながら、昔を懐かしむように語った。名前はあえて伏せているようだが、俺のことを言っていると考えずとも分かった。
「君が私を好きだと言ってくれて本当に嬉しかった。病気だと分かった後でも毎日お見舞いに来てくれた。君が傍にいてくれた時が一番幸せな時間だったわ。自分がこんなに幸せで良いのかってくらいにね。短かったけど、何十年分もの幸せを得た気分。そう思えただけでも、私の人生にも価値はあったの。後は君さえ私を憶え続けてくれたら、もう満足して去れる」
玲奈は最後に全て言い切ったと告げるような、今まで見せたことのない満面の笑みを俺に向けた。肌の白さには健康な色はなくて、頬も痩けている。それでも玲奈は今までで一番綺麗に笑っていた。瞳からは一筋の雫が頬を伝う。
「······なんだよそれ」
それでも俺は玲奈の言葉に納得できなかった。不意にペンダントのチェーンを強く握っていた。掌にチェーンの輪と爪が食い込んだ。
「なんで、そんな諦めたようなこと言うんだよ」
俺は今でも玲奈が助かってほしくて、毎日欠かさず病気が治るよう祈っている。たとえ奇跡に縋ってでも諦めたくなかった。最後まで諦めなければ願いは届くと信じているからだ。なのに、玲奈自身がこの人生を受けれている。俺はそのことが許せなかった。二人一緒の未来を共に夢見ていたかった。
「これは元々決まっていたことなの。覚悟もとっくに決まってた。それに、さっきも言ったように、もう充分すぎるくらい沢山貰った」
「充分なわけあるか。まだまだこれからじゃないか!」
俺は堪らず怒号を叫んでいた。病室の空気が静寂で凍り付く。
「俺との約束はどうなるんだよ。一緒に高校に行くって約束しただろ」
告白した日の約束を口にする。だが、玲奈は何も言わずに俺から目を背けた。罪悪感だけが漂う表情だった。
「嫌だよ、玲奈がいなくなるなんて。俺たちは一緒に卒業して、一緒の高校に行って、一緒に学校生活を過ごして、一緒に生きるんだ!」
玲奈が胸の内を吐露したように、俺も自分の願いを叫んだ。玲奈の姿が霞んで見える。彼女とは違う涙が溢れそうになった。
「······一人で勝手に納得するなよ」
俺の声は擦れて、目から雫が伝った。
「······ごめんなさい」と玲奈は小さく言った。
違う。俺はそんな言葉が聞きたくて、一緒の時間を過ごしたわけじゃない。俺はただ、彼女に生きたいと言って欲しかったのだ。
「いるかこんなもん!」
俺は右手に持ったペンダントを大きく振りかぶって投げようとした。だが、それは玲奈のくれた物で、玲奈の写真が入っている。そう思うと乱暴な扱いは憚られた。投げる寸前まで上げられた腕は力なく落ちた。
玲奈は俺の素振りに肩を震わせたが、躊躇した姿を見て、また悲壮に目を伏せた。
俺はおもむろにペンダントを布団の上に置いた。直ぐにバックを持ってその場を立つ。
「もう帰る。諦めたお前なんて見たくもない」
そう吐き捨て、出口へと向かった。この状況ではまともに玲奈と話せなかった。
「雄一君······!」
俺がドアノブに手を触れた時、背中越しに呼び止める声が聞こえたが、それを尻目に病室を去った。怒りが足音となってカツカツと廊下に響いていた。だが、俺は歩みを止めて廊下の壁に寄り掛かった。玲奈を傷つけてしまった自分の愚かさを今になって痛感する。「······馬鹿野郎······」と自分に向けて呟いた。
だが、俺は自身の言葉以外に何と答えれば良かったのか分からなかった。例えゲームのように同じ場面をやり直したとしても、全く変わらない台詞を言っていただろう。
玲奈がいない世界なんて想像したくなかった。
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