第12話 雄一は祈る

 俺は毎日玲奈の見舞いに行くと決めていた。バスからならさほど時間も掛らないため、部活終わりに行っても面会終了時間に間に合う。本音を言うなら、部活の時間も玲奈に使いたかいが、大会期間中に部活以外のことを気にする発言は憚られた。その代わり試合には勝ち続け玲奈の喜んでもらう。そのために練習を全力で励んだ。

 今の俺に出来ることはそれだけだ。

 病室のドアを開け、「よお」と意気揚々と手を上げた。窓から夜景を眺めていた玲奈は、反射的にこちらへ向いた。振り向く間際に、驚いた表情が硝子に反射していた。

 俺は丸椅子に座ると、玲奈は何故か不満そうに目を細めた。

「なんだその言いたげな顔は」

「君ね、来るときはノックぐらいして」

「ノック? なんで?」

「もし私が着替え中だったらどうするの。家族ならまだしも」

「俺は別に構わないぞ。なんなら手伝うし」

 俺は悠然に言うと、玲奈は睨みながら枕を両手で持ち上げた。完全に投げる態勢である。

「嘘だよ。次はちゃんとノックするって」

 俺は慌てて両手を上げ、降伏の意思表示をした。玲奈は、まったく、と言うような呆れ具合で枕を元に戻した。

「体の調子はどうだ?」

「今日は大丈夫。発作もなかったから」

「······そっか」

 俺は安堵した反面、発作という言葉が嫌な響きを持たせた。

「君はどう? 学校の方は」

「俺だって大丈夫だよ。順調だ」

「なら良かった」

 玲奈は安堵した様子だが、俺は昨日の洋さんの話が頭から離れず、彼女に笑い返すかとができなかった。平静な面持ちだが、俺はそれを装いにしか見えなかった。

「あのさ······」

 俺は知らない振りをしたまま玲奈と接することは無理だと悟った。微笑の奥にある本意を疑ってしまう。だが、俺は彼女を猜疑心で見たくなかった。恐る恐る切り出すと、玲奈は不思議そうに呆けていた。

「昨日、洋さんから疾患のこと聞いたよ」

 言うと、玲奈の表情から笑みが消えた。何も答えず、重い沈黙が病室を満たした。

「······聞いたって、どのくらい?」

 その言葉に、〝あのこと〟も含まれていると確信した。玲奈は知られたくないようだが、俺は玲奈が抱えている病気がどれほど重いかを知ってしまった。今まで打ち明けなかった理由も理解できる。

「全部だ」

 俺は率直に述べると、玲奈の喉から息を呑んだ音がした。

 洋さんから病気の話を聞いていたとき、俺は卒倒しそうで全容の把握はできなかったが、心臓の病気ということは分かった。

その病気は薬では治らず、移植手術でないと完治しないという。その移植も臓器提供者がいることが前提だが、未だ提供者は現れず、手術の見通しはないとのこと。大人ならまだしも、子供の臓器提供者は少ないらしい。延命処置もあるが、それも限界があると言っていた。

 そして最後に、俺の意識を最も遠くさせたことを言った。


 手術が受けられない限り、玲奈は中学卒業まで生きられない。


 現状を聞いてから、俺の脳裏に洋さんの言葉が反響して、家や授業でも抜け殻のように茫然と過ごした。部活では考えないようにと必死にボールを追いかけ、宙高く蹴り飛ばすことで振り払おうとした。だが、現実は常に迫って来て、自分の無力さを痛感させた。

「······ごめんなさい」と玲奈が譫言のように言った。「本当は私の口からもっとはやく話すべきだった。そうすれば君は傷つかずに済んだし、私のお見舞いに時間を割くこともなかった。学校のことだけに向き合えて、変わらない日々をおくれて、それから······私に告白することもなかった」

「何を言って······」

 俺が咄嗟に言うと、玲奈は「雄一君」と遮った。その語気は小さくも圧があった。

「私ね、何度も君だけには打ち明けようと思ってたの。でも駄目だった。雄一君はいつも私に優しく話かけてくれて、先延ばしにすればするほど、辛い顔を見たくなくなった。話さなくちゃと思っていても、傷付けしてしまうと思って切り出せなかったの」

 彼女は俺の顔を見なかった。握った毛布に皺ができている。

「雄一君に好きだと言ってもらえて、あの時はすごく嬉しかった。今でも思い出すくらい。でも、本当は喜んではいけなかったの。あそこで断って、雄一君には私の病気とは無縁でいるべきだった。だけど私は覚悟が足りなかったから、喜びが優ってしまったの。そのせいで雄一君を騙す形になってしまった。でも、これだけは分かってほしい。私は君を騙すつもりも、傷付けるつもりもなかったの。でも、雄一君といる嬉しくて、雄一君と話していたくて······」

玲奈は次第に涙声になり、最後には雫が頬を伝っていた。閉じた瞳から溢れ出てゆく。

「私って本当に馬鹿。こうなることは分かっていたのに······!」

 悲鳴のように声を上げながら泣き崩れた。口を手で塞ぎながら嗚咽で肩を震わせている。俺は背を支えたり、慰める言葉をかけてやりたいのに、何も出来ずにいた。

「私のことはどう思ってくれても構わない。嫌われて当然のことをした。病気のことで迷惑もかけたくない。だから、雄一君は私のことは忘れて、自分のためだけに時間を使ってほしい」

 俺はその言葉を迂遠ながらも意味を理解できた。潤んだ瞳と睫毛から、これから玲奈が紡ぐだろう台詞も漠然と想像できていた。

「もうお見舞いに来なくて良いから、私と別れて」

 玲奈は両手で覆い、声を詰まらせながら言い切った。彼女なりに考えて、俺を想ってくれていること、打ち明けることがどれ程辛いかも痛いほど伝わった。

 だからこそ、俺の言うべきことも決まっていた。

「嫌だよ」

 玲奈は顔を覆っていた手を離して俺を見た。その表情は明らかに動揺していた。俺の微笑に脳内が混乱しているのだろう。

「俺は玲奈に騙されたなんて思ってないし、嫌いになってもない。見舞いだって毎日行くつもりだ」

 洋さんから病気を打ち明けられても、俺の気持ちは変わっていない。毎日会いたいと思うほど玲奈に惚れ込んでいる。病気では俺が玲奈を嫌いになる理由にはならない。

「それに、玲奈が病気のことを打ち明けなくても、俺は玲奈に告白してた。好きな相手だからこそ放ってなんかおけない」

 彼女が辛いときだからこそ寄り添わなければ彼氏失格だろう。だから毎日玲奈と話をして、試合にも勝ち続けると誓った。玲奈が笑ってくれるなら何だってするつもりだった。

「それにさ、悲観することもないだろ。この病気は不治の病ってわけじゃない。ドナーが見つかれば助かるんだ」

「でもそれは·····」と玲奈は言いかけた。

「そりゃあ、確率は低いかもしれない。でも可能性がある限りは諦めちゃ駄目だ。もしドナーが見つかったのに俺と別れて、退院したら俺が別の子と付き合ってたらどうするんだ?」

 俺は茶化すように言うと、玲奈は不満げな顔をした。冗談半分で言ったおかげで彼女の元気が戻ってきたかもしれない。今の俺に出来ることは、玲奈が元気になるよう寄り添い続け、ドナー提供者が現れるよう祈ることだけだ。

「試合でもそうだ。負けそうでも最後まで諦めずに粘るんだよ。もしかしたら逆ドーハの悲劇みたいな展開があるかもしれない。引き分けに持ち込んで、P K戦で逆転勝利できるかもしれない。だから希望は捨てない。諦めたらそこで試合終了だからな」

 俺は自分でも良いことを言ったと毅然になれた。

「最後のはバスケ漫画の台詞じゃなくて?」と玲奈はクスッと笑いながら言った。

「細かいことは良いんだ」と俺は言った。

 俺たちは互いに笑い合った。神妙だった病室に明るさが戻っていった。今は笑うしかなかった。一番辛いのは玲奈なのだから、支える俺が弱気になってはいけない。普段の俺でいることが彼女にとって一番の救いになると思った。

「玲奈、俺はJリーガーになれるように頑張る。だから、お前も頑張って病気を治すんだぞ」

「······うん」と玲奈は頷いた。

 きっとドナー提供者が現れる。俺はそう信じている。



 サッカー部は順調に勝ち上がり、準決勝まで進むことができた。進出が決まった試合を洋さんの撮ってくれたビデオで観戦する。リアルタイムでないことは残念だが、二人きりでの観戦も悪くないし、玲奈の喜んだ顔を間近で見れるならむしろ喜ばしい。

玲奈は画面に釘付けになって一言も発しなかった。瞬きも忘れているほどの専心具合に俺も声をかけられなかった。サッカー観戦というのは盛況なのが一般的で、得点が入れば大喝采が上がるのだが、俺たちに限ってはゴールが決まっても粛々としていた。

 玲奈は試合を観ているというより、画面越しの俺を目で追っているような気がした。俺が画面から外れると明らかにつまらなそうな顔をする。俺が映ってボールを蹴っているシーンには前屈みになって凝視した。引き分けのP K戦になり、俺が先制点を加えたとき、玲奈は声を上げなかったが、枕を力強く抱きしめた。

「おめでとう」

 そして微笑んで言った。

「なんというか、意外と反応が薄いんだな······。もっと盛り上がっても良いんだぞ?」

 言うと、玲奈は申し訳なさそうに俯いた。

「ごめんなさい。心臓に響くからあまり興奮できないの」

その言葉に、俺は自分の察しの悪さに嫌気が差した。玲奈の疾患は興奮で負担がかかる。俺たちが平気なことも彼女には難しい。病気を分かっていても、玲奈の身になれない自身に業腹となった。

「悪い。それは俺が無神経だったな」

「良いの。そう思うことは仕方ないから。こんな体でなければ思い切り喜ぶことが出来るんだけど······」

 神妙となった病室に歓声が響いた。テレビには先輩がゴールを決めたことで勝利が決定したのだ。俺は現状を打破できる何かを言わないと、と思い、咄嗟に口を開いた。

「でも、お前がハイテンションで騒ぐところって想像できないな。なんか引きそう」

 俺は気に留めてないような姿勢を心掛け、茶化すように言った。

「それはどういう意味?」

 玲奈は眉を顰めながら俺を見た。氷のように冷たい視線で睨まれるのは久しぶりだ。

「冗談だよ」

 それでも俺は嬉しく思った。容赦のなさも俺の知る玲奈の一面だから、悄然となられるよりずっと良い。

「それより、もうじき夏休みだからもっと長い時間見舞いに来れるぞ」

「本当? それなら始まりから終わりまで居てもらおうかな」

「お前な、俺も練習とか宿題とか色々あるんだけど」

「練習は仕方ないとしても、宿題なら此処でも出来るでしょう。クーラーも効いているから快適だし。解らない問題は教えてあげる」

 玲奈の言う通り、この病室は冷房が効いていて、その適温さから今が夏であることを忘れさせた。玲奈の体に負担を掛けないよう調整されているのかもしれない。

「······言われてみれば確かに。意外と出来るかもな」

 俺はなるべく多くの時間を玲奈と過ごすことに費やしたかった。片時でも傍にいないと不安で仕方がないし、彼女を病気の不安を抱えたまま一人にしたくなかった。俺が居ることで少しでも心が和らぐなら、夏休みを全て病室で過ごしても構わない。

 納得から頷くと、後方の扉がスライドする音がした。振り向くと、女性の看護師がいた。

「面会終了時間です」

 時計を見ると、既に夜の8時を過ぎようとしていた。会話に没頭したせいで忘れていた。

俺たちは、「じゃ、また明日な」「えぇ。また明日」と別れた。

 病院からの帰り、俺は寺に通うことを習慣にしていた。初詣くらいしか訪れる機会はなかったが、今は状況が違う。俺では玲奈の病気を治してやれないから、もう神様や仏様にでも縋るしかなかった。毎日欠かさず玲奈にドナー提供者が現れることを祈った。

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