第19話:領主の息子は、だいたい嫌なやつ

 タイヤ痕のついた土に、場違いな革靴の艶。

 男は畑のうねをずかずかと踏み越えて、近づいてくる。


「……めんどくせえのが来やがった」


 ハロルドがぼそっと言った。


「誰?」


 アメリアは目を細める。


「領主の一人息子だ。デント・カールソン」


 なるほど。いかにも甘やかされて育ちましたって雰囲気だ。ショートケーキをまとっているみたいな。年下か、同い年くらいだろうか? プリツヤの肌。ちぇっ。若造め。


 デントはそのまま二人の前まで歩いてきた。車のどこに乗っていたのか、世話人らしき人たちもぞろぞろ。


 アメリアを頭のてっぺんからつま先まで、じろりと見下ろす。背が高くて、スタイルだけ無駄にいい。


「……そうか。お前がこの土地に新しく来た開拓者か」

「よく一目でわかったわね。やっぱりオーラ? 出ちゃってます? おーほっほっほっほ」

「報告書に書いてあった。タチの悪い女とな」

「報告書って……」


 アメリアは横目でハロルドを睨みつける。


「事実だろ」


 しれっと返す鼻先に噛みつきそうになるが、どうにか我慢。


「まあしかし」デントが鼻で笑う。「開拓の能力は、そこそこ、使えるそうだな」


 使える? 人を機械みたいに言いやがって。


「ええ。かなり使える女ですので」


 アメリアは口元を歪めて、胸を張る。


「おいハロルド、教育がなってないぞ」

「悪い」


 デントは畑を一瞥して、吐き捨てるように言った。


「どいつもこいつも、ろくなやつがいない。この土地は」


 むっ。胸が痛んだ。

 気づけば、周りには朝から仕事に出ている村人が集まっていた。


 アメリアは一歩、前に出る。


「あんたから見れば、ろくでもないかもしれないし、実際、私以外は大したことないけど。でもね、みんな一生懸命やってるの。腐った土地でも、毎日ちょっとずつ色づいているの。そういう場所よ、ここは」


 デントは挑発的に目を細めた。


「ほう。なら見せてもらおうか。一生懸命とやらを」

「ええ、いくらでも」


 アメリアは腕を組む。


 ハロルドが「やめとけよ」と小さく言ったが、聞こえないふりをした。

 村人たちの視線が一斉に注がれて、空気が張り詰めていく。

 デントが彼らを煽るように見回す。


「書類で数字は知っている。だが、俺は現物を見る主義だ。ここで実演してもらうぞ」

「ふん。目にもの見せてやるわ! ハロルド、いくわよ!」


 ハロルドはやれやれと肩を落としながらも、両手を構える。

 アメリアは大きく息を吸い込み、両手をつく。お腹に力を込めて、足を蹴り上げた。


 逆立ち。


 光が広がり、小さな芽がいくつも顔を出す。

 乾いた大地が、潤いを取り戻していく。

 風が生まれ変わったように、透明になる。


 デントは一瞬、言葉を失った。

 目がわずかに見開かれて――

 すぐに、ぷっと吹き出した。


「逆立ちって……ははは、そんなみっともない格好、よくできるな」


 かあああーー!

 逆立ちを真正面からバカにされたのは、初めてだった。顔が熱くなる。

 アメリアは手で顔を仰ぎながら、デントを睨む。


「な、な……っ!」


 言い返そうとしたとき、デントの視線が光った。


「……だが、なるほど。たしかに、お前は“使える”」

 口元を歪めて、にやりと笑う。

「興味が出た」


 あ……。

 アメリアの背中に冷たいものが走った。


 これ、私を奪いにくるやつだ。

 スキル目当てだけど、だんだん体目当てになって、心まで奪いにくるやつだ。

 どうしよう。

 いやよ、そんなの……。

 ハロルドのもとから、離れたくない。奪われたくない。


 デントが前に出る。


 やめて。あの車で連れていくつもりなのね。屋敷に閉じ込めて…あんなことやそんなことをするのね。何もかも、奪う気なのね。


 胸が痛い。

 ハロルド……お願い。言って。「渡さないって」


 なんて。

 言ってくれないよね。

 このおっさんが。

 私なんて、どうでもいいんだもんね。

 大事に思っているのは、特別に思っているのは、私だけだもんね。

 いや、ハロルドだって、大事に思ってくれている。

 でもそれは、仕事の相棒として、認めてくれているだけ。

 それはそれで嬉しいけど。

 私の特別とは違うんだ。

 それはそれで嬉しいけど。

 やっぱり、苦しい。寂しいよ。

 ……今さらだけど、片思いってつらいな。


 涙が滲んで視界が歪んだ。そのとき――


「渡さんぞ」


 ぐっと腕をつかまれた。


「……え?」


 信じられず、顔を上げる。

 そこにあったのは、無精ひげと寝癖……ではなく、デント。


「お前みたいなじゃじゃ馬に、ハロルドは渡さんぞおおおおおおーーーーーっ!!!!!!!!」


 ……は?


「さあ、あの車でどこへでも旅立つがいいーーーーーっ!!!」


 アメリアの涙は、一瞬で引っ込んだ。

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