第16話:拒絶の雨、差し伸べられる手

 村のはずれ。

 大雨。

 人影はない。畑も道も、全部が灰色に溶けている。


 アメリアはうずくまっていた。

 膝を抱えて、背中をふるわせる。

 濡れた髪が頬に張りつく。息がうまく吸えない。


「……ばか」

 声が雨に消える。

「ばか、ばか、ばか……」


 怒っているのか、悔しいのか、それとも悲しいのか、どれが本当かなんて、自分でもわからなかった。ただ心がぐちゃぐちゃになって、整理できなくて、苦しいだけ。


「拒絶、されたんだ」


 はっきり口に出すと、胸が痛んだ。


 ――怖かった。拒絶されるのが。だからふざけて、笑って、全部ごまかしていたのに。あれは本物だった。本気で、「消えろ」って言われた。願われた。あの瞬間、この土地から切り離された。世界から拒絶された。


「どうすればいいの……」声が震える。「どうすれば……ここにいられるの」


 泥をかきむしる。冷たい土が爪の間に入り込む感触さえ、現実感がなかった。


(そもそも、私に関わってくれるの?)


 ハロルドだけじゃない。

 村のみんなも、カノンでさえ……離れていくかもしれない。

 ひどいことばかり言ったし、くだらないことばかりした。結局、何も変わっちゃいない。『三つ子の魂百まで』とはよく言ったものだ。


 3歳の誕生日に、チョコレートケーキの出来が気に入らなくて、ぶちまけた。グラデーションが微妙で、飾り付けが手抜きで、名前のスペルが間違っていたのだ。

固まる両親。慌てる侍女。ざわつく親戚一同。ぶったまげる祖母。ぶっ倒れる祖父。あの瞬間、私の一生は決まったのだ。


「こんなの、孤独になって当然だよ」


 自分で言って、嗚咽がこぼれた。

 涙か雨か、もうわからない。


 ――私は私が嫌いだ。本当に最悪。目障りだ。


 でもさ。

 それでも、好きって、思っちゃったのよ。


 肩が震える。うずくまった背中に、雨が打ち続ける。

 世界の音は、ざあざあだけ。


「……ごめん」


 誰に向けてか、わからない謝罪だった。


 そのとき。

 頭上が、ふっと暗くなった。

 雨の音が、少し遠のく。


 ぼんやり顔を上げると、傘を持ったハロルドが立っていた。


「……なんで」


 アメリアは呆然とつぶやく。

 声はかすれていた。


 ハロルドは何も言わない。

 ただ手を伸ばし、アメリアの腕をぐいっとつかむ。


「ちょっと、なにすんのよ! 放しなさいってば!」

 もがくと滑って、泥に膝をついた。

「いい女が泣いてんのよ! 雨の中で! 絵になるシーンをもうちょっと――」


「いいから来い」


 ハロルドは一切取り合わず、強引に腕を引いた。体がずるずると立ち上がる。

 アメリアはその手に引かれて、歩き出すしかなかった。


***


 ハロルドの家。

 アメリアは椅子に座っていた。雨に濡れた体を、借りたタオルで拭く。髪から水がぽたぽたと床に落ちる。


「もっと、ふわふわのやつないの?」

「……あるわけねえだろ」


 ハロルドはため息をつき、コンロに火をつける。

 豆をひく音、お湯が沸く音。

 荒い壁。低い天井。古い紙と香ばしい豆の匂いが混ざり合う。


 差し出されたコップには、黒い液体。


「ブラックは飲めない。砂糖と、ミルク」

「ねえよ」

「ケチ」

「黙って飲め」


 ちびっと飲んで、アメリアは眉をしかめる。苦い。


 ハロルドは向かいの椅子に腰を下ろして、しばらく黙る。言葉を探すように、指でコップの縁を叩いた。


「……俺もな、昔は希望を持っていたんだ」

「待って。急な自分語りされると冷めるかも」

「お前は……ほんと……いいから黙って聞け」

「まあ、それも都合いっか」


 アメリアは、ひゅーと唇を尖らせた。

 ハロルドは、大きなため息をついて、口を開く。


「……ここに来たときは、何かできると思ってた。地図広げりゃ道ができる気分になって、杭を打って、計画書をこしらえて……」


 ぽつ、ぽつ、と言葉を紡ぐ。


「やってみりゃわかる。できねぇって。雨が来なきゃ土は死ぬし、来すぎりゃ全部流れる。腕も人手も足りねぇ。無力だ、ってのが先に来る」


 視線が揺れて、窓の外に向かった。


「それからだ。開拓者がまた来て、希望持って、同じように折れるのを、俺は見てた。……あいつらが絶望すると、安心した。『ああ、俺だけじゃない』って。最低だろ」


 肩がわずかに落ちる。

 手の甲に小さな傷。つま先で床を鳴らす。


「そして、お前さんが来た」


 ハロルドは口を曲げる。


「どうせすぐ消えると思った。だが、逆立ちだの、馬鹿みてぇなやり方で、土が変わって、村が少しずつ変わって……。『まだやれるかもしれない』って顔を、みんながし始めた……空見上げて、希望がそこにあるような顔して。それが、目障りで仕方なかった」


 鼻で笑い、吐き捨てるように言葉を落とす。


「だから、お前の存在が俺には不都合になっていった。俺がどうにかこしらえた安寧が、壊されるような気がしてな。そして、俺自身も冷静でいられなくなって、感情的になって、拒絶した。……悪かったな。言いすぎた」


 短い沈黙。

 外の雨音は弱くなった。


「でもな」声がすっと低くなる。「だからって、俺はお前を受け入れられない。別にお前がどうこうしようが何も言わんが、俺は俺の生き方をする。希望なんてもんに頼らず、ちゃんと足元見て、地に足つけて、生きていく。青空なんて、まっぴらなんだ」


 ハロルドは目を細めた。


「ま、そういうことで、お互い無干渉で行こうや。気楽にさ」


 そう言って立ち上がり、アメリアの肩をぽんと叩く。

 その肩は、わずかに震えていた。

 タオルに隠れて顔は見えないが、鼻をすする音が聞こえる。


「……おい」ハロルドが顔をのぞき込む。「風邪引いてんじゃねえか? ちゃんと拭け――」


 タオルに手を伸ばしたとき、アメリアが顔を上げた。

 頬は赤く、目は潤んでいた。だが瞳の奥は燃えていた。


「ぬんっ!!!!!!」


 次の瞬間、拳が飛んできた。

 ハロルドの頬が歪み、大きく仰け反る。椅子と棚が同時に揺れた。


「……いてぇ」

「来いよ」


 アメリアはそれだけ言って、ハロルドの腕をつかむ。


「おい、引っ張るな」

「来いったら来い!」


 ドアを開ける。

 雨は、もうやんでいた。濡れた土が光る。


 アメリアは振り返らない。腕を引いたまま、まっすぐ前へ歩き出した。

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