第15話:目覚めとライン越え
翌朝の畑。その真ん中に、アメリアは空を見上げて立っていた。
思い切り息を吸うと、みずみずしい空気が全身に広がって、細胞全部が入れ替わるようだった。
――というわけで、私は目が覚めたのである。
カノンの言う通り、確かに自暴自棄になっていた。投げやりだった。これは綺麗事っぽくて嫌いだけど、自分のことだって、大切にしなきゃいけない。それが、ここで一緒に汗を流してくれる人たちへの礼儀だ。
しかも幸運にも、周りにはどういうわけか素晴らしい人材が集まってくる。ふふ。これも、天賦の才というやつだ。
今日の支え手、文豪見習いのヘクターは、18歳らしいが、指の添え方に品があって、バランス感覚も優れている。作業はすこぶるスムーズだった。
天気がちょっと怪しくて、小雨が降ったり止んだりなのが気になるが、本格的に降り出す前に、進めるだけ進めよう。と、結局いつも通り必死になる。
こういうところが、カノンの目には自暴自棄っぽく映るのだろう。
でも違う。
単純に何かに没頭するのが好きならしい。ここに来てはっきりわかった。体がしんどくても、心が夢中で満たされるのは、気持ちがいい。
貴族社会にいた頃は「夢中はダサい」と思っていたが、ようやくそのことに気づいたのである。若気の至りなので、許してほしい!
「ちょっと休憩しましょうか」
「はい、アメリア嬢。では進捗はハロルド氏にも伝えてきます」
ヘクターくんの名前の呼び方はちょっと気になる。龍宮城之介っぽいっていうか。まあ、これも若気の至りということにしておく。
と、なんだかやたらとモノローグを並べているのは、たぶん、視界からも脳内からもやつを抹消したいからだ。
ハロルド・ロックウェル。
今日も律儀に作業現場に現れて、妙な紙束に何やら記入している。雨が降りそうなんだから、さっさと帰ればいいのに。そもそも現場に来るな。目障りって思うなら、なんでわざわざ来るんだ。どうせしょうもない書類なんだろうし、それこそ誰かに任せればよいではないか。
そうやってつい見つめすぎて、目が合った。合ってしまった。
ここでそらすのは負けだ。この時点で、バトル開始なのである。
(へへ。今日は何してやろうか)
「おいおいハロルドさんよお……こんな天気の中、ご苦労なこって」
泥を跳ね散らかしながら、アメリアはにやにや近づいた。
「……お前、日に日におかしくなってないか?」
「っへ。あんたに言われる筋合いはないわ」
互いに睨み合う。小雨はじわじわ強くなってきた。
アメリアの視線が、ハロルドの手元に移る。紙の束。
「いっつも大事そうに握りしめちゃってさ。……貸しなさいよ」
「触るな」
「やーだ。もしかしてハレンチな内容かしら。私の逆立ちボディを描いちゃってるとか? んまあーーーーいやらしい!」
「お前ちょっと黙れ」
「隙ありっ!」
ひょい、と紙束を奪い取った。
アメリアは頭上に掲げて、ひらひらと振ってみせる。
「ほ〜ら、悔しかったら奪ってみなさいよ〜。ハートごと、奪ってごらんなさ〜い」
「大事なもんだ。返せ」
「へえ〜、大事なものなんてあったんだ? いいな〜、いいな〜、こんな紙切れは大事にできても、乙女の心は大事にできないんだ〜」
その瞬間、指先が滑った。
紙束は泥の上に落ち、雨水と泥があっという間に滲んでいく。
「……」
ハロルドの眉がぴくりと動いた。
アメリアは口の端を上げる。
「ふふっ。……あんたの生き様みたい。泥に落ちて、形も残らない。ほーんと、かわいそ」
「いい加減にしろっ!」
雨を突き抜く怒声。
アメリアの全身が硬直した。
「てめえは、人の心を踏みにじることしかできねえのか! 邪魔だ、耳障りだ、目障りだ。俺の前から消えろ!」
冷たい雨粒が頬を打つ。
言葉が見つからない。
「……っ」
アメリアは、振り返って走り出した。
追いかける声も、引き止める手もない。
雨が一気に強くなった。
叩きつける音が、心臓の鼓動をかき消していった。
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