第12話:月が綺麗ですね

 夜道を走った。

 地面を蹴るたびに、胸の奥で心臓がどんどん速くなる。

 冷たい風なのに、体の内側は熱い。


 決めたから。認めたから。

 もう逃げない。


「ロックウェルさんなら、集会場に」


 通りがかった村人の言葉に、アメリアは深くうなずいた。ありがとう、と声が裏返りそうになる。


 集会場の前に立つと、扉の隙間からうっすら光が漏れている。


 足が止まる。

 心臓がどどどっと速くなる。


 どどど、どうする?

 本当に伝えるの? 好きって、言っちゃうの?

 だけど、もし断られたら? これから顔を合わせるたびに、気まずい……。

 いや、気まずいくらいならまだいい。ハロルドが耐えきれなくなった「領主代理の権限で追放」とか言い出したら? あるいは「俺が出ていく」とか言って、この土地から出て行っちゃうとか。うわーありそー。あの根暗絶望おじさん、やりそー。


 冷静に考えると、不都合ばかりが浮かんでくる。


 言わない方が正解ではなかろうか。

 不用意に傷つかずに済むのではなかろうか。

「恋はしない女」で押し通せば、まだ体裁は守れる。


 扉に伸ばしかけた手が止まる。


(……帰ろう。今ならまだ)


 ギィ――。


 迷いの最中に、扉が勝手に開いた。

 ランタンの灯りに照らされて立っていたのは、ハロルドだった。

 無精ひげ、乱れた髪、死んだ目。

 でも、その姿が、今は愛おしく見えた。


 胸が縮む。

 喉がからからで、声が出ない。

 心臓の音がうるさすぎて、相手に届いてしまいそうだ。

 ハロルドが扉を閉める。


「……こんな時間に、こんなとこで何してんだ」

「あ、えっと、その……月がきれいだったから!」

「はあ?」

「月がきれいですね……へへ。なーんちゃって!」

「……どっか悪いんじゃないか? 仕事中に急に帰るし」

「……それは、ごめん」


 沈黙。


(ちがう、こんな話をしにきたんじゃない。本当に言いたいのは、たった二文字。す・き。何やってんだ、私。勇気出せ、私!)


 ハロルドが肩をすくめた。


「用がないなら帰るぞ」

「ま、待って!」


 アメリアは咄嗟に腕を伸ばして、ハロルドの手首を掴んだ。


「っ――」


 バランスを崩して、距離がぐっと詰まる。

 布が擦れる。体温。息が触れる距離。


「……悪い」


 ハロルドの腕が、そっと支えてくれた。

 目が合う。近い。


 ――今だ。言う。言うの。言える。


「ハロルド、あの、私――」

「そうだ」


 低い声が、遮った。

 いつも通り、いや、いつも以上に淡々と。


「明日から、お前の支え役は村の連中が交代でやる」

「……え?」

「俺だって暇じゃない。あとはお前さんと村人でなんとかしろ」


 掴んでいた手が、離れる。


「ま、待ってよ! 私何かした? ずっと変じゃん。それだったら言ってよ! 直すかは別だけど、そんな急に……」

「目障りなんだよ」


 それは冷たい瞳だった。

 心臓が凍りつく。

 世界から切り離されたような、そんな感覚だった。


 アメリアはその場に立ち尽くした。

 喉の奥まで来ていた言葉は、行き場をなくしたまま、消滅した。

 夜風だけが、ふたりの間を通り抜けていった。



<『逆張りで領地開拓、進めてます』 完>

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