逆張りと逆立ちの狭間で

第13話:開拓地に降臨した、自由の女神(自称)

 土の匂いと馬車の音。

 それは、いつだって“始まり”の匂いだ。希望を思い出させる。


 希望ってのは、要するに「まだやれるかもしれない」という錯覚だ。

 地図に線を引けば道ができた気がして、杭を打てば土地を守れる気がする。種をまけば明日には芽が出る予感がする。そういう都合のいい幻。

 だが、嵐が来れば道は埋もれ、杭は腐り、種は死ぬ。


 だから希望は、すぐ絶望に変わる。

 そして妙な話だが、絶望は安心を連れてくる。

「もう無理だ」と言えれば、そこで終われるからだ。終われる確かさは、案外あたたかい。生きてく上で、いちばん揺るがない事実は「終わる」ってことだ。


 ……だから、目障りだった。

 さも希望しか見えていないような、あの女が。


***


「どいてくださる?」


 書類の上に影が落ちた。

 日付を書き入れていたハロルドが顔を上げる。水場へ向かう狭い通路。その真ん中を彼が塞いでいる形だった。


「手、洗いたいんですけど」


 腰に手を当てたアメリア。背後には村人がわらわら。やけに多いし、やけに元気。


「……あっちにも手洗い場、あるだろ」


 あごで別の場所を指す。

 アメリアはくるりと振り返り、わざとらしく声を張った。


「みなさーん、聞きましたー? この人、あっっっっっっっっちまで行けっておっしゃってますー。どう思いますー?」


 ざわ……。村人たちの目線が泳ぐ。関わりたくないという顔。正しい判断だ、とハロルドは思う。


「人の心を失っているんですうー。死んでいるんですうー。心も、瞳も。この人ごと、排除しちゃいません?」


 ……面倒くさい。

 ハロルドはため息を飲み込んで口を開く。


「おい、村のみんなを悪の道に誘導するな」


 アメリアの眉がぴくりと動く。


「悪人はどっちよ? 乙女の純情を踏みにじって! お前を地の底へ叩き落としてやるわ!」


 村人がまたざわつく。「純情?」「地の底……」と困惑が広がった。

 はあ。今度は隠さずにため息をつく。


「何言っているかわからんが、一応俺はこの土地の領主代理だ。権利も義務もある。お前さんの横暴を見逃すわけには」

「ふん!」アメリアは鼻を鳴らして、ふんぞり返る。「領主代理? そんな訳のわからない肩書きより、私こそ、この土地に最も貢献している存在! そうよ! 今日からリーダーは私! 民衆を導く自由の女神! その名はアメリア・トーリツ! 覚えておきなさい!」


 ぱらぱらと拍手が起きる。

 アメリアが手拍子を始めた。


「か・え・れ! か・え・れ!」


 しぶしぶ村人たちも、ぱち……ぱち……。


「もっと!!!!!!!!」


 パン、パン、パン! 手拍子が大きくなる。


「役立たずは出ていけーーー!!」

「……で、でていけー……」

「そこ、どけえーーーー!」

「ど、どけ……」

「身だしなみを整えろーー!」

「と、整えろ……」

「ついでに、禁煙しろーー!」

「き、禁煙……」


 ハロルドは一歩だけ横にずれる。


「勘弁してくれ……」


 死んだ目のまま、ため息を、またひとつ。

 アメリアは勢いそのまま、水場を占拠して手を洗い、村人たちにゲキを飛ばす。


「さあさあ、気合い入れていくわよ! 死ぬ気でついて来なさいっ! 豊かになりたいかあーーー!」

「お、おー……」

「幸せになりたいかあーーーー!」

「おーー」

「パン食いたいかああああああーーーーー!」

「おおおおーーーー!」


 ハロルドは髭をつまんで眉をひそめる。


「……やれやれ」


 煙草に火をつけるのも面倒になって、ポケットを叩いてやめた。

 賑やかな手拍子と、遠くでまだ続く「か・え・れ!」の残響。


 厄介な女を、敵に回したのだった。

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