とある人間の末路
「とても長い夢を見ていた気がする」
見上げて彼女に、俺はそう言った。
襟足と後ろ髪が別れて二段になった黒髪。
黒いニットをはじめとしたモノトーンの服装。
いつ見てもどこか不気味な色白の肌。
長いまつ毛の間に納められた、鈍い瞳。
今度はまぼろしじゃない。本当に彼女がそこに居る。
「俺を置いて、他の男に会ったりなんかしてないよな」
彼女は俺の一言に口を歪めた。
その微笑みが胸の奥まですっと染み入った。
「だったら、気晴らしに散歩でもしようか」
考えられないような提案をしてきた。そのまま俺が脱走するとは思わないのだろうか。
いや、俺自身がよく分かっているはずだ。
この魂が彼女に捕えられているのだから、いくら離れようともここに戻ってくる。
彼女はそれを分かっているだけなんだ。
「夢って、どんなもの」
手を差し伸べながら言っていた。
俺の頭で作り出したにしては、不可解なところが多い夢だった。
闇に溶けた化け物の数々、あまりにリアルな痛み。
そして、あの少女の存在。
俺が思った通り。やっぱり忘れていない。
「異世界とでも呼べる場所で、女の子と冒険してきたんだ」
彼女が少し口を曲げる。
ちょっとした嫉妬を掻き立てたようだ。
「私じゃなかったの?」
「全く違った」
俺はその少女の名前とその特徴、性格や出来事を話した。
もちろん俺の英雄譚もセットで。
彼女はあまり表情を変えることはなく、しかし確かに喜んでいた。
「その子の為に犠牲になって、夢から覚めたんだね」
俺を宥めるように、彼女は抱きついてきた。
子供をあやすように、聖母のように、優しく。
温かい。
「そろそろ行こうか」
彼女に引き連れられて、俺は外の世界へと出ていった。
またありふれた日常に戻るのかと思うと、すこし寂しくもなる。
だけど、ああいうのは偶にあるからいいのであって、毎日じゃ飽きてしまう。
それにあの世界には彼女はいない。
それだけで、俺がこの日常を選ぶ理由になる。
玄関を開けると、冷たく乾燥した風が肌に当たる。
空気もかなり凍てついていた。あたりも微妙に暗い。
雪が降っていた。
至る所に真っ白な粒子を積み立てていた。
「はーっ」
彼女が白い息を吹いていた。頬の赤らみが強調される。
憂鬱な顔をしている割に、可愛らしいところはしっかりと可愛い。
あの少女に似ていると思った。
むしろ、彼女に似せてあの少女が映し出されたのだろう。
「雪だるまでも作りに行こうよ」
彼女は近所の公園へ向かった。
朝だからか、まだ誰も出歩いておらず、何の音もない。
喧騒が全て雪の中に閉じ込められてしまっているようだ。
みぞれが残った道路を歩いて、目的地にたどりつく。
ブランコと滑り台、そして小高い丘があるだけの粗末な公園。
キイキイと擦れる音がしている。誰かがブランコを漕いでいるようだ。
「先客がいたみたいだね」
しかし全く気にすることなく、彼女は雪を集め出した。
俺は手袋なしでやれっていうのか。
そう文句を言おうとする前に、ブランコの方を見た。
見たことのある格好だった。
真珠色の髪、豪奢な服装、黒い薔薇の髪飾り……
間違いなく、ユキだった。
俺は思わず、そっちの方に駆け出して行ってしまった。
「ユキ!」
座っていた少女が顔を見上げた。
青色の瞳、儚げながらも幼ない顔立ち。
それを見て、俺は彼女に会った時以上に、ひどく安心した。
「どうしてこんなところにいるのですか」
ユキから投げかけられたのは、そんな思いもよらない質問だった。
なぜって、それは俺が知る余地ないだろう。
あの世界は夢だったから、それから覚めてここにいるんだ。
だからお前がここにいるのが何よりおかしいことなんだ。
「もしかして、この子がユキ?」
後ろから彼女が聞いてきた。
だけどさっきより表情は冷たくなっていた。瞳の鈍い輝きが増している。
苛立っているようだ。
「やっぱり帰ろう」
彼女が無理に俺の腕を引っ張り始めた。
その強引さに、思わずバランスを崩してしまう。
何とかこけずに済んだが、呆気に取られたユキの顔がずっと脳裏に張り付いていた。
いや、ただ記憶に残っていただけじゃなかった。
「待ってください」
ユキも俺の腕を引っ張り始めた。
彼女の動きが当然止まる。
ユキを一瞥した後、何事もなかったかのように俺を連れ出そうとする。
俺で綱引きするな!
「早く帰りましょう、リクトさん」
「帰る場所はそっちじゃないよ、陸隼くん」
大岡裁きだのソロモンの審判だの、名前が定まっていないこの状況。
離した方に俺はついて行こうかと思う。そもそも俺は赤子じゃないけど。
しかし、二人とも一向に離す様子がない。俺の腕の痛みがきりきりと増していく。
二人とも女子のはずだが、万力のような握力で俺を掴んでいる。
「あなたが来ないと意味がないんですよ」
「君がいないと、私どうなっちゃうか分からないな」
言い訳している場合じゃないぞ二人とも!
そろそろ俺の腕がちぎれ飛んでしまうんじゃないかと思うほど強く引っ張られていた時だった。
雲の向こうから光の帯が差し込んできた。
俺の周りがぱあっと明るく照らされる。
それと同時に、鐘の音が鳴り響く。どこから聞こえて来るのかは全く分からない。
その瞬間、二人は同時に手を離す。示し合わせていたかのように。
「さあ行きましょうか、リクトさん」
俺はなんとなくユキの手を掴むも、思わず彼女の方を見ていた。
じっと佇んだ彼女は、もう怒ってはいなかった。
ただ諦めたような表情で、長い沈黙の後、一言告げた。
「まだ待ってるからね」
彼女が手を振っていた。
温もりに包まれた視線が送られていた。
どっちが夢なのか、もう全く分からない。
それでも俺は、与えられる情報を、がむしゃらに処理していくしかないだろう。
どちらも現実として認めるしかないんだろう。
そして多くの人と出会い、またドラマを作っていく。
そう生きるのも悪くないじゃないか?
だから、きっと理解できるはずだ。
今見ているこの状況も。
まだ、鐘の音が聞こえている。
遠くどこからか響き渡る、何かを祝うような音。
この大地でのありふれた日々を、願い続けているのかもしれない。
俺は今、寝具のようなものに横になっている。
『ような』というのは、あまりにもそれが寝具とかけ離れているからだ。
顔についた滴を拭い落として、体を起こす。
薄暗い森の中で、木漏れ日として降り注ぐのは、曇り空特有の柔らかで無機質な光。
俺はどうやら、赤い果実の中で眠っていたようだ。
湯で満たされたバスタブのようになっているが、液体はぬるく、そして赤い。
「お目覚めになったようですね、リクトさん」
すぐ側にユキがいた。
そろそろ解説をしてくれてもいいんだぞ。
どんな突飛な説明でも受け入れよう。
この世界では人は果実から生まれるんだ、とか。
俺は超越的なバイオテクノロジーで蘇った、とか。
とにもかくにも理由が欲しい。
今、五体満足で、とても健康的な理由が。
「俺は死んだんじゃなかったのか」
「えっ」
ユキは目を大きく見開いて、口を押さえた。
「覚えて、いるのですか」
「まあ、記憶障害は出てないと思う。詳細は分からないけど」
「私の名前は?」
「ユキ」
そう言った途端、ユキは抱きついてきた。
彼女のとは違った、無邪気な抱擁。
純粋に喜びを擦り付けてくるような抱きつきかた。
「奇跡としか、言いようがありません」
俺もその幸せを分かち合おうと思い、抱き返そうとした。
しかしユキはいきなり腕を押し出して、俺を遠ざけた。
「あ、その前に服を着てくれませんか」
お前から抱きついておいてそれはないだろう?
仕方なく果実の中から出て、与えられたタオルで体を拭い、着替えに身を包んだ。
パジャマのようなゆったりとしたものが良かったが、与えられたのは一張羅のスーツだった。
しかもサイズがぴったり合う。いつの間に測ったんだ。
「着替え終わったぞ」
こっちを見ないようにしていたユキを振り向かせる。
一応ちゃんと整えておいた甲斐があったようだ。
ユキは俺を吟味するように眺め始め、なかなか神妙な顔をし始めた。
「やはり似合いますね。20点というところでしょうか」
「低くないか?」
「いえ、10点満点で、です」
見る目があるじゃないか!
俺は思わず親指を立てた。
色々茶番を終えたところで、本題に入るため、俺は一息つけた。
「俺が記憶を持っている方が不思議なのか?」
ユキははっとしたような顔をして、説明をしようとする。
その証拠に、左手の指差しがぴんと張っている。
彼女にとっての“先生”のイメージなのだろう。
「私たちは復活する時、記憶を保持できません。それも当然です、体を引き継いでいないのですから」
俺は思わず目を見開いた。
「じゃあ、俺は、この体は、クローンってことか!」
「まあそういうことになりますね」
「だったら俺は俺じゃないかもしれない」
いわゆるスワンプマンだ。
俺の場合、記憶まで引き継ぐほど精巧に再現がうまくいったということだろうか。
奇跡というのも頷けるかもしれない。
意識や魂などについては、全く気にしないようにしよう。
昏睡から目覚めたのと同じことだ、きっと。
「いえ、あなたはあなたです。あなたはこの株の子実体なのですから」
しじつたい?
全く聞いたことがない単語が出てきて、想像が遮られる。
それを察してか、ユキは身振り手振りで大袈裟に説明を始めた。
「この赤い果実をご覧ください。これはあなたを生成する為の器官です」
「俺を生成?」
「この果実は一つの樹に繋がっています」
俺も示された方を見る。
果実の下で、何十にも植物の蔓が伸びている。まるでケーブルのようだ。
その管の先、ユキが指し示す方向に、例のあの巨木があった。
世界樹と呼ぶべき、あの大きな樹が見える。地上から見ると、もはや壁だな。
「その樹こそがあなたの本体で、あなたのその体は移動や意思疎通を図るためのインタフェースにすぎないということです」
……誰かもっとまともな理由をくれないか。
俺が求めていたのは、SF的なサムシングであって、科学的な説明なんだ。
それは一体なんなんだよ。
「それじゃあ、俺がまるで人間じゃないみたいじゃないか」
俺は冗談めかして言ってみた。
そうじゃなきゃ、俺が困る。これが冗談じゃないと困る。
俺はあの監禁部屋に囚われていた、しがないイケメン大学生なんだ。
暗闇の中で消耗のあまり幻覚を見ていただけなんだ。
俺はどっちも現実だと認める、と決意したばかりなのに。
どうして!
どうしてなんだ!
「『ニンゲン』ってなんですか」
ユキは平然な顔をして言ってしまった。
視界がぐらつく。明滅を繰り返す。
息が乱れる。焦燥に駆られる。
俺が人間じゃない?
俺は一体何者?
命を賭した時以上に、俺は今、不安定だ。
帰らせてくれ。
彼女のもとに帰らせてくれよ。
「それよりも、改めて言わないと。流石に知っているとは思いますが」
白い髪をした化け物が近づいてくる。
俺が見ているこの景色は? 俺が見ているこの光は?
この身体は? この心は?
おそるおそる頭に手を置く。
この中に、本当に俺の脳味噌があるのか?
違う。
俺の心も魂も、あの巨木に──
「ようこそ、オイクメネへ」
そいつに迎えられた瞬間、俺は思いっきり嘔吐した。
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