第二章 二人の音楽

その日は紗月と別れてから、急いで家に帰った。夕ご飯を食べて、お風呂に入って、いつもより早く布団に入った。でも、なかなか眠れなかった。紗月の「待ってます」という言葉が、頭の中で何度も繰り返されていた。

翌朝、学校に向かう途中、校門の前で人影が見えた。近づいてみると、紗月が立っていた。私を見つけるなり、彼女は大きく手を振った。

「希砂!おはよー!」

明るい声が朝の校庭に響く。私は大声が出せないので、彼女の近くまで歩いて行って、小さく「おはよう」と返した。

「今日も一日よろしくね」

紗月はにこやかに微笑んで、そのまま私と一緒に校舎に向かった。廊下を歩きながら、彼女はいろいろな話をしてくれた。新しい歌の話、最近聞いた音楽の話、昨日見たテレビ番組のこと。私はほとんど相槌を打つだけだったけれど、紗月は気にする様子もなく話し続けてくれた。

しかし、クラスの前まで来ると、いつものように胸のざわめきが始まった。心臓が早鐘を打ち、呼吸が浅くなる。きっと顔も青ざめているに違いない。

周りにいた数人のクラスメイトが、私の様子を見て小さくつぶやいた。

「なんか気持ち悪い」

「大丈夫なの?」

その言葉が余計に私を追い詰める。でも、そのとき紗月が冷静に私に声をかけてくれた。

「大丈夫、落ち着いて。深呼吸してごらん」

彼女の落ち着いた声に導かれて、私は深呼吸を試みた。一度、二度、三度。少しずつ胸の苦しさが和らいでいく。

「どう?少し楽になった?」

紗月は心配そうに私を見つめていた。私は小さく頷いた。

「もう少しここにいる?」

彼女は私が完全に落ち着くまで、教室の前で待っていてくれた。そして、私が大丈夫だと言うと、一緒に教室に入ってくれた。

驚いたことに、紗月の席は私の隣だった。彼女は自然に私の隣に座り、朝のホームルームが始まるまで話しかけてくれた。

クラスメイトたちの視線は相変わらず気になったが、紗月がそばにいてくれることで、今日は一日教室にいられそうな気がした。そして実際に、紗月の手助けを借りながら、放課後まで教室で過ごすことができた。一年ぶりのことだった。

放課後のチャイムが鳴ると、紗月は振り返って私に微笑みかけた。

「じゃあ、音楽室に行こうか」

二人で廊下を歩きながら音楽室に向かった。昨日までは一人で歩いていた道のりも、紗月がいることで全く違って見えた。他の生徒たちも家路につき始め、校舎は徐々に静かになっていく。

音楽室に着くと、紗月の表情が変わった。さっきまで笑っていた顔から笑いが消え、真剣な表情になっていた。歌手としての彼女の顔だった。

「よろしくお願いします」

私も気持ちを引き締めて、ピアノの前に座った。紗月にどんな曲がいいのか、具体的な希望や提案を聞いて、できるだけ期待に応えられるようにと思いながら、曲作りに取りかかった。

「まずは歌詞から作ってみる?」

私の提案に、紗月は頷いた。

「どんなジャンルの曲を作りたい?」

「恋愛曲がいいかな。でも、ありきたりなものじゃなくて、何か特別な感じの」

恋愛曲か。私には経験の少ない分野だったが、紗月の希望に応えたかった。二人でたくさんのキーワードを挙げてみた。

「初恋」「片思い」「出会い」「別れ」「再会」「桜」「夕日」「手紙」「約束」

でも、どれもしっくりこない。ありふれた言葉ばかりで、紗月の言う「特別な感じ」からは程遠かった。

気がつくと、外はもうすっかり暗くなっていた。

「今日はここまでにしようか」

紗月は少し残念そうだったが、理解を示してくれた。

「また明日、続きをしよう。きっといいアイデアが浮かぶよ」

そう言って、私たちは一日目を終えた。

その日も家に帰って、夕食を食べ、お風呂に入った。布団に入ってからも、紗月のことを考えていた。彼女の真剣な表情、音楽に対する熱い想い、そして私を信頼してくれている気持ち。考えているうちに、少しずつ眠気が襲ってきた。いつものようにゲームをして、ゆっくりと眠りについた。

翌朝は目覚めが良かった。今日は昨日いなかった担任の田村先生も学校に来るらしい。そんなことを考えながら朝ごはんを食べ、いつものように学校へ向かった。

校門の前まで来ると、紗月がまた待っていてくれた。もうそれが当たり前になりつつあった。

「おはよう」

近づいて挨拶をすると、紗月も明るく返してくれる。二人で教室に向かいながら、今日の曲作りについて話し合った。

その日は一日授業を受け、また放課後に音楽室へ向かった。昨日よりも少しリラックスして作業に取りかかることができた。

そうして毎日が過ぎていった。朝の校門での待ち合わせ、教室での何気ない会話、放課後の音楽室での創作活動。いつの間にか、私たちの日常になっていた。

一ヶ月が経った頃、ついに歌詞が完成した。何度も書き直し、二人で議論を重ねた結果だった。その頃には、紗月と私は学校でいつも一緒にいることが多くなっていた。クラスメイトたちの視線も、以前ほど気にならなくなっていた。

「この曲、どこで初めて歌おうか」

完成した歌詞を手に、紗月が嬉しそうに言った。

「文化祭はどう?」

私の提案に、紗月の目が輝いた。

「いいね!文化祭なら、たくさんの人に聞いてもらえる」

六ヶ月後に行われる文化祭での発表を目標に決めた。私たちには新しい目標ができた。

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