とある元高校生の話。
「うっ、やばい。もう無理。今からでも逃げよう……」
「いや、もう本番前だから無理です、諦めてください」
「ヒィン……」
私は馬のような鳴き声を上げながら、楽屋で座り込んでいた。なんかこのやりとり、昔もやったことあるような気がするな……。
約一年ぶりの出演となるニッシーも、心なしか泣いている気がする。 やっぱ逃げよう。私には無理です。
そう決意した私は今度こそ……
「……ちょっと人よりキーボードが扱える元漫研部員です! それ以上でもそれ以下でもないです!!」
まあ逃げられないよね。
一年生の子たちは私のことを知らないし二年生も覚えていないだろう。
この一年で私は胸を張って、漫研ですと言えるようになった。
でも、それでいい。今の私は漫研なのだから。けれど、 軽音部員だったことを忘れたわけじゃない。
あの頃の記憶や経験も大事な思い出となって、私の人生と共に生きてる。
久しぶりのステージで、全身が熱くなる。 心臓の鼓動がいつもより早い。
卒業式の日。
気持ちを落ち着かせるために深呼吸をする──。
校門の前の桜が咲くにはまだちょっと早い時期だった。
それでも蕾は花開くのを今か今かと待っているようだ。
春らしい、ふんわりとした陽気に包まれた天気の日だった。 卒業式もHRも終わり、案の定、校門の前には写真を撮る同級生達と、それを取り締まる先生の姿があった。
私は、もう撮りたい人とは撮り終わったのでさっさと帰ろうとした。
また卒業ライブで来るだろうし。 なんとか人をかき分けて、目の前の歩道橋を登ろうとした時だった。
「千鶴!!」
後ろからよく聞き馴染んだ声がする。 何度も夢で見た光景で。
後ろを振り向けば、きっと彼女がいるのだろう。
私は、どうしたい?
もう一度、彼女とやり直したい? ぐちゃぐちゃな感情のまま、私は──。
ふっと、意識が引き寄せられる。
そうだ、私は今ライブ中だった。
バンドメンバーと目を合わせる。
これが本当の最後のライブだぞって、お互い心の中で言い合う。満足するまで見つめあって、最後の一音を鳴らす。
この熱気は本当に何にも代えられないなと思う。
これまた一年ぶりの歓声と拍手を浴びて、懐かしさから笑ってしまう。
オリエントホールの中段にいるPAに合図をするために一度観客の方を見た。
梅乃と目が合う。何故か泣いていた。 どうしてあなたが泣いてるのよ、って少し呆れながら笑う。
相変わらず泣き虫だなぁって。 そう思った瞬間、私の頬にも涙が伝った。
……人のこと言えないかも。
それは、梅乃も思ったらしくて私のことを指さして笑った。
うるせ、そう思ってとりあえずあっかんべー。
今度こそ役目を終えたニッシーと共に舞台から降りる。 ありがとう、ニッシー。どんなに辛いときも、しんどいときも、楽しい時も、ずっと傍に居てくれたのはニッシーだよ。 ニッシーをケースにしまいながらたくさんの感謝を伝える。
卒業ライブ。 校門の前の桜は、満開だった。
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