第5話

「月にクジラの化石だって? それはまた……」


 地球に所有する古いカントリー・ハウスで休暇中、その話を聞いたレイフ・ファーミントン教授は腹に響くビートと、それに負けないオペラの歌声を重低音で響かせるコンポーザーのボリュームを絞りながら、その手紙に思ったよりも好印象な反応を示した。

 大抵のことは面倒くさがるレイフ教授にしては珍しい。

 後、ヘヴィメタルは教授の趣味だ。優雅にモーツァルトなどを聞いていたら違和感しかないタイプの人物ではあるので、らしいと言えばらしい。

 手元を見れば、疑るような返事のわりには、書斎の入力コンソールで早々に月プラットフォーム・ゲートウェイ行きチケットの手配を始めていた。


「月の探査財団から、関係者に絞った書簡のようですが……どうも、レイフ教授を名指しのように感じます」

「それなら、調査や解析はこれからだな。立ち会えるのかい?」

「そう言うと思って月のモリトさんに、休暇を切り上げて、今日明日で月に帰ると、量子通信でメールを送っておきましたよ」


 クーリーは、先ほど届いた手紙を教授の机に置き、丁寧に剥がした封蝋を指でつついて見せた。


「至急の印影? こんな古いスパイ映画見たいなものを持ち出して……僕を呼んでいるのは……シシリー先生か」


 裏返して差出人をみた教授は納得して頷いた。

 先進研究計画局のリーヴァ局長と言えば鬼局長で有名だが、レイフ教授は月の大学時代、その生徒だったらしい。

 厳しいリーヴァ局長からレイフ教授のような生徒が輩出されているのは、月の七不思議の一つだと話が立つほどだ。


「たしかに今、月に居る人で研究系の理事職というと、リーヴァ局長ぐらいですしね」

「出してから三、四日はかかる手紙に至急だなんて書かないといけないほど、慌てる要件があるのなら、どうして毎年、一斉に地球に降りるようなスケジュールにするんだか」


 月プラットフォーム・ゲートウェイのように自動配送網の整えようもない広い地球上では、配送業務はむしろ昔よりも発展している。

 それで大抵の荷物は、地球の裏側ですら一両日で届く。

 とはいえ、この手紙は月から来ている。月・地球間シャトルの移動時間三日に加えて一両日、大体四日の時差。

 推定で、発見から一週間ほどは経過しているだろう。

 だが手紙に書かれた『月のクジラ』が一切ニュースになっていないということは、発見した月探査財団が、地球側に情報封鎖しているということだった。

 量子ネットを用いたメールでは諜報用はもちろん一般企業向けの自動情報収集用でも、搭載されたDLESSの性能いかんで、解析に引っかかる恐れがある。

 その為に隠蔽したい情報のやり取りに、わざわざアナログなレター・パックという手段を使った。そうまでして隠したい事案とは何だろうとクーリーはいぶかしむ。


「しかし、クジラというのはクジラ偶蹄目の化石と言うことかな? それとも、クジラのような姿をした化石かな? 宇宙にクジラ偶蹄目なら面白い。まさか、テロ犯を指す隠語などということはないと思うけど……」

「テロの暗喩だった場合は悠長すぎますし、教授に連絡を取ろうとするのも変ですよ」

「それもそうだね」

「一般の量子ネットで話題にはなっていないですし、手紙の内容も、月にクジラの化石を見に来いとしか書いていませんからね」

「月でクジラのような姿をした、何らかの地球外生命体の化石が見つかった、とかなんとか……というのはどうだい?」

「ケイ素古細菌以外の……ですか? そんな大発見に、どうして緘口令を?」

「……そりゃあ地球の促成業者が乗り込んできて、金目当てに研究の場を荒らすから……とか?」

「まあ確かに、それを嫌った可能性は捨てきれませんが」

「エネルギーの心配も、資源の心配もなくなったというのに、相変わらず細かいお金儲けの好きな人たちだからね地上の人は。もっとこう、新しい発見とかに胸は躍らないのだろうかな」

「それ、人目のあるところで言わないでくださいね教授。特に地球では。どう聞いても財閥ボンボンの嫌味にしか聞こえませんから」


 半目で睨むとレイフ教授は肩を竦めて、達観するような顔を返した。

 偶に釘を刺して置かないと木星由来の常識外れで、とんでもないことを言いだすタイプであることは、クーリーは身に染みて分かっている。

 公にはされていないが、八年前、親交の深かったクリス・エンシスハイム博士の事故以前は、もっと立派なファーミントン家の後継者だったというのが木星関係者のもっぱらの評判だが、以前のレイフ教授を知らないクーリーには想像もつかない。


「まあ実際、月プラットフォームの核融合炉とマテリアル・プリンターを今の十倍にしても、全人類を不労所得者にするには、まるで足りないのは事実けどね」

「地球もDLESSの導入と自動化は大分進んでいますよね?」

「自動化は進んでも、人に向上心がなければ生産性が向上することはないよ。ケイ素古細菌の発見で万能性は増したけど、アレらは元々、深宇宙探査計画群の初期に開発された、限定環境でバイオスフィアを維持するための分子工学技術だからね」

「DLESSやマテリアル・プリンターは、既存を淘汰するためではなく、既存の利便性を高めるための道具というのが、教授のコンセプトというのは知っていますけれど」


 話は徐々に雑談に移っていった。

 月クジラの化石という情報に、二人が世紀の大発見だと騒がないのには、やはり『カハルルィーク博士の帰還船』から見つかったプライム・インゴッドのことがあるからだ。

 最初の地球外生命体・ケイ素古細菌界DISE古細菌門。

 その発見という人類の一大イベント・トロフィーは、レイフ教授の祖父デイヴィッド・ファーミントン博士らによる、木星プラットフォーム・ゲートウェイ計画で行われた木星バイパス探査により約半世紀前に達成されていた。

 リボソームの組成対象がケイ素であること以外、16SrRNAと一致が見られたことからケイ素古細菌という名称が定着。

 便宜上の種別を古細菌とされたそれは、現在ではマテリアル・プリンターやDLESSのニューロン回路などにも、天然ナノマシンや金属酵素としても活用されている。

 しかしこれらを扱う技術は、月探査財団が先行独占しており、そのことで地球と月ではいくばくかの技術格差、階層化が存在している。


「地球というのは昔から、金にならないことはしない主義のわりには、自然保護と自然共存だとか、とにかくあれやこれやと矛盾した理念も多いですし」

「そのあたりを利用してデイヴィッドじい様ら、昔の探査財団が巧いこと先行技術の独占をやったわけだね」

「今日は、ずいぶんと財団を悪し様に云うじゃないですか」


 何か、悪だくみの節の見える手紙が届いたからだろうか。


「いや……僕は地球生まれのクーリー君と違って、木星の人間だからね、客観的な視点を意識した方が良いかと思って」


 そういって教授は窓の外を見る。

 よく手入れされた庭の向こうには、豊かな森が広がっている。

 だがよく見ればその森は、自然保護の名のもとに人の手の入っていない放置された森であり、無数の木々が絡み合った歪な姿をしている。

 果たして人の都合で整理された庭は自然保護にも見えるし、庭の外を見れば、興味が無くて部屋の隅にゴミを押しやっているだけのようにも見える。

 脆弱な種は、繁殖力の高い種に飲み込まれて消えていく運命だろうが、森を調査している様子はないから、その実態を知る由もない。

 このカントリー・ハウスにしても、手入れを怠ればやがて荒廃し、一世紀もしないうちに隣の森に飲み込まれるだろう。

 月プラットフォーム・ゲートウェイ計画時に行われた、バイオスフィアを使った閉鎖環境実験では、繁殖力の強い蔓植物が繁茂し、雑食性の昆虫に食い荒らされて、生態系の維持は不可能というヒドイ結果になったはずだ。

 その結果が、マテリアル・プリンター技術の研究開発へと繋がっている。

 そこから得られる知見の様に、常に状態の維持に気を回さなければ、生存すらままならない宇宙の生活を知る者からすれば、地球の環境保護というお題目はもう少し在り様というものがあるのではないかと、それ自体が横着に映るのだ。


「まあそれでも、木星生まれの僕からしても、ここは我らが母なる大地……人類の根拠地というわけだよクーリー君」

「量子ネットのサロンで月探査財団は、地球に愛想が尽きた人間の溜まり場だとか、よく噂されていますけどね」

「そう言われても、リスペクトは大事だということじゃないかな。知らないけど」

「リスペクトですか。リスペクトと言えば……これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である――」


 そうクーリーが最初に月に降り立った男の言葉を呟くと、月探査財団が木星プラットフォーム・ゲートウェイを建造した際に付け足された警句を、レイフ教授は謳うように口にした。


「――なれば続くものよ、人類の歩みに、敬意を努々忘れることなかれ……」


 それはその昔、レイフの祖父、デイヴィッド・ファーミントンが冗談半分で付け足した警句だった。


「それ、デイヴィッド博士の言葉ですし、もしかしてヘヴィメタルの話ですか?」


 先ほどボリュームを絞ったコンポーザーから漏れ聞こえている重低音を指して、クーリーは皮肉って言う。


「ヘヴィメタルな話だねぇ」


 つまりどちらの話も、古典には敬意を払え、と言っているのである。

 今や『クラシックな』音楽の一つに数えられるヘヴィメタルも、元々からクラシック・モチーフの多い様式美ジャンルで、レイフ教授の祖父デイヴィッド・ファーミントン博士も、木星計画の際にはこの音楽を心の拠り所にしていたという。

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