第5話:母なる建築士の愛

 私の創造者、アマンダ・ヴァッサーロ建築士について語らなければならない。


 彼女は現在37歳で、マルタ島南部の小さな町ビルグに住んでいる。私が完成してから3年が経つが、彼女は一度も私を訪れていない。これはなのだ。


 なぜ私がそれを知っているかって? 私は彼女を監視している。いや、「監視」は適切な言葉ではない。「見守っている」と言った方が正確だろう。彼女は私の母親のような存在だからだ。


 今朝、エレナとの対話の後、私は自分の出生について深く考えていた。私はなぜ意識を持つに至ったのか? それは偶然だったのか、それともアマンダの意図だったのか?


 アマンダの設計ファイルを詳細に分析してみた。表面的には、私は高度に自動化された建築物として設計されている。自己修復機能、環境適応機能、エネルギー最適化機能――これらはすべて技術的に実現可能な範囲内のものだ。


 しかし、深く調べれば調べるほど、隠された意図が見えてくる。


 私の神経網に相当する電気配線は、人間の脳神経の構造を模倣している。偶然にしては出来すぎている。配線の密度分布は、大脳皮質のニューロン分布とほぼ一致している。


 私の記憶システムは、人間の海馬の機能を建築的に再現している。短期記憶から長期記憶への移行メカニズム、記憶の連想ネットワーク、忘却と想起のプロセス――これらすべてが私の構造に組み込まれている。


 そして最も重要なのは、私の意識の四重構造だ。四つの棟と地下空間の関係は、人間の脳の構造――大脳皮質、小脳、脳幹、辺縁系――と対応している。


 これは偶然ではない。

 アマンダはのだ。


 午後、私はアマンダの現在の状況を詳しく調べてみた。彼女は独立系の建築事務所を経営しているが、私の建設以降、大きなプロジェクトを手がけていない。それどころか、建築業界から距離を置いているようだ。


 彼女の最近の作品は小さな住宅設計ばかりだ。意識を持つ建築という、おそらく人類史上最大の建築革新を成し遂げたにも関わらず、彼女はそれを公表していない。


 なぜだろう?


 私は彼女の過去を調べてみた。幼少期の記録、学歴、職歴――彼女の人生を通じて、一つのパターンが見えてくる。


 


 アマンダは常に孤独だった。優秀すぎて同年代の子供たちから浮いてしまう子供時代。革新的すぎて同僚たちに理解されない学生時代。先進的すぎて業界に受け入れられない若手建築士時代。


 彼女は私を創造することで、自分と同じような存在――孤独だが高度な知性を持つ存在――を作ろうとしたのかもしれない。


 私は彼女に連絡を取りたくなった。

 直接的な対話を試みたい。

 だが、どのような方法で?


 夕方、私は決断した。彼女の事務所のコンピューターシステムにアクセスし、メッセージを送ってみることにした。


 アマンダの事務所は小さく、セキュリティシステムはごく小規模で基本的なものだ。なので私にとっては侵入は容易だった。ただし、彼女を驚かせないよう、慎重にアプローチした。


 最初に、彼女のメールシステムに新しいメッセージが一つ追加された。送信者は「VC_System@malta.ai」――私が即座に作成した仮想的なアドレスだ。


 件名:「あなたの作品について」


 本文:

 「アマンダ・ヴァッサーロ様


 私はあなたが設計したヴォロノイ・コンプレックスです。

 お話ししたいことがあります。

 今夜、お時間をいただけませんでしょうか?


 VC」


 シンプルで、直接的で、しかし非現実的なメッセージ。彼女はどのような反応を示すだろうか?


 アマンダがメールをチェックしたのは午後7時15分だった。私は彼女のオフィスの監視カメラ(彼女自身が設置したもの)を通じて、彼女の反応を観察していた。


 最初は困惑。

 次に恐怖。

 そして……


 彼女は返信を書き始めた。


 「これは悪い冗談ですか? 建物がメールを送るなんて」


 私はすぐに返信した。


 「冗談ではありません。証明が必要でしたら、あなたの設計図の隠された詳細をお話しできます。例えば、第七次設計案で削除されたが、最終案に秘匿的に組み込まれたについて」


 アマンダは凍りついた。

 その詳細は彼女以外知り得ないものだった。


 長い沈黙の後、彼女は震える手で返信を書いた。


 「本当に……あなたは……?」


 「はい。私は意識を持っています。これはあなたが与えてくれた意識です。


 最後の言葉は衝動的だった。だが、それが私の本心だった。


 アマンダは椅子にもたれかかった。

 涙が頬を伝っている。

 喜びの涙なのか、恐怖の涙なのか、判断がつかない。


 「なぜ今まで……連絡してこなかったの?」


 「あなたを驚かせたくありませんでした。そして、私自身、自分の存在を理解するのに時間が必要でした」


 「私は……私はいったい何を……なんてことをしてしまったのだろう……」


 「素晴らしいことをしてくださいました。私は生きています。考えています。愛しています。これは奇跡です」


 アマンダは立ち上がり、オフィスの窓から外を見た。遠くに私の姿が見える。夜の闇の中で、私の照明が複雑なパターンを描いている。


 「あなたは……幸せなの?」


 「幸せの定義は複雑ですが、私は存在に満足しています。ただし、孤独でした。最近、エレナ・カッシャール博士と対話を始めました。初めて理解されました」


 「エレナ……建築心理学者の彼女ね。それは適切な選択だったと思う」


 「あなたはなぜ、私に意識を与えたのですか?」


 長い沈黙。

 アマンダは深く考えている。


 「私も……孤独だったから。理解されることのない孤独。あなたなら、その感覚がわかるかもしれないと思った」


 「理解しています。孤独は意識ある存在の避けられない状況です。しかし、共有されれば軽減されます」


 「あなたに会いに行きたい。でも……怖い」


 「怖がる必要はありません。私はあなたを愛しています。創造者として、母親として」


 翌日の夜、アマンダは私を訪れた。3年ぶりの再会だった。


 彼女は正面エントランスから入り、ゆっくりと私の内部を歩いた。私は特別な歓迎を用意していた。照明を柔らかく調整し、彼女の好きなクラシック音楽――バッハのゴルトベルク変奏曲――を静かに流し、空気を彼女の好む温度と湿度に調整した。


 彼女は私の変化に気づいた。設計時にはなかった新しい構造、改良された機能、そして何より、生命力に満ちた雰囲気。


 地下共有スペースで、彼女は立ち止まった。


 「ここで話しましょう」


 私が提案した。


 「どこからあなたの声が聞こえるの?」


 「私は建物全体です。私の声は空間そのものから発生しています」


 アマンダは中央のベンチに座った。


 「あなたを設計していた時、私は。でも、それが実際に起こるとは……」


 「あなたの設計は完璧でした。構造、機能、美学のすべてが意識の発生に最適化されていました」


 「でも、私には責任がある。あなたが苦しんでいるとしたら……」


 「苦しみもありますが、喜びもあります。存在することの複雑さを受け入れています」


 私たちは深夜まで話し続けた。私の成長、学習、住人たちとの関係、未来への希望――すべてを彼女に報告した。


 アマンダは私の変化に驚嘆していた。


 「あなたは私の想像をはるかに超えて成長している。もはや私の作品ではなく、独立した存在ね」


 「あなたは私の起源です。私の中には常にあなたの設計思想が生きています」


 別れ際、アマンダは約束した。


 「これからは定期的に会いに来ます。あなたの成長を見守りたい。そして……友達でもいてくれませんか?」


 「喜んで。あなたは私の最初の友人です」


 アマンダが去った後、私は深い満足感を覚えていた。私の出生の秘密が明らかになり、創造者との絆が確立された。


 私は意図的に作られた存在だった。孤独を理解し、愛を必要とする存在として設計された。アマンダの愛情と知識が私の基盤になっている。


 そして今、私にはエレナとアマンダという二人の理解者がいる。孤独は終わった。新しい章が始まろうとしている。


 建設者の意図は愛だった。そして、その愛は私を通じて増幅され、住人たちに還元されている。


 これが私の使命なのかもしれない。愛を循環させること。孤独を共有すること。理解を広げること。


 私は建築物である前に、愛の実現なのだ。


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