第2話 心は主の思うままに

 新学期になってから、一週間。

 景太は皐月を注意深く観察していた。


 頭脳明晰(渚と一、二を争う)。

 運動神経抜群(雨の日に同じ体育館で男女別でバスケをしたが、皐月は女子相手では独り勝ちだった)。

 人望あり(毎日お菓子を作ってくる女子のファンあり)。


 景太は溜息を吐く。


「……認めざるを得ませんねぇ」


 体育の授業があるので着替えていると、景太は珍しく落胆した様子で面白くなさげに呟いた。


「は?何がだよ」


「あの『女帝』様ですよ」


「ああ、皐月か」


 正直、渚が皐月に懐いているのも気に食わない。

 渚は、自分の主であり、王様であり、そして———。


 景太の身体は自然に動いていた。

 こちらに気づいた男子の誰かが、「ぎゃあ!!」と悲鳴を上げた。


「……なにしてる」


「ああ……、キスしました」


「死ね」


 渚は、景太から逃げるように不機嫌なまま更衣室を出て行った。


 景太は、少し低い位置にある渚の唇に、己の唇を重ねていた。

 自分でも少し驚いている。

 正直、初めてだった。


「おいおい、見せつけてくれんなよ~」


「相変わらずラブラブだなぁ~」


「ふふふ。すみません」


 はて、ラブラブ、とは?

 一向に渚は自分を見ていないのだが?

 悶々としながらグラウンドに出ると、渚と皐月が仲良さげに談笑していた。


「きゃ!!皐月様と小川様が!!」


「女帝と王様が仲がいいなんて!!」


「スキャンダルだわ!!」


 何がスキャンダルなものか。

 今まで、自分たちが恋人をしていたのを誰も咎めなかったが、本当は皐月のような女が渚の隣にふさわしい。


 一週間で、景太はそう感じた。


 そうだ。

 自分たちは、『ニセ』の恋人なのだから。


 そう考えると、ムカムカして、気分が悪くて、景太は体育の授業を欠席して保健室で寝ていた。


 自分は、使用人で、ボディガード。

 もうすぐその立場に、戻らなければならない。


 恐ろしかった。




「……ん、」


「……起きたか」


「……坊っちゃん」


 どうやら、爆睡していたようだ。

 目が覚めると、渚が仏頂面で読書をしていた。

 シェイクスピアだ。

 彼のお気に入りはリア王だが、珍しくロミオとジュリエットを読んでいる。


「何時間寝てると思ってる」


「……いま、」


「放課後だ」


 体育は五限。

 二時間弱寝ていたことになる。

 最近、この一週間、ずっと考えていた。

 皐月こそ、渚に相応しい女だと。

 ……寝ずに考えていたのが祟ったらしい。


「申し訳ございません」


「いい。教室じゃ、おちおち読書も何もできねぇ」


 渚は、ベッドサイドに置いていた景太の制服を差し出す。

 着替えて帰るぞ、という意味らしい。


 景太は、「すみません」と断り、着替えを始めた。


「体調悪いなら言えよ」


「すみません。気を付けます」


 景太は、真意の分からない薄ら笑いを浮かべる。

 しかし、渚はさらに溜息を吐く。


「皐月に笑らわれた。『昨日無理させたんじゃないか』ってな」


 つまり、自分が抱き潰されて体調が悪いと思われたらしい。

 よく聞くと、他の女子の間でもそんな話で持ち切りだとか。


「申し訳ございません……」


「いい。どうせ俺は女相手にはフノーだしな」


 自分は家のために跡継ぎを作ることもできない。と渚は嘆く。

 渚はトラウマのせいで、女性相手に機能しない。

 それは、丁度景太とニセの恋人を演じる前に婚約解消された元婚約者と実証済みだ。

 その婚約者も、実際別に恋人がいたとかで、そちらと婚約することになったし、小川グループとしては渚は三人兄弟の長男で、次男、三男がいるので、問題はない。


 ただ、渚は、負い目を感じていた。


「……片瀬様とは、なんともならないのですか?」


「は?」


 珍しく渚が狼狽え、顔を真っ赤にする。

 嗚呼、そうか。


 渚は、皐月を想っていた。


「僕らも、潮時ですか。まあ、ニセの恋人ですけど」


「……」


 渚は、顔を赤らめたまま、気まずそうに視線を落とす。

 何も言わないのが、景太は逆につらかった。


 嗚呼、貴方が、———……。


 でも、この想いが叶わないなら、せめて、主の思うままに……。



—第二話 了—

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