第16話
夏休みも終わりに近づいたある日。
彼女の状態変化が頭に浮かんできた。
【健康状態:難あり】
余命の数字は変わらない。
だが、その一文が胸に小さな棘を刺す。
意識して鑑定したわけではない。ただ、気を抜いた隙に情報が流れ込んできたのだ。
(……何があった?)
颯真は少しの逡巡の末、様子を確かめに喫茶店へ足を運んだ。
◇
午後の柔らかな光に包まれた喫茶店。
カウンターの奥に彼女の姿があった。
笑顔は普段通りだが、歩くたびに足をわずかにかばう仕草が見える。
その瞬間、颯真の脳裏に“確信”が突き刺さった。
悪性脳腫瘍、進行。片麻痺の兆候。
全身の力が抜け落ち、心臓が痛いほどに跳ねる。
膝が震え、椅子に腰を下ろさなければ立っていられなかった。
ほんの刹那の確信。それだけで、体は完全に裏切った。
(……いや、断定はできない。他の可能性もある)
冷静さはすぐに戻る。
だが体の震えは止まらない。
颯真はそれを隠すように息を整え、落ち着いた声で言った。
「……コーヒーを頂けますか」
「だから言ってるだろう、ちゃんと医者に診てもらえ」
「大丈夫ですよ、これくらい」
「無理をすれば長引くんだぞ」
「平気です。明日には良くなってますから」
互いに譲らぬやりとりに
(彼女らしいな……だが、これは放っておけない)
カップを置き、ゆっくりと席を立った。
「……失礼ですが」
「先日は助けていただき、ありがとうございました」
彼女は驚いたように目を丸くする。
「あ……この前の……! こちらこそ」
二人の視線がこちらに向く。
颯真は軽く頭を下げ、穏やかに続けた。
「僕はまだ医者の卵ですが、診断はできなくとも、少し問診させてもらってもいいですか?これから受診するにしても、行くべきかどうかの判断材料にはなると思います」
彼女は一瞬きょとんとしたが、やがて小さく笑って頷いた。
「はい……お願いします」
颯真は落ち着いた声で問いを重ねた。
「いつ頃、足を痛めましたか?」
「昨日、荷物を運んでいて、ちょっとひねったんです」
「歩くとき、強い痛みは?」
「ズキズキしますけど、歩けないほどではないです」
「腫れや熱は?」
「少し腫れてますけど、冷やしたら楽になりました」
「歩いていて、ふらついたり、片足に力が入りにくい感覚はありませんでしたか?」
「いいえ。普通に歩いていました。ただ段差に気づかなくて」
「しびれや感覚の鈍さは?」
「ないです。ただ、踏ん張ると少し痛いだけ」
彼女の答えは明瞭で、矛盾がない。
颯真は瞬時に組み合わせ、結論を導き出した。
(神経症状なし。言語障害なし。感覚異常なし。
これは腫瘍の進行ではない。ただの局所的なねんざだ)
答えを整理し、颯真は微笑を浮かべた。
「……おそらく軽い捻挫ですね。今のところ深刻ではないと思います。ただ、無理をすると長引きます。できれば整形外科で診てもらうと安心です」
彼女は驚いたように目を見開き、安心したように笑った。
「ありがとうございます。……本当にお医者さんみたい」
「まだ卵ですから。でも、いずれは胸を張って言えるように学んでいます」
その場の空気が少し和らいだところで、颯真は言葉を添えた。
「そういえば、先日のハンカチ……綺麗に洗ってお返しできるようにしてあります。ただ、一度使ったものですし、もし特別に思い入れがないものでしたら、新しいものを買ってお礼にさせていただいてもよろしいですか?」
彼女は意外そうに目を瞬き、それから小さく笑った。
「そんな気を遣わなくても大丈夫ですよ。でも……お気持ちは嬉しいです」
その笑みを見ながら、颯真は胸の奥に穏やかな温かさが広がっていくのを感じた。
香ばしいコーヒーの香りの中で、彼の決意はまた一つ静かに深まっていった。
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