第22話 秋祭りの夜に

 九月に入り、夏の終わりの気配が夕暮れの風に混じり始めた頃。この街の一番大きな神社である神明社で、今年も秋祭りが開かれる。

 それは、志保にとって毎年楽しみにしていたはずの祭りだった。良樹とふたりで歩いた幼い日の記憶。去年は市原と美咲も加えた4人で腹を抱えて笑い合った、ついこの間の記憶。

 けれど今年の秋は、何もかもが違ってしまっていた。


 「ねえ、志保。今度の土曜、神明社のお祭り、どうする?  あ、もしかして藤原くんと行く約束してたりする?」

 昼休み、美咲が「アンタの気持ちなんか、全部お見通しよ」とでも言いたげな顔で、少しだけからかうように、けれどとても優しく尋ねた。

(本当に敵わないな、美咲ちゃんには)

 志保は心からそう思う。

「ううん。藤原くん、その日は用事があって、行けないんだって」

「そっか。……じゃあさ、私と行こ?  二人で浴衣着てさ。美味しいもの、いっぱい食べよ!」

 美咲の一点の曇りもない笑顔。その笑顔に救われるように志保は「うん!」と大きく頷いた。


 (でも、本当のことを言うとね……)

 その瞬間、心のどこかで、ほんの少しだけホッとしてしまっている自分もいたんだ。

 もし、藤原くんから「一緒に行こう」って誘われていたら、私はなんて答えたんだろう。よしくんと渡辺さんがいるかもしれないあの場所に、藤原くんと二人で行く勇気が私にあったのかなって。

(一緒に行けない理由があって、よかったのかも……)

 そんな風に考えてしまう自分が、すごく嫌だった。

 

「はぁぁ」

 お祭りからの帰り道の途中、私はなんだか疲れてしまって、電柱にもたれかかりながらちょっと休みました。空を見上げると綺麗な満月が浮かんでいました。

「綺麗だなぁ……」

 この月は去年と同じなんだろうなって、月は去年も一昨年もその前もきっとずっと同じだけど、人間はそうじゃないんだなぁって、なんだかなぜかそんなことを考えてしまいました。

「ダメだなぁ、私」

 よしくんが渡辺さんと付き合い始めてからもう何ヶ月も経っているのに、私はいまだに立ち直りきれなくてウジウジしたままです。ううん、それだけじゃない。


 夏休みに映画を一緒に見に行って以来、藤原くんとは毎日のように会って話しました。ほとんどは図書館だけど、何回か二人で遊びに行ったりもしました。

「槇原さん、大丈夫? 疲れてない?」

 藤原くんは、いつもそう言って私を気遣ってくれます。

「うん、大丈夫だよ。ありがとう」

「疲れたら、いつでも言ってね」

 藤原くんは、よしくんとは違って直接言葉にしてくれます。その言葉も、とっても優しい言い方で。

 だから、なんだか自分がすごく大切にされてるなって思っちゃいます。藤原くんと付き合う女の子は幸せだろうなって、本当にそう思います。


 「僕ね、ずっと前から槇原さんのこと好きだったんだ。でも槇原さんは川島くんの事が好きだと思ってたし、二人は付き合ってるもんだとばかり思ってたから……言えなかった」

 藤原くんに告白されたあの時、私の心はズキンと痛みました。

「でも川島くんは渡辺さんと付き合ってるし、だったら僕がって思ったら、もう気持ちを伝えずにはいられなくなっちゃって……ゴメンね。急にこんな好きだなんて言われても困るよね」

「ううん、そんなことない……そんなことないよ。嬉しい。本当に嬉しいよ」

 ウソじゃありません。本当に嬉しかった。でも、やっぱり返事は出来ませんでした。そんな私を見かねたのか、藤原くんは「返事は急がなくてもいいから」って言ってくれたの。

「今すぐ返事が欲しいなんて思ってないから。槇原さんがちゃんと自分の中で答えを出せるまで、僕はいつまでもずっと待ってるから」

 藤原君は、本当に優しい、良い人です。


 翌日学校で顔を合わせても、藤原くんは何も言いませんでした。その後も彼はずっとそのことに触れません。私が答えを出すのを待っているのに、早く答えて欲しいはずなのに、それでも彼は一度も急かすようなことを口にしません。

 ハッキリ好意を口にされているのに、付き合って欲しいって言われているのに、それなのに私は何の返事もしないまま時間ばかりが過ぎています。

 わかってる。このままじゃダメだって。キチンと自分の気持ちを伝えてくれた藤原くんに失礼だって。不誠実だってわかっているんです。

 藤原くんは良い人です。まだまだ知らないことも多いけど、でもとっても良い人で、女の子にも優しい男の子だっていうことはもう知っています。

 もし、よしくんよりも先に藤原くんと知り合っていたら、そしたら彼の方を好きになっていたかもしれません。それぐらい素敵な男の子だとは思うんです。思ってるんです。最近わかったんだけど、藤原くんのことを好きだっていう女の子がクラスには何人かいるみたい。

 藤原くんは一緒にいると楽しいし、話していても面白いし、きっと付き合う相手としては申し分ない男の子だと思うんです。この前同じクラスのコに「一緒に居るとお似合いだね」って言われました。よしくんと一緒の時は、そんなこと1度も言われたことなかったのにね。

(もうよしくんのことは諦めて、藤原くんと付き合った方がいいのかな)

 でも本当に諦めきれるのかな、付き合い始めたら藤原くんのことだけを見ていられるのかなって考えると自信がないの。それが出来ないまま付き合ったら、それはもっと失礼な気もするし。


 どれくらいボーッと空を見上げていたんだろう、突然誰かが私に声をかけてたのに気づきました。

「あれ? 志保じゃん。なにやってんだこんなトコで」

 声で誰だかすぐにわかりました。暗くて顔は見えませんでしたけど、わからないわけがありません。だって……だって、私の大好きな人だから。

「一人でどうしたの? 渡辺さんと一緒だったんじゃないの?」

 よしくんは肩をすくめて「さっきまではな」って言いました。

「友達にバッタリ会っちゃって、久しぶりみたいだったから俺が遠慮して帰ってきたんだ」

「そう、なんだ」

「志保はこれから祭りに行くのか?」

「ううん。私は美咲ちゃんと行ったの。それで帰る途中だったんだけど、ちょっと疲れちゃって一休みしてたの」

「ふーん。大丈夫か? 1人で帰れるか?」

「うん、大丈夫だよ。もうちょっと休んだら帰るから」

 てっきりそのまま帰っちゃうと思いました。でもよしくんはちょっと考え込む素振りをして、そのまま帰らないでそこに居てくれたの。

「帰るんだったら、夜道は危ないから一緒に帰ってやるよ」

 この人はどうしてこんなに優しいんだろう。渡辺さんのことが好きなくせに、なのにどうして私にもこんなに優しいんだろう。

 でもそれはとっても素晴らしいことだと思います。そういうよしくんだからきっと私は好きになったんです。だけど、今はそれが辛い。その優しさが私だけに向いているわけじゃないことが辛いの。それ以上の想いが渡辺さんに対して向けられているんだなって思うと羨ましいの。妬ましいの。そして……寂しいの。

(ずるいよ、よしくん。渡辺さんにだけ優しければいいのに。そしたら私だって……)

 でもやっぱり嬉しいことに変わりはなくって、だからよしくんにそう言ってもらっただけで喜んじゃう私も居て……なんだか今の私、心がグチャグチャで矛盾だらけだ。自分でも自分の気持ちが、もうよくわからないよ。

「あ、あの、よしくん!」

「へっ!?」

 私が急に声をかけたからか、よしくんはひどく驚いた様子でした。

「なんだよ急に。ビックリさせんなよ」

「あの、よしくん。私ね、えっと、あの、なんだか急にあんず飴が食べたくなっちゃって……。だからその、もう一度戻っていいかなぁ?」

「戻るって、祭りにか?」

「うん……ダメ?」

「別にダメじゃねえけど、っていうか行きたきゃ行けばいいんじゃねえのか? 俺に許可を得る必要ねえだろに」

「うん、そうだね……そうなんだけど」

「なんだよ、そんな顔すんなよ。そんなにあんず飴食いたいのか?」

 私は少し間を置いてから小さく頷きました。あんず飴なんて本当はどうでもいいの。私はただ、大好きな人と少しでも一緒にいたかっただけなんだけど。

「ったく仕方ねえなぁ。このまま1人で行かせるわけにもいかねえし、しゃあねえ、俺も付き合ってやるよ」

 その瞬間、きっと私の顔は喜びでいっぱいだったと思います。だってよしくんが「なにがそんなに嬉しいんだよ」って言ったもん。

「いいの? 付き合ってもらっちゃって」

「今から戻ってそれから帰ったんじゃ遅くなりそうだし、それなのに志保一人で帰らせるわけにはいかないだろ? 何かあっても困るからな。しょうがねぇから付き合ってやるよ」

「……ありがとう、よしくん」

 あぁ、私ってズルイ女の子だ。こう言えばきっとよしくんは付き合ってくれるって、わかっていて言ってる。

 そしてよしくんは私の思った通りの反応をしてくれた。私のワガママなのに、ホントにあんず飴が食べたいわけじゃないのに、ただ少しでもよしくんと一緒にいたいからそう言っただけなのに、なのに全然疑いもしないで一緒に行ってやるって言ってくれるよしくん……。

 私は心の中でゴメンナサイって謝りながら、でもそれでも一緒にいられることが嬉しくて楽しくて仕方ありませんでした。


 お店を閉める時間が近づいているからか、お祭りはもうだいぶ人が少なくなっていて歩いて見て回るのもさっきより楽になっていた気がします。

「志保、ちょっと付き合ってくれよ」

 お祭りに戻ってしばらくしてから、よしくんがそう言いました。なんだろう?

「いいけど、どこに行くの?」

「いやぁ、どうせ戻ってきたんならもう1回チャレンジしたいのがあってさぁ」

 そう言ってよしくんが向かったのは射的の夜店でした。

「射的?」

「ああ。さっき狙ってたのが取れなくって心残りだったんだけどさ、また戻ってきたからにはもう1回やって取ろうかと思ってな」

 よしくんは人形が取りたいんだって、そう言いました。的が乗っている棚の1番上にある小さなクマのぬいぐるみ。それが欲しいんだって。

「クマのぬいぐるみ? よしくん、あれが欲しいの?」

「いや、俺じゃなくって渡辺がな。あれが気に入ったって言うから取ろうと思ったんだけど、何回やっても当たらなくってさぁ」

 その名前を聞いて、私は心の中にトゲがサクッて刺さったのがわかりました。そっかぁ、渡辺さんへのプレゼントだったんだね。だからどうしても取りたかったんだね。

 よしくんは5回目でやっとぬいぐるみを取れました。

「おう兄ちゃん、やっとあれが取れたか。ずいぶんつぎ込んだけど、取れてよかったな」

 お店の人から受け取った時の嬉しそうな顔、私が見たことのない笑顔。それは私の知らないよしくんでした。

「志保も何か欲しいのあるか? あったら取ってやるぞ」

 望みがかなって機嫌がよかったのかな。よしくんはニコニコしながら私にそう言いました。

「えっ!? いいの? お金なくなっちゃうよ?」

「別にこづかい全部つぎ込んでるわけじゃねーし、これ取ったついでだよ。取れるかどうかわかんねーけど、狙ってやるから欲しいの言えよ」

 ついで、よしくんはそう言いました。そうだよね、そうなんだよね。わかってるの、そんなこと。でも前はそんなこと言わなかったから、ついで、なんて言われたことなかったから、だからやっぱりちょっと辛いな。

「……どれでもいいの?」

「ああ。取れるかどうかわかんねえけどな」

「じゃあ……あのウサギのぬいぐるみがいいな」

 私は渡辺さんのぬいぐるみと同じ棚にあるウサギのぬいぐるみを指差してお願いしました。

「あれか。わかった、ちょっと待ってろな」

 よしくんはそう言うと射的の銃を構えて、私が頼んだぬいぐるみに狙いを定めました。渡辺さんのはなかなか取れなかったみたいだから、私のもきっと1回じゃダメだろうなって思ってた。だからあんまり期待はしないようにしていたんです。でも……。


パンッ!!


 弾を撃つ乾いた音が響いたそのすぐ後に、何かが棚の上からコロンと落ちました。

「えっ、マジか!?」

「うそっ!?」

 落ちたのは私が欲しいと言ったあのぬいぐるみでした。よしくんは1回でそれを落としちゃったんです。渡辺さんのは何回も何回もやってようやく取れたのに、それと大きさはほとんど同じぬいぐるみなのに1回で取ってしまったんです。こんなことってあるんだなーと思いました。

「お見事! 兄ちゃん、すごいじゃねえか!」

 射的屋のおじさんが少し呆れたように、でも感心したように声を上げました。

「さっきのクマは何発もつぎ込んでやっと取れたのに、今度のウサギは一発かい。いやはや、驚いたね」

 おじさんの言葉に、よしくんもハッとした顔をします。そうだ。渡辺さんのためのクマは、何度も、何度も狙って、ようやく落とせたんだ。それとほとんど同じ大きさの、同じ場所にあるぬいぐるみが、なんでこんなにあっさりと……。

「ははは、取れちまったよ」

 お店の人から受け取った後、よしくんは自分でもビックリしているみたいにそう言いました。まさか1回で取れるとは思わなかったって、ホントに驚いた顔で。

「ほらよ。取れたからやるよ」

 スッと差し出されたウサギのぬいぐるみ。ついでに取ってやるって言われたけれど、でもそれでも嬉しかった。ついでだって、おまけだって、それでもよしくんが私のために取ってくれたんだもん。


 帰り道、私たちは久しぶりに二人並んで歩きました。

「なんか嬉しそうだな。そんなにあのぬいぐるみ欲しかったのか?」

 よしくんはそう言ったけど、そんなわけないじゃない。

 ぬいぐるみも嬉しかったけど、よしくんの隣りにいるから嬉しいんだよ。だって……久しぶりだから。ずっとこの場所は渡辺さんに取られていたけど、今日は私の場所なんだもん。嬉しくないわけないでしょう?

 よしくん、いつか私の気持ちに気づいてくれるのかな? 気づいてくれたらいいのに……気づいて欲しいな……。

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