第6話 透子の朗読発表会
宮沢賢治を聴く会。
透子が立っている舞台を中心にできた丸い人の輪。20名ほどのこどもとその保護者であろう大人たちが、心配そうにその小さな舞台を見守っている。
ホール横の広場に設けられたそのスペースに立てられた看板には、ここが市内の朗読サークルが開いた朗読発表会であることが書かれていた。
こどもたちを集めて、朗読を通して作品を知ってもらうためのイベント。
その場所は今、静まり返っていた。これだけのこどもが集まっているのに、誰ひとり不満も疑問も口にしない。ここまでの透子の朗読が彼らを魅了していた証拠だった。
「強引にでも終わらせた方がいいかしら……?」
「でもぉ」
息を切らせた響が円の外側で立ちすくんでいると、関係者のような婦人たちが小声で話し込んでいた。
「この朗読会は彼女が提案した企画だし、少しかわいそうじゃないかしら……」
「だからこそよ。もう無理だって思ったら、諦めてくれるかもしれないじゃない?」
もう無理だって思ったら、諦めてくれるかも。
それは響が、合唱団で感じ続けていた無言の圧力だった。
ヘタクソのパートはないんだよ。頼むから歌うフリで我慢してくれよ。
これは、みんなのうたなんだよ。
もう無理だって諦めてくれよ。
誰が言うともなく、背中に投げられてきた無言の圧力だった。あなたも?
透子もそれを感じていたと言うのか。
(なんで……)
あの本は、響が途中で読むのを止めた本だった。透子と最後に会ったあの日以来、響はあの本をずっと鞄に忍ばせて持ち続けていた。
いつかたまたま会えたら、返そうと思っていた。自分が逃げ出したあの河原に戻る勇気はなかった。
でも、大人の透子なら本を買い直すことだってできたはずだ。自分が提案した、大切な作家の作品の朗読会なのだから。
そこまで考えて、響は思い至った。
小説のすべての漢字に書き込まれた、ふりがな。たくさんの紙に書かれた大きすぎる、ひらがな。自分の前で一度も本を読むことなかった透子。
スマホに打ち込んだ文字に返された曖昧な笑顔。
わかんない。
またね!
「自分で本を読もうとしないし」
違う。
「人に読ませて覚えるなんて楽するし」
違う。
「相手の都合なんて、これっぽちも考えてない」
違うんだ。
相手が困るなんて、最初からわかってたんだ。
響は壇上で口を結ぶ透子に自分の姿を重ねた。
自分ができないことなんて、最初から知ってるんだよ。ボクたちは。
でも、諦めきれないんだ。
諦めきれないから、同じように振る舞っている。
決定的にできないということを、必死に隠している。
努力で補うことができない能力を人は見限る。分ける。
社会は、そういう人間を決して同じ土俵で戦わせてはくれないんだ。
落ちたら、終わりなんだ。
その時、透子の声が頭の中で響いた。響はハッとして、止まっていた足を一歩踏み出した。
透子はわかっていたんだ。
「やりたいことの近くに身を置いて、楽しみながら大事に育てて……」
戸惑うこどもたちの間も、できるだけ気を遣いながら歩く。それでもはやる気持ちを抑えきれずに無理矢理進もうとする響を、こどもたちは不思議そうに見上げた。
わかっていなかったのは、ボクだ。
「いつか夢に届きそうになったときに、手を伸ばすチャンスをじっと待つの」
あの日、チャンスを待っていた透子が伸ばしていた手を振り払ったのは響だった。
だから、もう一度掴んだ。
朗読の台本を持つ透子の華奢な腕を、響は強く掴んだ。
静まり返った広場に、台本が落ちる音が響いた。
台本に書きなぐられた大きめの、いびつな、ひらがなの羅列は、透子が読めるのを止めた場所から白紙になっていた。
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