第7話 うたの響

響がまだ河原に顔を出していた夏のある日のことだ。


「あ、待って!」

4冊目の朗読の途中、響が続きを読もうとすると透子が制した。

「どうしたんですか?」

「たぶんだけど……ここから」

そういって透子は、文章の中で詩のようになってるひとかたまりに指を滑らせた。

「……ここまでは、歌なの」

ニッと笑う。

「形でわかる!」

「形?」

「うん、この部分だけ他の文章より短く終わってる。こっちは大きな四角だけど、ここは小さめの四角でしょう?」

「……」

恐らくページ上で文字が占める割合を、その段落のだいたいの面積で把握しているのだろう。そう推測できたものの、なぜそんなまわりくどいことをするのかわからなくて頭を抱えた。


「楽譜もあるのよ」

響の動揺などにはおかまいなしで、透子はいばるように胸を張った。他人の作品なのに、まるで自分の手柄のように嬉しそうだ。

「小説の途中で、歌が入ることなんてあるんですか?」

「嘘だと思っているでしょう!ね、調べてみてよ」

「自分で調べてくださいよ」

「スマホ持ってないもん」

そっちが嘘じゃないか、と呆れつつ響はスマホを取り出した。


透子さんがスマホを持ってないというのは本当だったのかもしれない、と今になって響は思う。

スマホの使用目的の大半は小さな文字でのやり取りで、それは透子に苦痛をもたらすもののはずだ。


その後も透子は何度も響に頼み込んだが、響がその先を読むことはなかった。歌の部分になると、どうしても声が出ない。

響はその度に最初に戻って一行目から読むので、歌に入る前までの物語は透子の中にしっかり残ったようだった。


そして。

小さな舞台に落ちた、半分白紙の台本に目を落としたまま透子は動けずにいた。

大好きな宮沢賢治のその物語を、透子はまだ読んだことがなかった。読んでもらったことがなかったからだ。

歌ってもらったことがなかったからだ。


「文字が読めないんでしょ」

「響くん……」

腕をつかまれた透子は、響にすがるような目を向けた。

「どうしよう、この先がわからないの。聴いたことがないから、私は聴いたことがない物語を読むことができないの」

「できます」

響が強く断言する。

「透子さんの中には今まで聴いてきたたくさんの物語がある。小説家になりたいんでしょう?」

「でもっ」

「読めなくても、書けなくても、なれますよ。透子さんは、こんなに見事に語れるんだから」

宮沢賢治にはなれないかもしれない。

なれなくてもいい。透子さんは、透子さんの物語を語ればいい。


そのために、ずっとチャンスを待ってたんだ。

ボクたちは。


ドッテテ、ドッテテ、ドッテテド

ドッテテ、ドッテテ、ドッテテド


響はお腹の底から声を出した。家に帰って何度も何度も練習した歌だ。透子に聴いてほしくて。

(上手く歌えないボクのうたよ、届け!)


ドッと、笑いが起きた。オンチに対する笑いなのかもしれない。でも、これは合唱じゃない。

歩く能力がない電信柱がはじめて歩く。おぼつかない足取りを表す。全身で歌う。


ドッテテ、ドッテテ、ドッテテド!


すると会場から、ひとつふたつ声がとんだ。

ドッテテ

ドッテテ


こどもたちが面白がって一緒に歌っていた。

だんだん大きな歌声になって、舞台を中心にした広場が歌で埋めつくされる。


ドッテテ、ドッテテ、ドッテテド!

ドッテテ、ドッテテ、ドッテテド!!


ホールでは今頃、合唱団の美しい歌声が響いている。その声に負けないよう、響は歌った。


上手くなくてもいい。楽しい。

合唱をしたかったんじゃないんだ。

ただ、こうやってみんなで歌いたかったんだ。


透子は驚いて響を見、歌にわく会場を見た。

合唱を諦めて、歌うことを選んだ。

響の思い通りではないかもしれない。

でも、願い通りだ。


「ありがとう、響くん」

響の横顔を見つめ、ゆっくりと前を向いた。

たくさんのこどもたち、大人たち、朗読の仲間。

最初の読者にしては、多すぎるくらいだ。


「これで、宮沢賢治の朗読会はおしまいです」

透子の声は歌声が渦巻くなかでもよく通る。

響が歌いながら、横目で見る。

小説家ではないかもしれない。ましてや宮沢賢治であるはずがない。


しかし、響はこれから一番読みたい物語を聴く。

大好きな人の側で、大好きな人の話を。

大きく息を吸い込んだ透子は、自分の声で自分の言葉を紡ぎ始めた。

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響のうた 木端みの @kihashimino

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