一 魔法なんてないじゃないか

 死を待つ蝉が声を枯らす。

 直射日光。アスファルトの駐車場。仄かに立つ陽炎。

 田舎に似合わない荘厳な建物に、黒服を着た人々。

 夏の終わり。


 会場内は不自然なほどの花束が盛られ、その中央には黄金色の箱が横たわっている。

 その周りを囲み、中を覗き込む黒服たち。

 無表情を装う男性、ハンカチで顔を隠す老婆、寄り合って涙を流す女生徒。

 掛水かけみずこうもそのうちの一人だった。高校のブレザーを着た衡は、涙を流すこともできず、表情を作りかねたまま立ち尽くしていた。

 棺の中には、今では人形になった少女が横たわっている。先日まで黒瀬くろせいずみの名で高校へ通っていた少女は、光の色の花々に囲まれ、手を組んで眠りについていた。周囲の人々の泣き声にまるで気づいていないような、安らかな寝顔をしていた。

 いずみの母、葉月はづきは、衡の隣でもうずっと棺を覗けず、涙を拭い続けている。

 小さい女児が父親に抱きかかえられ、いずみの手元に一輪の白い花を置いた。

「いずみちゃん、お花どうぞ」

 そして目を腫らしながらいずみに声をかけた。

 いずみの肩の上には、腕ほどの長さの杖が置かれている。先端の尖った、魔女の使うような木製の杖。衡の思い出の中のいずみは、二回ほど、この杖を大事そうに見せてくれた。

 衡はふと思い出したように、ポケットからペンダントを引き摺り出した。金のチェーンに一つだけ、透き通った濃い緑色の石が付いている。

 いずみの首元に掛けようとして、その手が止まった。

「それ、持っててくれたのね」

 葉月は涙を拭いながら言った。

 衡は手を下ろした。

「やっぱりやめておきます」

「そう。大事にしてあげてね」

 衡は頷き、ペンダントを指に巻いてポケットに戻した。

 先ほどの女児は泣きながら、ずっと棺に手を振っている。

「いずみちゃん、天国でも元気でね」

 手を振りながら、首の周りを涙で濡らしながら、父親と共に離れていった。

 他の人々も次々と離れ、最後にスタッフが棺の蓋を閉める。眩いほどに照らされた花束の上から、写真の中で笑顔を振り撒くいずみがそれを見下ろしていた。


「それでは、これで失礼します」

 式が終わり、ほとんど親族だけが残った頃、衡は葉月に一礼して言った。

「衡くん今日はありがとうね。いずみもきっと喜んでいると思う」

「いえ。俺は何もできなかった。いずみを助けられなかったのは俺なので」

「あのね、あまりいずみのこと、気に病まないようにしてね。衡くんは何も悪くないし、それに衡くんにはまだ先があるんだから」

「……はい」

「送っていこうか?」

「大丈夫です。ちょっと独りになりたいので」

「そう。気をつけてね。ほんとに、気をつけて」

「はい。また会いに来ます」

 衡はもう一礼し、会場の外へ出た。青黒い影が俯いたまま歩き出した。


 大通りを渡って住宅地を抜けると、通い慣れた高校が見える。

 グラウンドのそばを一人歩く。夏休みにも関わらず、野球部もサッカー部も見かけない。朝は自転車でごった返す校門前も、自動車が素通りしていくばかり。門扉は閉まっていた。

 日差しが強い。滲み出す陽炎が、その景色を幻想のように包み込む。


 ――あの!

 呼びかけられて振り返った瞬間を、今も覚えている。2年前のこの場所、春の終わりの夕方だった。

 夕焼けをバックに、制服の少女が立っていた。黒髪を後ろで束ね、茶色い巨大なリュックを背負った、どこか特異なシルエット。

 人違いかと思った。クラスメートではない。

 が、返答に困っている衡に彼女は続けて言うのだった。

 ――いつも図書館にいる人ですよね?

 衡は怪訝な顔をする他なかった。


 今思い出すと苦笑してしまう。

 この頃からいずみは、いずみらしさに溢れていた。


 高校から通りをしばらく歩くと神社がある。

 坂の多い住宅地の中にあって、この神社は一際高く、石段を登り切らないと本殿が見えない。

 周辺には木が生い茂り、夕方登るにはやや暗いのだが、知り合って数日の少女と話し込むには絶好の場所だった。


 ――魔女?

 石段に並んで座って、初めてこの話を聞いたとき、衡は久しぶりに素っ頓狂な声を上げた。

 ――イェス!

 自分は魔女だ、と言い張るのである。

 ――あの、魔法使いの?

 ――信じてないな?

 ――だって魔法なんて……。

 ――でも、そういうの好きでしょ?

 いずみはそう言って、日の消えかけた空の下でニヤリと笑った。

 やや恐ろしさを感じて聞けなかったが、いずみは衡のことをいつからか見ていたのだろう。

 確かに嫌いではなかった。


 でも今は眩しすぎる。

 しばらく神社を見上げた後、衡はまた歩き出した。


 更に少し歩くと公園がある。ブランコと滑り台、ジャングルジム、背の低い鉄棒と雲梯が点在し、砂場以外はほとんど雑草に覆われている。数人の子どもが、服が錆色になるのも構わず遊んでいる。

 衡はこの場所で、魔法使いの弟子になった。


 どこからか吹き込んだ落ち葉の溜まった、秋の夕方。出会って半年かけて、いろいろなやり口で口説かれた末のことだった。

 日はすっかり落ちていた。

 ――衡くん、形から入るタイプでしょ。

 わざわざ竹箒を持参した衡のことを、いずみは笑った。

 ――だって魔女って箒がいると思って。

 ――でも、大事よ、そういうこと。

 いずみはひとしきり笑うと急に真面目になって、ポシェットから緑色の石のついたペンダントを取り出した。

 ――では、我が一番弟子の証として、これを授けましょう。

 いずみが気に入って着けていたペンダントと同じもので、衡はやや驚いたが、本人も普段通り着けている。衡のためにわざわざ用意したらしかった。

 そしていずみは衡の首に腕を回し、頸の上で結んだ。

 プレゼントをもらって急に気が引けてしまい、衡は思わず言った。

 ――俺、本当にできるかな。

 できるなんて思っていなかった。だって、魔法だ。魔法使いの弟子なんて凡人のやることではない。

 しかしいずみは至って真面目に、微笑みを返した。

 ――大丈夫。人は誰でも魔法が使えるんだから。

 口説き文句で何度も聞いた言葉だった。聞かされる度に不安になったものだが、このときばかりは少しだけ肩の荷が降りた心持ちがしたのだった。


 衡はズボンのポケットを握りしめた。

 先程いずみの首元に納めようとしたものが、そのときのペンダントだ。

 そのズボンの生地を抜けて、指の隙間から緑色の光が微かに漏れていたことを、衡は気づかなかった。


 公園を通り抜けると、昔ながらの小さな商店街が見える。通りに面していて歩道はそれほど広くなく、人よりも自動車の方が多い。

 通りたくなくても通らなければならない。衡は商店街へ入ったが、すぐに差し掛かる交差点で足が竦んだ。

 アスファルトの道路には、真新しい白い筋が刻まれていた。


 そのつもりがなくとも思い出してしまう。

 その日は風が強かった。日が傾き、立ち並ぶ店舗を赤く染めていた。

 その時のいずみは特に上機嫌で、いつもより多い問わず語りを繰り返し、いつもより歩みの鈍い衡が後ろで相槌を打っていた。

 ――どう言えばいいかな……。念力とかじゃなくても、誰かの心を動かすことができれば、それはもう魔法なんだよ。誰かにとっての魔法。

 とりわけ強い風が吹き、制服のスカートを押さえる姿を、今でも鮮明に思い出す。

 ――魔法で大事なのは心に効くこと。ハートを揺さぶることなんだな。わかった?

 衡の返事はうまく声にならなかった。胸元のペンダントを握る。

 交差点は赤信号で、いずみは歩みを止める。同時に、伸びた髪を靡かせて振り返った。微かな風が触れる。

 ――だから、まずはそう、自分のハートを揺さぶること。

 ――自分の?

 ――そう、自分が何に心が動くか、自分がよく分かってるはずでしょ。それを、恐れずにやってみる!

 ――心動かすこと……。

 ――よし、やってみて。何でもいいから、考えすぎないで。

 ――何でも?

 ――何でも!

 急なフリに戸惑う。同時に、他にあり得ないと思った。

 ――さあ!

 いずみは小さな拳を握りしめ、強い期待の目で衡を見る。

 ――……いずみ。

 期待と違うかもしれない。今までの日常が崩れてしまうかもしれない。

 それでも、この機を逃したら、生涯後悔するに違いなかった。

 ――好きです。

 衡はそう言った。

 いずみの小さく息を吸う声。潤んだ瞳が見開く。

 突風が吹き、いずみの髪が激しく揺れた。

 時が止まって、騒がしかった日常の音は全て消えて、二人だけの一瞬が世界を包んだ。

 いずみの僅かに開いた唇が、迷うように小さく動いている。普段は過去と未来ばかり眺める目が、この瞬間だけは衡を捉えて離さなかった。

 しかし、一瞬は一瞬だった。

 大きな黒い塊が突如、視界の斜め右から自分に向かって膨らみ始めた。

 ――危ない!


 その交差点の角には、今は赤い花束が一つ置かれている。

 あの黒い塊は大型バイクだったらしい。その瞬間は見ていたはずだが、覚えていない。

 衡の足元には名前も知らない雑草が、踏み潰されながらも生き長らえていた。

 しかし、いずみはそうではなかった。彼女を蘇生させる魔法を、弟子は知らない。

「魔法なんてないじゃないか」

 悔しくて衡は言った。言うと目元が潤み始めて、止められなかった。

 急に全てが無味乾燥になったような気がした。何もできず立ち尽くし、鼻を啜り、流れるまま涙を流した。

 気がつくと、ポケットの中のペンダントを強く握っていた。

 どうしようもなく心細くなり、ポケットの石を掴み取り、引っ張り出した。

「えっ……?」

 指の隙間から明滅する緑の光が漏れている。手を緩めると光は強くなった。

 石の輝きは明らかに直射日光によるものではなく、その明滅はだんだんと早く強くなり、直視できないほどの光が視界を覆った。

 衡は思わず目を瞑った。光の温もりが全身を撫で、全身の感覚が吹き飛んでいった。


 何も聞こえない。

 閉じたはずの目はいつの間にか開いていた。

 背中の方向へ、ゆっくりと落下しているようだった。

 衡は何も理解できないまま、恐々と周囲を見渡した。

 見渡す限りの光の世界。暑くも寒くもない。

 ずっと下には、岩石のようなものでできた円盤が見えた。小島のような大きさで、接地しているのか、浮遊しているのかも分からない。中心には巨大な半球形の宝石が緑色に輝き、その周囲を迷路のような溝が覆っていた。

 次第に、低い声が聞こえてくる。男性とも女性ともつかない。意味も理解できない。同じような言葉を、抑揚のない声で何度も繰り返している。

 衡と円盤の間に、もう一人の人が浮いていた。

 衡とは逆に上昇しているようで、少しずつ近づいてくる。

 彼は褐色の肌の上に、無数の裂け目のある衣服を着ている。顔にも身体にも複数の傷痕。どんなスポーツ選手よりも屈強な体格で、筋繊維の一本一本が皮膚に浮かんでいる。ただの人間とはとても思えなかった。

 ゆっくりと吸い上げられた彼は次第に落下する衡に近づき、やがてすれ違った。焼け焦げた土のような匂いが衡の鼻を掠めた。

 低い声が次第に大きくなる。

 気がつくと、円盤の上に複数の光が現れ、迷路を辿るように迸っていた。溝が瞬く間に光で覆われ、やがて光が宝石にたどり着いたとき、宝石が強く緑に光った。

 衡は光に耐えられなくなり、再び強く目を瞑った。

 低い声が急に鮮明になった。

「唵、万物の目よ、万物を掴む手よ、神のあるべきざまに!」

 衡の体は、魔石に吸い寄せられるように落下を続けた――。


 衡が気がついたとき、自分が目を開けているのか分からなかった。

 視界の暗さに驚き、起き上がる。

「ここは……?」

 目は開いているらしい。辺り一面が赤黒い岩場だった。

 遠い地平線は赤く光って見えた。ゴツゴツした山の影がいくつも見られ、それぞれの頂上から溶岩の川が流れている。

「どこ?」

 衡は呟いた。誰に言ったのでもなかった。

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