二 なんだなんだ、白けた面しやがって!

 もっとしっかり見ようとして、衡は立ち上がった。

「あれ?」

 全身で感じる違和感。視点の高さもまるで違う。

 手を見た。自分の手ではなかった。確かに自分の感覚で動いているが、明らかに外見が違う。

 手だけでなく、腕も、胴体も、脚も、全て見覚えのない他人の形になっていた。

 いや、見覚えならある。先ほど浮上していった、あの男の体にそっくりだった。

「何でこの体に?」

 破けた服まで同じだ。

 改めて周囲を見渡すと、凄惨な場所だった。前にも左右にも人が倒れている。兵士のようだ。

 衡は自分でも不思議なほど冷静だった。一番近くにいる兵士にゆっくり近寄った。どこか分からない箇所を軽く叩く。

「大丈夫ですか……?」

 ひんやりした。慌てて手を引っ込めた。

 兵士の体がガラガラと鳴り、顔が衡の方を向いた。その顔は金属製の髑髏のようで、左半分が無惨にもひしゃげている。衡は思わず目を背けた。

 兵士の周囲には、何かが破裂したように破片が散らばり、白や黒の煙がうっすらと上がっていた。衡のペンダントと似た石も粉々に散らばっていて、緑色に燃えているものもある。

「何だここは、どうしたんだ……?」

 戦争でもあったと思わざるを得なかった。


 急に、後ろから

「こんにちは!」

 と声が聞こえた。戦地に似合わない、甲高い女性の声。

 衡が驚いて振り返ると、やや丸みを帯びた体格の女性が一人立っていた。

 その女、ラニ・ハーヌムは、右腕に自身の上半身を超える長さの白い機械を抱えていた。

「大丈夫ですか?」

 やや恵比須にも似た丸っこい笑顔で、ラニは問いかけた。

 衡は藁に縋る思いで答えた。

「大丈夫じゃないんです!」

 口をついて出た言葉は日本語ではなかった。聞いたこともない言語だったが、意味に間違いはない確信が衡にはあり、それがなぜなのか自分で分からなかった。

 衡は戸惑いながら話し続けた。

「あの、どう話したらいいか……。この場所も、この体もよくわからないし、言葉も変だし、なんていうかその……とにかく全てがわからなくて」

 ひと通り、このような意味の言葉をぶつけた。

 ラニは大きく頷く。

「なるほど、大変なんですね」

 やはり知らない言語だったが、衡には理解できた。

 ラニは右腕の白い機械を衡に向けて構えた。

 円筒状をしたそれは、まるで光線銃のようだった。ご丁寧に、先端から光の揺らぎが漏れていた。

「あの、それは……?」

「じっとしててくださいね」

 ラニはそう言って引き金を引いた。同時に白い光弾が放たれた。

「うわっ!」

 衡は咄嗟に避けた。光弾が遅いのか衡が速いのか、光弾は衡の肩を掠めて消えた。

 ラニは自分で撃っておいて、目を丸くしている。

「ええ、動くのは聞いてませんよ」

「こちらこそ聞いてませんよ! 殺す気ですか」

「殺す気ですよ」

 ラニは再び衡に銃口を向け、また撃つ。

 二発、三発と光弾が飛び、衡が避ける度に地面が抉れ、人ひとり分ほどのクレーターができた。

 その時、不意に

「やっとるか」

 と男性の声が聞こえた。

 ラニの後ろから、長身の男が悠然と歩いてくる。

 男の名はシェール・ダース。つばの広い帽子の後ろからやや長い髪が伸び、細長い煙草のようなものを噛んでいる。面長の浅黒い顔に皴は少なく、顎鬚は短く切り揃えられていた。今の衡と比べると体は細身で、丈夫そうな白い服には所々に銀のボタンが並んでいた。

「はーい、やってますよ」

 ラニは銃口を衡に向けたまま、振り返ることなく返事をする。

「入れ替わってきたばかりの割にはよう動くのう」

「そうなんですよ」

 ラニは口を尖らせて返事をしながら、光弾を連射し続ける。

「何ですか、俺が何したって言うんですか」

 衡は避けながら問いかける。

 シェールはじっと立ったまま、低い声で言った。

「すまんのう、あんたが何もしてないのは分かっとるんじゃが。まあこういう因果じゃ思うて、諦めておくれ」

「諦められるか!」

 衡は腹が立って叫んだ。

 ラニの砲撃は止む気配がない。

 衡の体力は不思議なほど有り余っていたものの、埒が明かないと判断し、背後へ下がって大きな岩場へと身を隠した。

「お兄さん、出てきてください!」

 ラニの声から一瞬遅れて、光弾が衡の頭上を突き抜けた。上半身を震わせる音とともに、多量の岩の破片が降り注いだ。

 頭部を庇った両腕を強い衝撃が揺らした。

 不安になって腕を見た。傷ひとつついていない。

 どうやら見た目以上に屈強な体らしい。しかし、岩場を抉るあの光弾を直撃しても無事でいられるかは分からない。耐えられるなら飛び出しても問題ないはずだが、そうでないことが分かったとき、既に命はないだろう。

 衡は額を強く擦った。


 そのとき、すぐ隣から少女の声がした。

「おい」

 ラニではない。

 衡が声のした方を向くと、一人の少女が岩山に背中を預け、衡の方を見ている。

「うわっ!」

「うるさい!」

 衡が思わず大声を出すと、少女は衡の膝を蹴った。

 身長は衡の体の半分少々。衡よりもずいぶん幼く見える体格に、似つかわしくない鋭い瞳を持っていた。

 岩の向こうからラニの間延びした声が聞こえる。

「撃ちますよ!」

 直後、光弾が再び岩山を貫き、多量の礫が転がり落ちた。

 少女は続けた。

「いいか、大声出すなよ。このままだとお前は死ぬ。生きたいなら私と逃げることだ。どうする?」

 岩が次々と崩れてゆく。

「早く決めろよ!」

「あの、あなた誰なんですか?」

「チャンディ・クンワルだ!」

 もう一度膝を蹴られた。

「ウダウダ言ってないでさっさと決めろハゲ! 私まで殺す気か!」

「ハゲって……」


 岩山の反対側では、シェールとラニが衡の隠れた山を眺めていた。

 しんとしている。

 ラニは頭を掻いた。

「出てきませんね。もう死にましたかね?」

「横着せずに、回り込んで見るんじゃ」

「はーい」

 ラニは小走りで岩山の反対側に寄って、岩場の影を覗き込んだ。

「やっほー、死んでますか?」

 その瞬間を見計らったかのように、岩山の端からいくつもの岩石が噴き上がり、ラニは慌てて下がった。

 岩石の後に続き、チャンディの乗る大きな物体が飛び出した。首の折れたダチョウのようなシルエットで、胴体部分が大きな荷台と運転席になっており、スラっとした脚が三本伸びている。荷台からは衡の背中が見えていた。

「ご心配どうも!」

 チャンディはシェールとラニに手を振った。

 振ったその手には、手榴弾が握られていた。錆色の飲料缶のような形で、底辺の穴に指を押し込むと、石の噛み合う音がした。

 チャンディは手榴弾を力強く投げた。手を離れると同時に、手榴弾は赤く発光し始め、燃えるような放物線を高く描いた。

「掴まれ!」

 チャンディは叫び、立ち上がってサドルを押し込んだ。

 錆びついた金属の擦れる音と、大きな振動が同時に伝わり、衡はその縁に必死にしがみついた。

 ラニは岩場の反対側にバタバタと駆け込むと、後を追うように赤い発光体が突き刺さった。

 そこにいた全員の視界が一瞬、白い光で包まれた。直後、焼けつくような熱風が広がり、爆音が空気を揺らした。

 岩影からラニが恐る恐る顔を出す。岩場の向こうは白く霞み、荷台が錆びた音とともに逃げてゆく。

「あらら、逃げちゃいましたね」

 ラニの背後からシェールが呼んだ。

「早うおいでなさいな」

 ラニが振り返ると、濃緑の車輌がシェールの後ろに構えていた。


 ねっとりと流れる溶岩の川は、自転車よりもやや遅い。チャンディは額に汗しながら、大きな一輪のペダルを必死に立ち漕ぎしていた。荷台はペダルの動きに呼応して三本の脚を巧みに繰り出し、一見して原理のわからない足取りで疾走している。

 その後ろから五つの車輪の付いた車輌が、多量の砂利を巻き上げながら追いかける。前方に一つ、後方に二つのタイヤが車体を揺らし、左右に補助的に突き出した二つが時々地面から離れながらバランスを保っていた。前面をガラスに囲われた運転席ではシェールがレバーを握っている。

「あんなボロでよくあの速度が出せるもんじゃ。おいラニ!」

「はいな!」

 ラニは後部座席から身を乗り出し、フロントガラスの上に砲身を乗せて照準を合わせた。白い光が筒の奥で膨れ上がっている。

 前方を走る荷台もまた、錆を散らしながら砂利を蹴り上げていた。

 チャンディは両足でペダルを踏み続けている。息は荒く、度々汗で濡れた前髪を掻き上げた。

 チャンディは背後を一瞥して言った。

「掴まってるな?」

「持ってるよ」

 衡は返事で精いっぱいだった。荷台の縁を握りしめている。

 チャンディは返事を聞くのが早いか、ハンドルを大きく右に切った。

「しっかり掴まってろよ!」

 乱暴な叫び声と同時に、荷台が大きく右に傾いた。荷台を握る衡の手の甲を白い光弾が掠めた。

 荷台の脚の一本が溶岩に突っ込み、黒い煙が後方に流れていく。

「あの、すごい煙出てるけど!」

「うるさいって、聞こえないのかハゲ!」

 あまりの怒号に、衡は自分の頭を押さえた。長髪が靡いていた。

 荷台は右脚を溶岩に突き刺しながら走り続け、その直後には焼けた鉄の臭いと黒煙の線が残っている。さらにその後には五輪のタイヤが地面を削りながら追いかけてくる。

「無茶しよるな」

 シェールは汗ばんだ額を掻いた。

「ラニ、左足を狙え」

「はーい」

 返事が早いか、三発の光弾が連続して飛び出し、荷台の足元に大輪を咲かせた。最後の光弾はチャンディの左足のそばで炸裂し、荷台は大きく右へ傾き、溶岩の熱が更に強く二人を煽った。

 チャンディの目は険しい。

「おい、爆弾は使えるか?」

「爆弾? え、爆弾?」

「まじかよ、使えねえな」

「……すいません」

 衡は自分がなぜ謝っているのか理解できなかった。

 黒煙を撒きながら走る荷台を五輪車が追う。徐々に追いつきつつあった。

 シェールは煤を払いながら

「ラニ、爆弾やってみ?」

「爆弾ですか。はーい」

 暴力に関しては衡より経験のあるラニだから、その手つきは早い。弾丸型の爆弾から安全ピンを抜き、同時に砲口から装填した。再び砲身をフロントガラスへ擦りつけ、引き金を引いた。

 白い光弾と共に爆弾はほとんど直線を描き、後方から荷台のすぐ下へ突き刺さった。

 シェールとラニの目の前が真白い閃光で覆い隠され、耳は轟音で塞がれた。シェールは急ブレーキを掛け、車輌はスピンしながら静止した。爆発の起きた方を見ると、後には白煙が残っていた。

 ラニは閃光にやられた目をしばしばさせながら、小さく言った。

「ああ、強すぎましたね」

 荷台は爆風で水平に弾き飛ばされ

「おおおお!」

 と、野太い男の声が荷台から放り出された。

 チャンディは咄嗟にハンドルを離し、荷台の左側に転がり出た。すぐ隣にひっくり返った荷台が叩きつけられ、大小の荷物が散乱した。

 衡はすぐ立ち上がる。結構派手に放り出された割に、かすり傷程度の痛みしか感じない。

「この身体で良かった……」

 白煙の向こうでは五輪の車輌が側面を見せて停まっている。いつ走り出してもおかしくない。

 ひっくり返った荷台に駆け寄り、持ち上げて起こそうとした。三本脚が変な形になっていてうまく起こせない。

 人手を求めてチャンディに目を向けると、散乱した荷物のひとつを見ていた。

「なるほど……」

 彼女はそう言うと、荷物の中から石板を拾い上げ、砂利を払って衡に手渡した。

「おい、賭けはどうだ?」

 衡はキョトンとするほかなかった。

 うちわ大のその石板は、あの光の世界で見た巨大な円盤と同じ形をしていた。中央に緑の石が嵌め込まれている。

 車輌を再び走らせようとしていたシェールが、嫌な顔で作業を止めた。ラニは口を半開きにして衡を見ている。

 わかっていないのは衡だけらしい。

「普通には無理でも、こいつを使えばもしかしたら」

 チャンディは落ちている器具を衡に蹴って寄越した。

「これ右腕に巻いて。皿がついてる方が手前な」

 衡は針金でできた器具を拾い上げ、言う通りに巻いた。

「その辺の魔石を皿のところに嵌めて」

「マセキ?」

「緑の石あるだろ。そう、それ。嵌めて。……もっとカチってなるまで! そう。それで板持って。……反対! 右で持って。で端の窪みのところに親指当てて持って」

「こうか?」

「真ん中の石を押して」

 衡が石板の中央の石を押し込むと、手の中から緑色の光が漏れた。

「うおっ!」

 思わず石板を落とす。石板は光を灯したまま、チャンディの足元へ転がった。

「ちゃんと持てハゲ!」

 シェールの車輌は走るのを止め、様子を見ている。ラニは再び爆弾を手にした。

「投げますか?」

「いや、爆弾は近すぎる。普通に撃つんじゃ」

「はーい」

 再び砲身を構えたラニのスコープの中で、チャンディは衡に再び石板を差し出していた。

「絶対離すなよ」

 衡はうなずき、強く石板を握った。衡の親指から石板の上を光が辿り、中央の魔石と腕の魔石、それぞれが光を放った。全く同じ二つの光はお互いを増幅し合うように大きな輝きを放ち、世界全てが見えなくなるほど大きくなった。やがて光の中に裂け目が現れ、朧げな暗い影が溢れ出した。

 シェールは手のひらで目を覆いながら、ラニの手を叩く。

 ラニは目を閉じたまま光弾を放った。弾は光の中の闇に吸い込まれ、全く違う方向から破裂音がした。

 光が急速に収まる。目が慣れるのと同時に、影の形がはっきりしてくる。二本脚の、見上げるほどの巨体、太い体躯に太い脚、蝙蝠の翼、山羊の角。

 赤い目がギラリと睨み、大きく裂けた口が開く。

「ジャジャーン!」

 咆哮にも似た低い声が、淀んだ空気を震わせた。

「ひゃあ」とラニ。

「げえ」とシェール。

「さすが!」とチャンディ。

「はっはっはっ……」と衡。

 悪魔か怪物か、異形の者はそのとても人語に向かない口を器用に操り続ける。

「なんだなんだ、白けた面しやがって! 俺を知らんとは言わせんぞ。エンマ様直属、泣く子も黙る、悪魔ズルフィカール様だ!」

 重低音が車輌も荷台も震わせた。

 と、ズルフィカールが急に衡の方を振り返った。衡の背筋が縮む。

 ズルフィカールはゆっくりと衡に顔を近づけた。

 そして、赤い目を鋭くして言った。

「お前さん、アーグムではないな?」

 衡は後ずさった。

「え、すみません……」

 そこへチャンディ、衡の脛を一発蹴ると、笑顔を作って話し始めた。

「何言ってんのさ、アーグムだよ。見ての通りアーグムさ」

「嘘をついても無駄だ。俺にはすぐわかる」

「でもあんたを呼び出しただろ。その魔本を使えるのはお前を倒して縛りつけた、アーグムだけじゃなかったのか?」

「まあ、それはそうなんだが……」

 長い爪で頭を掻くズルフィカールを、シェールとラニは後ろから見上げている。

「とりあえず撃ちまーす」

 ラニが構えた波動砲を、シェールは慌てて押し込んだ。

「やめなさい。これじゃ効きやせん」

「じゃ爆弾はどうですか?」

「まあ、うむ。一番強いのな、よう狙うんじゃ」

「えいっ」

 ラニは爆弾を二つ掴み取り、ズルフィカールの背中に投げつけた。

 二つの花火が咲く。

「やった!」

 爆煙の中からズルフィカールが飛び出し、その腕で車輌を薙ぎ払った。車輌は前方に勢い良く滑り、シェールとラニは揃ってシートに叩きつけられた。

 ズルフィカールは吠え立てた。

「人ごときが俺を騙し打ちしようなど、三億年早いわ!」

 シェールは煙草をドアで揉み消した。

「やっぱりそうじゃよなあ。ラニ、魔本を取ってくれ」

「はいはい!」

 魔本と言っても、要は文字の書かれた石板だ。衡が悪魔を呼んだのも魔本だ。

 ラニが座席の脇から魔本を取り出す。中央には広げた手の模様、その手の甲には目の模様が描かれている。

 シェールは魔本を受け取って、空へかざした。

「唵、万物を創る手よ、彼我のあるがままに!」

 魔本が鋭く白光を放ち、車輌の下から全方位に白い煙が吹き出した。ラニが口と鼻を抑えている。

 車輌が中心から前後に割れ、前半分が切断面から金属の部品を大量に放ちながら前方へ滑り出した。金属部品は吐き出された瞬間から近くの部品と接合し合い、恐竜の化石のような骨格を形成する。やがて車輌の前半を持ち上げ、蛇が威嚇したような姿となった。後半分も蜘蛛の脚のような四本の部品が生えて地面に突き刺さり、最後に前部ドアが展開してカマキリの鎌の形になった。

 後部座席でシェールが言った。

「ラニ、行けるか」

 運転席でラニが手を振った。

「行けます!」

 シェールがペダルを踏み込む。

 後輪と、四本脚の先端の車輪が回転を始め、錆びた音とともに前進を始める。

 ズルフィカールは後脚で立ち上がり構えた。

「はっ、何だその虚仮威しは!」

 ズルフィカールも地響きを立てて突進し、二体の巨人は腕と鎌で組み合った。

「ていっ! ていっ!」

 ラニが運転席のボタンを無闇に押し、鎌の柄の先端から弾丸が乱射される。重量のある弾丸は放物線を描き、衡やチャンディの周囲に降り注いだ。

「危ねぇ! 何て奴だよ」

 チャンディはぼやきながら足元の手榴弾を掴み、上段に振りかぶってラニへ投げつけた。

 手榴弾が弾丸と同じ放物線を描き、戦闘マシンの左腕先端の関節へ衝突した。手榴弾は白光と火を噴き、荷台の前に巨大な鎌が落下した。

 武装を失いただの指示棒と化したマシンの左腕を、ズルフィカールの筋肉質な手が掴む。

「猪口才な、こんなもの、それ!」

 ズルフィカールは前方へ体重を乗せ、マシンを一息で押し切った。全ての車輪が空回りし、火山石の地面に跡形を引いた。ズルフィカールは左腕で右の鎌の付け根を強く押し出し、その弾みで左手の指示棒が根本から抜け落ちた。

 戦闘マシンは大きくバランスを崩し、背後にゆっくり倒れ込んだ。マシンの全ての関節から白煙が吹き出す。

 更にズルフィカールは口から炎を吹きかけて、白煙の中を炙った。煙に黒が混じる。

 煙が晴れると、元の車輌がポツリと残っていた。左側のドアは無くなっており、中の人は煤だらけになっている。

「ラニ、ここは退くとしよう」

「え、退いちゃうんですか?」

「今日は分が悪い。それに目的は果たしたからの」

 そう言うとシェールは焦げた帽子を後部座席に放り投げた。

「また会おう!」

 車輌は黒い煙を噴き上げると、何かを引きずるような音を立てながら走り去っていった。

「ふん、尻尾を巻いて逃げやがった」

 ズルフィカールの鼻息が黒煙の半分を吹き払った。

 その背中にチャンディが叫ぶ。

「何やってんのさ、追いかけなよ」

「なぜ俺がそこまでしなきゃならない」

「はあ? お前立場わかってんの? 召喚されてるんだけど!」

「召喚したのはアーグムだろうが! ただの人ごときが、ズルフィカール様に指図しようってのか、ああ?」

 ズルフィカールは大口を開けて捲し立てながら荷台に向かってくる。肩甲骨をぼきぼき鳴らしている。

 足が竦んでいる衡に対し、チャンディは全く怯む様子を見せず、衡の魔本の向きを変えた。

「ここ!」

「え、はい」

 衡は指示された通り、別の赤い窪みに親指を当てた。

 ズルフィカールは爪を立てた右腕を振り上げる。思わず尻餅をついた衡の手の中で、石板が赤く輝いた。

 振り上げた腕が止まった。

「痛てててて!」

 ズルフィカールは大きな呻き声と同時に腹を押さえた。まるで誰かに摘まれているかのように、へそが捩れている。

「やめろ、やめろって!」

 チャンディはニヤニヤして

「で、どうするって?」

「わかった、追いかける、追いかければいいんだろ!」

 返事を聞くと、チャンディは背後の衡へ手を出して合図した。

 衡が石板から親指を離すと、ズルフィカールの臍がぶるんと元に戻った。

「さ、行って」

「人の癖にとんでもない奴だ。……いや、やっぱり無理だ」

「よし、もう一回だ」

「待て待て待て! 本当にだめだ、もう召喚が維持できない」

 その言葉通り、ズルフィカールの両足の先が、うっすらと消えかけていた。

「え、早くない? 何で?」

 チャンディが衡の方を振り向くと、衡の額には大量の汗が輝いていた。息も荒い。

「俺かも、ごめん……」

 ズルフィカールの身体は足先から急速に透けてゆく。

「やっぱりアーグムがいつもと違うぜ。あばよ」

 そう言い残すが早いか、その巨体は嘘のように消滅した。

 何一つ音がしない。その場にはひっくり返った荷台とチャンディ、衡だけが残った。

 チャンディは大きくため息をついた。

「まあいいか、とりあえず生き残った」

「ありがとう。あの、これはどういうこと……?」

「あんたも損だな、かわいそうに。あんた、名前は?」

「俺は掛水です。掛水衡」

「かけみず、こう? どこで流行るんだそんな名前」

「そんな言われ方ある……?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る