03――スライム退治
3分ほど階段を下り続けると地面が見えてきて、人生ではじめてダンジョンへと足を踏み入れた。
ダンジョンには地下のはずなのに太陽が頭上に輝いているジャングルだったり、見渡す限り草原だったり雪原だったりと常識で考えるとありえない階層が当たり前のように存在する。
私が降り立った階層は『洞窟と聞けば大体の人がこういう光景を想像するだろうな』と思うようなところで、言葉で言い表すなら鍾乳洞が一番近い感じになるのだろうか。
道幅は大人4人が身を寄せ合えば、横並びに歩いても大丈夫ぐらいの広さだ。小学校中学年から高学年ぐらいにしか見えない体躯の私には、広々としているぐらいである。
頭にはミスリルコーティングのおでん鍋、右手に金属バット左手に鍋のフタという騎士ごっこをしている子供みたいな状態の私が慎重に歩を進めると、壁や天井にアメーバ状のものがくっついているのが見えた。
「確かこれ、スライムだったっけ?」
学生時代に受けた研修で習った、蜘蛛の巣が張ったような知識を思い出しながら呟いた。某ゲームのような雫型の魔物ではなく、ものすごく昔に流行ったらしいゲル状のおもちゃに酷似しているそうだ。
雑食というか岩でも金属でも獲物を自分の体内に取り込んで溶かすのだが、動きが遅いので初心者向けの魔物として認知されている。
もちろん魔物だし油断すると殺されることもありえるので、気をつけねばならない相手であることには間違いない。
一番近くにいたスライムがこちらに向かってジワジワと壁を這ってくる。ただやはり初心者向けに分類されている魔物なので、倒し方も広く周知されている。多分今の小学生ナイズな私でも、問題なく倒せるだろう。
まずスライムは、獲物が自分の間合いに入ったと感知すると水鉄砲のように酸を吐き出す。結構スピードと勢いがあるので、不意打ちされると避けきれなくて危ないのだ。
目の前のスライムも私に向かって酸を吐き出してきたので、鍋のフタを突き出してガードする。下手したらフタが溶けるかもしれないと思ったんだけど、特になにも変化は見えない。
もしかしたらこれもミスリルとかのダンジョン産の金属でコーティングされているのかもしれない。頭にかぶった鍋とこのフタを載せる鍋って、もしかしたらセット品だったのかも?
それを5回か6回繰り返すとスライムが酸を吐かなくなるので、スライムの核に向かって思い切り金属バッドを振り下ろした。ブチュッ、と飛び散るスライムをなんとか鍋のフタを盾にして避ける。
ダンジョンの魔物は空気に溶けるように死体が残らず消えて、その後に魔石という魔物の命を凝縮した宝石のようなものを落とす。他にも低確率だけど武器とか防具とか便利なアイテムなんかも現れることがあって、それらはドロップ品と呼ばれている。
知識としては知っているけど、実際に魔石に触れるのははじめてだ。おそるおそる手を伸ばして指で挟むように持ち上げてみたが、特にスライムの粘液がついていたりはせずにゴツゴツとした研磨前の宝石のような感触だった。
魔石を使った製品だと私たちにとって身近なのは、車のガソリン燃料の代替品だろうか。特殊な技術で液状化させた魔石がガソリンの代わりに使えると最初に発見した人は、控えめに言って天才だと思う。それにガソリンと違って空気を汚さないので、環境のために入れ替えが進んでいた電気自動車をあっさりと駆逐してガソリン車が復権する大きな要因となった。
ちなみに余談だが、魔石を液状化させたものは
そしてガソリンと魔石油を使った場合の排気成分の違いなどのデータを徹底的に調べ上げ、結果として現行の魔石油を使う車とそれほど排気に差がないということがわかったのだが、国は『古い車なのだから安全性に問題がある』と屁理屈を並べてその要望を跳ね除け、未だに税制の改革には至っていないそうだ。
特にクラシックカーにこだわりがない私にはほとんど関わりがない話だが、スライムの魔石でも集めて売ればそれ相応の金銭を得ることができるらしい。ネットショッピングには他の人よりも多めにお世話になっている身なので、少しでもトラックの燃料のために貢献できればいいなとは思う。
魔石をリュックの中に入れて、同じ手順で何体ものスライムを屠っていく。足元に転がる魔石を拾った後で周りを見回すと、まだまだスライムの姿があちこちで見えてまるで減っている気がしない。
「……今日は偵察だし、下手にこのまま進んで不意をつかれて死角から酸を撃たれても困る。この辺にして引き上げることにしよう」
元々ひとり暮らしだったこともあるが、両親が無くなって血のつながった親しい家族もいなくなったことが影響しているのか、最近ひとり言がものすごく増えているような気がする。考えていることがポロリと口からこぼれることがよくあって、さっきのも別に口に出すつもりはなかったのに声に出してしまった。
今みたいにひとりだけの時ならいいけど、もしも誰かが一緒にいる時にこのクセが出たら気まずい思いをしそうだ。なるべく意識して、口に出さないように心がけておかないと。
それほど進んでない道を戻って、階段をえっちらおっちらと上る。気のせいかもしれないけど、ダンジョンに入る前より体が軽い気がする。もしかしたらスライムを倒したことで、レベルが上がったのかもしれない。
ダンジョンで魔物を倒すと経験値というものがもらえて、その数値に応じてレベルが上がる仕組みになっている。レベルが上がると力が強くなったり体力が増えたり打たれ強くなったりと、体が強化される。
低レベル帯では普通の人が運動や筋トレをして鍛えるのとそれほど違いがないぐらいの上昇率なのだが、レベルが二桁を超えると一気に超人レベルに変わる。
政府の要請によってプロ野球選手が一定期間探索者をやって、その期間を終えてプロ球界に復帰したら身体能力が他の選手よりも優れすぎていて、結局引退を余儀なくされたという話を聞いたことがある。
現在のレベルや身体能力が数値化されたステータスはダンジョン内でしか見られないので、また明日にでもダンジョンでスライム退治をしようかな。
地上に出て物置の引き戸を開けようとすると、入った時よりも楽に開けられたのでどうやら私の推論は間違っていないようだ。出発したときと同じように誰にも見つからないように素早く家の中に入って、汗で汚れたシャツやズボンをさっさと脱いだ。
どうせもう以前の私の服は着れないし、ダンジョン攻略用の使い捨てにするのがいいのかもしれない。そう考えたあとで服を大雑把に丸めてからコンビニ袋に放り込んで、持ち手のところを結んでゴミ袋の中に入れた。
都会ではもう専用のゴミ袋を使わないとゴミを持っていってくれないが、この辺りはまだエコだのリサイクルだのという環境への配慮という意識が薄いのか、透明のポリ袋で出すことができる。
でもそうか、ゴミ出しもご近所さんに姿を見られないようにやらないといけないのか。ゴミを捨てる場所は家からそれほど離れていないけど、夜のうちに捨てるわけにもいかないし。なにかいい方法を考えなければ。
そんなことをつらつらと思いながら、全裸になってシャワーを浴びるために風呂場へと向かった。蛇腹になっている風呂場の戸を開けて中に入ると、正面についている鏡にすごくかわいい少女が映っていた。ぶっちゃけ昨日までの自分の姿と違いすぎて、知らない子供が自分の正面に立っているようにしか見えない。でも私が手を挙げると鏡の中の女の子も同じように手を挙げるので、これが今の自分の姿なんだなぁと納得せざるを得ない。
いくら美少女とはいえど小学生の女の子の裸を見たところで何とも思わないので、普段と変わらない感じで体を洗っていく。あばら骨が少し浮いて見えるので痩せ気味なのかなと、自分の体ながら少し心配になった。太り過ぎない程度にふっくらと健康的な感じにした方がいいよね。
普段なら髪を洗った後で体へと移行するのだが、あまりに長い銀髪に怖気づいて先に体を洗った。先延ばしにしたところで洗わないわけにはいかないので、覚悟を決めて洗髪へと取り掛かる。以前からシャンプーやトリートメントは男性専用のものではなく男女共用なものを使っているので、髪に悪いということはないだろう。いつものようにガシガシと頭皮を掴むように洗っていると、長い髪が指に絡まり引っ張られて痛い。
仕方なく母が使っていた頭皮用のブラシを使って、絡まないように気をつけながら丁寧に洗う。もちろん毛の先まできっちり洗うのだが、面倒くさいことこの上ないのでシャワーが終わったらバッサリ切ってやろうか。一度シャワーのお湯でしっかりとシャンプーの泡を流して、続けてトリートメントを同じように髪に馴染ませてから洗い流す。
シャンプーとトリートメントの両方を結構な量使ったので、やっぱり早めに切った方がいいのかも。短く切ったら失敗してもリカバリーできなくて詰みそうだから、最初はある程度の長さを残した方がいいのかもしれない。
仕上げに洗顔して体についた泡をキレイに洗い流して、風呂から上がった。バスタオルで水気をしっかり拭いて、裸のままで自分の部屋へと足早に移動する。ウエスト部分がゴムになっている毛玉がたくさんついたスウェットとTシャツを、またヒモで縛ったり裾を折ったりして無理やり自分の体に合わせる。乾かした後だとまとまりが悪そうなので、先に髪を切ってしまおう。
ブラシで軽く梳いてから、肩口に髪をまとめてみる。結構な太さになっているのを見て、普通のハサミだとなかなか切れなさそうな気がする。確か母の裁縫箱に大きな裁ちばさみが入っていたはずだと思い出し、この間押し入れの中にしまい込んだカゴを取り出す。草かなにかを編み込んだ感じのカゴの中に、針やら毛糸やら糸やらがきちんと整理されて詰め込まれていた。その中に長さ20cmぐらいの大きなハサミがあったので、それを取り出す。
子供の手で持つとその大きさが際立つ気がして、落とさないように気をつけながら再び髪を肩口でまとめて適当なところでジャキンと切ってみた。銀色の髪束がポトリと床に落ちるのを見て、これで少しでも髪を洗うのが楽になればいいなぁと願う。安全マージンとして、大体の憶測で肩甲骨の真ん中ぐらいになる長さは残したつもり。
切った髪をコンビニ袋の中に入れて口を結び、またゴミ袋の中に放り込む。透明なゴミ袋の中に銀髪が入っていたらご近所の人に怪しまれそうなので、そのまま捨てるのは悪手だろう。
前髪も切りたかったけど、女の子がセルフで切って一番失敗するのって前髪だという話はよく聞いた気がする。誰にも会わないように過ごすつもりでも、できるだけ変だと思われない格好でいたいと思うのはいらない見栄だろうか。
左右に分けた前髪が落ちてこないようにヘアピンで止めて、問題を先送りにした。我ながらかわいい顔をしているから、見られてマズい相手ならピンを取って前髪を御簾のように垂らして隠すのにも使えそうだしね。
『グゥ』と小さくお腹が鳴ったので、夕食を取って休むことにした。今日は色々なことがありすぎて、精神的にすごく疲れた。ダンジョンにも行ったから、肉体的にも疲れているだろう。
冷凍していたご飯を電子レンジで解凍し、温めたレトルトカレーを掛けて流し込むように食べた。ひとり暮らしをしていたからそれなりに料理はできるけど、疲れているのに自分ひとりのために料理を作るのはかなりのパワーが必要になるので今日は簡単に済ませた。
昨日まで使っていた歯ブラシは虫歯菌のことを考えて、捨てて新品と交換した。元の体が若返って女の子になったものが現在の私の体であると仮定すると、口の中には元の私の口内に巣食っていた虫歯菌が変わらず存在するはずである。でももしかしたら肉体や性別が変化した時のエネルギーとか不思議な力で虫歯菌が死滅している状態なのだとしたら、新しくまた虫歯になる要因を抱え込みたくない。
歯医者が嫌いなんだよね、歯が痛くなるのもイヤだし治療も怖い。今日一日過ごして、自分の体ではあるものの姪っ子を可愛がる程度の愛着を感じているのは認めよう。保護者とし考えるとかわいい女の子の口の中にたくさん虫歯があるなんていう、悲惨な状況には絶対にしたくないと強く思う。
自分自身なのにバカバカしい考え方だと頭の片隅で冷静に観察している自分が鼻で笑っているのを感じるが、それで子供の体をちゃんと守り育めるならいいじゃないか。おじさんになると自分自身を適当に扱うのがクセになっているからね、これくらいの意識でいた方がちょうどいいまである。
小さな口に大人用の歯ブラシは少し大きく、奥の歯を磨くのに少し苦労した。部屋に戻ったらジュニア用の歯ブラシをママゾンで注文しよう、ついでに歯磨き粉のミントが強すぎる気がするので子供用の歯みがき粉も一緒にね。
次の更新予定
突然TSしたアラフォーおじさんがダンジョン探索する話 武藤かんぬき @kannuki_mutou2019
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