間奏曲 壁女アイリーン

 クエルとデートがしたい。

 姫様の希望はシンプルかつストレートなものだった。

 ティレンの主力を撃破して入城を果たしているし、ちょっとぐらいは息抜きしたいという気持ちは分かる。

 姫様が視察と称したデートの約束を取り付け、私がその準備をした矢先に兵士による婦女暴行事件が発生した。

 大規模な暴動に発展しかねないところをジョイス什長やクエルが活躍して事なきを得る。

 未然に防止とまではいかないが、決定的な事態に至る前に処理できていた。


 その際に被害者のシィリュスが見初めたのがクエルでなくてジョイス什長だったことは幸運と言える。

 まあ、ジョイスという男に少し危うい感じとセクシーさがあるのは否定できない。

 小娘に男の真価を見抜く力がなくて本当に良かった。

 被害を受けたことを騒がない条件としてクエルを欲しいとなったら姫様は公人としての判断と私人としての思いの狭間で苦しんだだろう。

 そのことを理解しているせいか、姫様はデートに対して気合が入りまくっていた。


「しまった! ドレスを持ってくるんだったわ」

 視察の前日に姫様は悲鳴をあげる。

「そりゃまあ、遠征先にドレスは持ってこないですよね。だいたい普段はドレス姿になるの嫌がっているじゃないですか」

「そうよ。いやらしい目で舐めるように見てくるんだもの」

「クエル様ならいいんですか?」

「もちろん。そのために身体を磨いてきたんだから。クエルなら見るだけでなくて実際に舐めて欲しいわ」

「あー、すいません。問われるままに新婚生活のことを語った私が悪うございました。でも、そういうスケベな妄想は1人のときにしてください。それで服装ですがクエル様が軍礼装ですし、鎧姿が無難かと。どこかにまだ不逞のやからがいるかもしれませんし」


 両手を頬に当てて何か空想していた姫様は現実に返り不満そうな顔になった。

「なによ。それじゃ視察みたいじゃない」

「公式にはそうですが。えーと、姫様の鎧は実用一点張りでなく華麗じゃないですか。着用している姿は素敵ですよ。クエル様も眩しそうに見てましたし」

「そう? そういうことは早く言ってよ。それで食事の準備は万端よね?」

「はい。水がめでもある湖のそばで火は使えませんからコールドミールになりますが味にはご満足頂けるかと。それと、さり気なく正餐のマナーを学べるように簡易的なものですがカトラリーも揃えました」


 そして迎えた当日、供の者もローフォーテン家に縁のある騎士や使用人で固めた視察の前半は順調に進む。

 美しい景色に心が和んだし、雰囲気ある神殿を見て姫様がこういうところで式を挙げるのもいいな、と考えているのは丸わかりだった。

 なのでクエルがいきなり落ちたとき、私は不覚にも呆然としてしまう。

 そんな中、姫様は自ら崖から飛び降りた。

 無茶なことをすると思ったが、恋する乙女に付ける薬はない。

 私は騎士に指示を与えると荷物の中から大判の柔らかな布を引っ掴むと騎乗して崖下へと駆けつける。

 下りながら見ていたが湖に線が走った。

 人よりやや広い幅の線状に水がせき止められて道ができている。


 岸辺に到着すると、クエルを抱きかかえた姫様が細長く干上がった湖底から上がってくるところだった。

 姫様の自慢の髪の毛は使い古した雑巾のような色になり、顔はどす黒くなっている。

 助けるのに必死で闇の力を無制限に使った代償だった。

 慌てて下馬するとクエルを受け取り膝の上に腹ばいに乗せて背中を強く叩く。

 水を吐かせていると湖面が元に戻る轟音が響いた。

 クエルを仰向けに横たえ、首筋に指を当てるが脈を感じられない。

 金属製の胸当てを引きちぎるようにして外すと、クエルの胸の上に両手を組んで当て、早いペースで押し始める。


 陰が落ちたと思うと姫様がクエルの顎を上げて鼻を摘まみ息を吹き込んだ。

 携行している魔法の薬を飲んだのだろう。

 醜く変化していた半ばは元に戻っていた。

 クエルの心臓が動き始める頃には騎士や使用人たちも崖上から降りてくる。

 まだ、闇の力の代償の名残が残っている姿を見たられたくないだろうと近くの小屋に入るよう姫様に促した。

 ゆっくりと胸が動くようになったがまだ意識は戻らないクエルを抱き抱えて姫様は小屋に向かう。

 危機的状況は去ったと判断した私はこの後の指示を出した。


 アクシデントがあったからこそ、お食事デートは完遂させねばならない。

 昼食の準備を進めさせ、台の崩壊の原因について報告を受ける。

 人為的な細工の可能性は否定できないとのことだった。

 案内人は最初姫様に祈りをするように勧めている。

 姫様を狙った攻撃かもしれない。

 報告のために小屋に入ると、我が主は熱烈にクエルの唇を貪っていた。

 蕩けた横顔は艶めかしいく世の男どもが見たら大変なことになりそうである。

 いや、まあ、危機的状況は脱してますし、大人のキスは最高と余計なことを言ったのは私ですけど。

 邪魔をしては悪いかなと見守ることにする。

 幸いにして姫様は全身金属鎧を着ており最後までするのは無理なので安心して見ていられた。

 王子様のキスでヒロインが目を覚ますのは演劇や童話の定番だしね。


 そうこうするうちにクエルが意識を取り戻した。

 何やら話していたが不意にクエルが私の存在に気がつく。

 振り向いた姫様が眉を顰めた。

 私が邪魔をしたと思われたのは心外である。

 クエルは跪いて何でも言いつけてくれとか言いだした。

 一瞬姫様が「私と結婚しろ」とでも言いだすかと思ったが、さすがに自重したようである。

 代わりに軽々しくそんなことは言うものではないと至極真っ当に窘めていたので私も口添えをした。


 クエルが反省したところで姫様が食事にしようと言いだす。

 セットしたテーブルに2人を案内した。

 近くで観察したいところではあるが姫様のあっちに行けという圧が強い。

 給仕に後は任せて私は離れたところで他の騎士たちと軽食を取る。

 パンにソーセージを挟んだものだが、もの自体は姫様たちが食べているものと同じであった。

 小洒落たサラダやスープが出てこないという違いしかない。

 騎士たちは満足げに食べていたが、私としてはもうちょっと華やかさが欲しいと思う。

 話題も転落が事件なのか事故なのかという殺伐としたものだった。

 とはいえ、クエルに深刻な被害が出なかったことで穏やかな空気が流れている。

 もし、意識不明のままだったり、縁起でもないが死亡したりしていたらのんびりと食事をしているところでは無かった。

 姫様はご機嫌麗しく食事を終えられる。


 ティレンに帰りついて2人きりになると姫様が笑み崩れた。

 うふふ。

「次回のデートの約束もしちゃった」

「気分がいいところに水を差すようですが、落下は作為的に行われた可能性があります。本来は姫様を狙ったものでしょうが」

「溺れさせようというのね。なるほど」

「トルゥースセイヤーを使って案内人の尋問を改めて行いますか?」

 姫様は表情を引き締める。

「いや、案内人が1枚噛んでいたかどうかは重要ではない。一応は恭順派に属している人間を刺激したくないからやめておこう。それよりも帰国のための準備を急がせろ」

 こういう冷静な判断ができるのもクエルが無事なお陰であり、私は神に感謝の祈りを捧げた。



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