第34話 救出者
薄ぼんやりとして混濁としていたが意識が戻る。
何か柔らかく温かいものが口の中をまさぐっていた。
目を開くと将軍の顔が間近に見える。
「ようやく目を覚ましたか」
少し体を離すと僕の髪の毛を撫でた。
僕は返事をしようとして激しく咳き込む。
咄嗟に首を横に傾けて飛沫が将軍にかからないようにした。
「大丈夫か? だいぶ水を飲んでいるから無理をするな」
「僕は……?」
「クエルは台が壊れて湖に落ちたんだ」
そうだった。
記憶が戻ってくると同時に周囲の様子もはっきりと見えてくる。
ローフォーテン将軍の髪も濡れていた。
湿った1房が垂れるのを煩わしげに掻き上げる。
「ひょっとすると将軍が僕を?」
「ああ。間に合って良かったよ」
「申し訳ありません」
「いや、ちょっと暑く感じていたからな。水浴びができてちょうど良かった」
安心させようというのか将軍は僕の頬を指で撫でた。
その感触が別のことを思い出させる。
「あの。僕は息をしていなくて、その……、将軍が息を吹き込んでくださったんですよね」
僕は体を起こすと這いつくばろうとした。
けれども強い力で止められる。
「急に動くな。何をしようというのだ?」
「本当に申し訳ありません。将軍にそんなことまでさせてしまって」
将軍は笑みを浮かべた。
「ああ。唇を合わせたことか。確かに淑女のたしなみとしてはいささか度を超していたかもしれないな。でも、私はその前に騎士である。他にやりようも無かったし、必要なことだった」
「しかし……」
ますます笑みが大きくなる。
「そうか。私のファーストキスだったのではないかということを気にしているのか? 安心しろ。既に好きな相手と済ませている」
什長から女の子にとっての最初のキスは大事だということを聞いていたので僕はほっとした。
それと同時に将軍の秘め事を聞いて僕の方が恥ずかしくなる。
将軍は僕の頭をまさぐり始めた。
「えーと」
「落ちたときに頭を強く打ってないか?」
「はい。足から落ちたのは覚えています」
「そうか」
改めて周囲を見ると僕らは小屋の中にいる。
2人きりかと思ったが壁と同化するように気配を消したアイリーンさんがいた。
僕の視線に気がついたのか将軍が背後を振り返る。
アイリーンさんは少し顔を強ばらせながら首をぶんぶんと横に振った。
将軍はため息をつくと首を元に戻して立ちあがり、僕もそれにつられる形で立つ。
その時に初めて胸甲が外れていることに気が付いた。
でも、今はそれを気にしている場合じゃない。
「ローフォーテン将軍」
僕は片膝をつく。
「助けて頂いてありがとうございます。この御恩に報いるために何でもします。何なりとお命じください」
「あー、クエル」
なぜか困惑した声が降ってきた。
顔を上げると将軍が困った奴だという表情をしている。
「そういう言葉は軽々に口にするもんじゃない。もし、人の道に外れることを命じられたらどうするんだ? 命令と良心の板挟みになって苦しむことになるぞ」
「あの。将軍はそんなことはされないでしょう?」
ローフォーテン将軍は手で目を覆ってアイリーンさんの方を向いた。
貝のように口を噤んでいたアイリーンさんが話し始める。
「まあ、将軍はそんなことはなさらないだろうが、クエルはたぶん同じようなことがあれば恩人に対してはすぐ似たような台詞を言うのではないかしら? 世の中に悪い奴はいるし、善人でも追いつめられると意外と簡単に悪しきことを為すものよ」
「はい。分かりました。今後は気を付けます。でも将軍に対しての発言を翻すつもりはありません。どのようなことでもお命じください」
「分かった。誓言を受け入れよう。ただ、今は何も思いつかない」
「思いついたらいつでも仰ってください」
「まあ、とりあえず、立とうじゃないか」
将軍が手を差し伸べてくるのでその手を取って立ちあがった。
「他の方はどうしているのですか?」
「祈り台を調べたり、案内人に聞き取りをしている。それと昼食の準備だな。さあ、行こう」
促されて小屋を出る。
割と近くに小さな丸いテーブルが用意され、その上には日よけの傘が張られていた。
シンプルなテーブルと椅子のセットだったが、一応はクロスがかかっており、カトラリーもセットされている。
ただ、どう見ても2人分でしかない。
「暑いぐらいの日中で良かった。これが夜だったら少しどころではなく寒かったかもしれないな。替えの服も無いことだし、このまま食事にしよう。さあ、クエル、座るんだ」
「えーと」
アイリーンさんの顔を見ると手で片方の席を示した。
そこではたと思い当たる。
「ひょっとして入城した日に言っていた会食というのはこれですか?」
「ああ、そうだ。景色もいいし肩肘張らずに済むのでいいのかと思ったんだが、クエルは気に入らないかい?」
「そんなことはないですけど、他の方はどうするのかなと思っただけです」
「そうか。それなら問題はないな。さあ、座りたまえ」
勧められるままに椅子に座るともう1つの席に将軍が腰を下ろした。
目の前にはナイフとフォーク、それにスプーンが複数置いてある。
「僕はこんなふうにいくつもの食器を並べてある食卓は初めてです」
「ああ、食事のマナーのことか? ここには他に誰もいない。気にせず好きなように食べればいい。肩肘張らずにと言っただろう?」
将軍は運ばれてきた皿の上の小さな玉葱を指で摘まんで口に運んだ。
気が付くと給仕の人を除けばアイリーンさんや他の騎士たちは少し離れたところにいる。
将軍はテーブルの上を指さした。
「お上品にというなら外側から順に使って終わったら皿の上に揃えて置いておく。それだけを覚えておけば大丈夫だ」
そして、フォークを手にするとスライスした人参と葉野菜を突き刺す。
僕も野菜を口にしてみた。
香ばしいソースのかかった野菜は驚くほどに美味しい。
「美味しいですね」
「それは良かった。こういう場所で火が使えないので冷たい料理ばかりだが楽しんでくれれば嬉しい」
野菜だけだと思ったら蒸した魚の身も入っている。
次に少し粘り気のある緑色のスープが取っ手のあるカップで供された。
スプーンを使わずに将軍は直接カップに口をつけて飲む。
その後はソーセージや肉のゼリー寄せなどが出た。
将軍と2人きりで食事をしたら緊張するかと思っていたが意外とそうでもない。
食器の使い方も慣れないながらもそれほど変なことはせずに済んだと思う。
ナツメヤシを煮たものを詰めたパイを食べ終わる頃には僕はすっかり寛いでいた。
ローフォーテン将軍は聞き上手で僕の他愛もない話を面白そうに聞いてくれる。
「ご馳走様でした。とても美味しかったし、楽しかったです」
「そうか。負担をかけてばかりいるお詫びになったかな」
「お詫びだなんてそんな。でも、素晴らしい時間でした。ありがとうございます」
「私もだよ。それでは、今後も時間が取れたら一緒に食事をしよう。いいだろう?」
畏れ多かったが命の恩人の提案を断ることなど僕にはできなかった。
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