第2話 訓練

 どうしてこんなことになったのか?

 僕はここまでの道のりを思いだそうとした。


 村を出た後、最初に新兵の訓練キャンプに連れていかれる。

「おーおー、今年の新入りは随分と軟弱そうだな」

 僕の目の前に立った訓練担当部隊の隊長は腕を組むのだけど、その腕は僕の脚ほどの太さがあった。

 なんだと、と反発する気持ちと、まあそう思われても仕方ないかなという気持ちが相半ばする。

 何しろ腕が太いだけでなく上背もあり、顔を合わせているだけで首が痛くなるほどだった。


「それにお前さん脚に古傷があるだろう? 少し庇うように歩いてるからな。オレ様の目はごまかせねえ」

「はい。9年前の大暴走で」

「ふーん。まあ、いいや。それじゃ、どれくらいの腕前か見せてもらうぜ」

 訓練用の刃を潰した剣を渡される。

 隊長の手にあったときはナイフかと思っていたが、僕が握ると小剣に早変わりした。

 僕は距離を取ると気を引き締める。


 新兵訓練のための基地に集められた200名ほどの若者のうち、すでに3分の1ほどが訓練のための広場の地面に伸びていた。

 その全員をこの隊長が倒している。

 過酷な農作業に従事していた頑健な者も混じっているのに隊長はまったく寄せ付けていない。

 普段剣を使っている者と使っていない者の差が歴然と現れていた。

 僕もどちらかと言えば後者に属する。


 どちらかというとという留保をつけたのは、魔物の大暴走で流れ歩くうちに拾った剣を使って練習をしていたからだ。

 ほとんど自己流だが、それでも立ち寄った町の兵士や、旅の途中の人に時折教えを受けている。

 子供のときにジャーゴンからクリスを守ることができたのは運だった。

 今度、同じようなことが起きたときは僕の力でクリスを庇えるようにという一念で腕を磨いてきている。

 少なくとも全くの素人というわけではない。

 目の前にいる隊長のような巨漢を相手にするときの小技も学んでいた。


 今までの新兵はほぼ9割の者が隊長を前にして剣を構えて防御の姿勢をとっている。

 まあ、こんなおっかない相手を前にしたら、身を守ろうとしてしまうのは無理もなかった。

 僕だって、ともすれば守りを固めてしまいそうになる。

 防御を固めた結果、新兵はすぐに床に転がることになった。

 よほど訓練を積んでいなければ、膂力と体格に優れた相手が振り下ろしてくる剣を受けきれるものではない。

 体重を乗せてくる相手に腕力で対抗しようとしたところで無理なものは無理だった。


 僕は一瞬だけ剣を構えるとだっと前に出る。

 姿勢を低くしてひたすら隊長の脛を狙った。

 もともと僕は小柄である。

 昔はそうでもなかったのだけど、例のジャーゴンの槍による怪我のせいなのか同世代の男性と比べると頭半分ほど背が低かった。

 そんな僕が上背のある隊長の足元を姿勢を低くしたままちょろちょろと駆けまわる。


 時々、左脚の付け根に何かがごりっと挟みこまれるような感覚がして足が止まりそうになるが我慢をした。

 腕を伸ばして2度、3度と隊長の脛に斬りつける。

 そのうちの1回が隊長の脛をかすった。

 見上げた先で隊長の顔が歪む。

 この間、隊長も何もしなかったわけじゃない。

 ただ、巨漢にとって足元は死角になりがちだったし、身長があるせいで足元まで剣が届きにくかった。


 僕は回り込んでふくらはぎに一撃を加えようとする。

 しかし、ぱっと前に跳んだ隊長にかわされてしまった。

「やるじゃねえか。坊主」

 隊長は頭上から朗々とした声を降らしてくる。

 今までとは反対の方向に向きを変えて僕が走り始めたときだった。

 気が付いたときには丸太のように太い脚が眼前に迫る。

 次の瞬間には衝撃と痛みと共に意識を失っていた。


 水をぶっかけられて意識を取り戻す。

 別の若者をぶちのめした隊長が訓練場の真ん中からやってきて不敵な笑みを浮かべた。

「ほんのちょっとだけ本気を出しちまった。ひよっこ、気に入ったぜ。特別に可愛がってやるから覚悟しておきな」


 その言葉通り、半月に渡る訓練の間、僕は隊長に徹底的にしごかれる。

 他の者が訓練基地の周囲を5周するときは僕は追加でさらに2周多く走らされた。

 武器の清掃や手入れも他の若者が合格しても、僕だけは執拗に何度もやり直しを命ぜらる。

 夕食後に僅かに与えられる自由時間も僕には与えられず、追加の講義で知識を詰めこまれた。

 お陰でベッドに入ったら夢を見る間もなく眠りに落ち、翌朝はベッドの木枠を蹴られるまで目が覚めないほど熟睡する。


 自然と周囲の新兵仲間から僕は浮いた。

 下手に一緒に居ると巻き添えになって厳しい訓練が追加されるのだから当然である。

 訓練所で友人を作る者たちの中で僕は1人ぼっちだった。

 まあ、でも、ひたすらしごかれ、日々の訓練に追われていたので僕の方にも友情を育む余裕はなく、特に淋しいことはない。


 訓練期間が終わると新兵たち同様に1人ずつ隊長に呼ばれた。

 私物をまとめてあり、呼ばれた後はその足で任地に向かう馬車に乗り込む。

 僕の順番はなかなか来なかった。

 最後の最後になってようやく隊長の部屋に呼ばれる。

 隊長の部屋は大きなデスクがあり、その後ろに隊長が座っていた。

 さらにその背面には大きな地図が壁にかかっている。


 今まで僕は世界のことを知らなかった。

 こんな広い範囲を示す地図があるということも当然知らないで生きてきている。

 しかし、今や最低限のことは地図から読み取れるようになっていた。

 僕の住んでいる国がファーレン連合王国ということも、隣にはノルファスト帝国という大国があることも学んでいる。

 そして、人間が住む世界よりももっと広い暗黒の地が存在していることも知っていた。


 地図から視線を下ろすと髪の毛が1本も生えていない頭の下の顔をハリー隊長はくしゃっと歪める。

「クエル。よくやった。うちに来て妹とファックしていいぞ」

「隊長殿。ファックというのは何でしょうか?」

 僕の質問にハリー隊長は苦笑を浮かべた。

「この言葉自体に意味はない。合格ということだ」

「ありがとうございます。隊長殿」


 僕のことを上から下まで眺めるとハリー隊長は顎を引く。

「クエル。短い間だったが、俺にできることは貴様にすべて叩き込んだつもりだ。早死にして俺の使った時間を無駄にさせるなよ」

「了解であります」

 返事をしながら胸に温かいものが広がった。

 隊長は僕が少しでも長く兵役を生き延びることができるように手を尽くしてくれている。

 そう思ったからこそ頑張ったのだが、その想像が間違っていなかったことを聞けて嬉しかった。

「正直な話、このところ王国兵の評判は良くない。だが、お前は違う。無事に兵役が終わったら尋ねてこい」

 ハリー隊長は机を回ってくると手を差し出す。

 僕が握ったその手は温かく大きい。

 ここまでは順調だったはずなんだけど……。

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