突然の大雨

北条と小暮の試合が始まり、

星空や寺地のコートでもラリーが続いていた。

そのとき、ふと風の向きが変わった。


空を見上げると、さっきまで薄青かった雲が灰色に染まりはじめていた。

ポツ、ポツ――。

一粒のしずくがコートを打ち、

次の瞬間には地面を叩く音が一面に広がった。


「ただいまの降雨により、すべての試合を一時中断します!選手の皆さんは、屋根のある場所へ避難してください!」


アナウンスが響くと同時に、会場中がざわめいた。

ラケットを抱えて走る選手たち、タオルを頭にかけるコーチ、観客席からは小さな悲鳴と笑い声が入り混じる。


北条は冷静にタオルで髪を覆い、

木暮は小さく舌打ちしてラケットをバッグにしまう。

星空は「うわー! どしゃぶりー!」と叫びながら笑い、寺地は無言でコートを後にする。


雨脚は一瞬で強まった。雨に強いはずの砂入り人工芝コートだが、すでにコートにはところどころ水溜まりができはじめていた。


白石はベンチの脇で立ち尽くしていた。

傘を持っていない。

タオルを頭にかけても、すぐに濡れていく。

(……どこか屋根のあるところ、行かないと)

そう思っても、身体が動かない。

ぼんやりと空を見上げているうちに、

冷たい雨が頬をつたった。


その肩に、ふいに影が落ちた。

黒い折りたたみ傘。

無骨で飾り気のない、それでいて新品のようにきれいな黒。


「……こっち」

声のする方を見ると、一ノ瀬がいた。

肩にかかる雨を気にも留めず、傘を少し傾けて差し出している。


「一応、予備で持ってたんだ。まさか役に立つとは思わなかったけど」

「……ありがとうございます」


傘の下に入った途端、世界の音が変わった。

雨音が少し遠くなり、代わりに二人の息づかいだけが残る。

白石はタオルで髪を押さえながら、

傘の骨のきらめきをぼんやりと見上げた。


「すごい雨ですね……」

「天気予報、晴れって言ってたのに」

「……ほんとですね」


一ノ瀬は苦笑しながら、自分の前髪を指でかき上げる。

白石の肩に落ちかけた雫が、傘の内側でぽつんと弾けた。


ふと、白石が傘の縁に目を留めた。

「一ノ瀬さん、タグがついてますよ」


「えっ」

一ノ瀬が慌てて傘を見上げる。

骨の内側に、白い値札タグがぴらりと揺れていた。

「あ、ほんとだ……ちょっと待って、これ、今朝――」

彼がもたつくのを見て、白石は思わず口元を押さえる。

「……ふふっ」

小さく、けれど確かに笑った。


「買ったばかりなんですね」

「……まぁ、その、なんとなく天気が怪しかったから」

「察しがいいんですね」

「たまたまだよ」

一ノ瀬は照れ隠しのように、タグを引きちぎってポケットにしまった。


その仕草がどこか不器用で、

白石はもう一度、静かに笑った。


会場のあちこちで、雨宿りする人たちの声が響く。

タオルを絞る音、濡れた靴を脱ぐ音、笑い声。

その喧騒のなかで、

傘の下だけが静かな世界になっていた。


一ノ瀬が空を見上げる。

「……しばらく止みそうにないな」

「はい……」

白石の声は小さく、雨音にほとんど消えた。

濡れたシューズのつま先が雨粒で色濃くなっている。


(……ほんとに、忙しない)

自分でも、心の中でそう呟く。

試合も、結果も、そして――この雨も。


傘の下で、ふたりはしばらく無言のまま立っていた。

その沈黙を埋めるように、雨がさらに強くなり、

地面に当たる音がやわらかく響き続けた。

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