休憩中④

北条さんの試合が終わり、拍手が遠ざかっていく。

観客の波が散り始めても、私はまだ座ったままだった。

風が頬を撫でる。その向こうで、誰かの視線を感じた。


通路の手すりに、ひとりの少女が立っている。

肩までの髪を揺らしながら、じっとこちらを見ていた。


「白石さん」


落ち着いた声。

その目は静かで、少し怖いくらいにまっすぐだった。


「さっきの試合、見てたの。――片手、やめた方がいい」


あまりに唐突で、息が止まった。

「……え?」


「見てられなかったのよ」

その声は淡々としていて、それが余計に鋭く響いた。

「途中で止まってばかり。打ってるようで、打ててない」


「……そんなふうに見えましたか」

かろうじて返すと、彼女は首を傾けもせずに言った。


「見えたじゃなくて、


断定。

その冷たさが、静かな怒りのように胸に刺さる。


「……ありがとうございます。アドバイス、参考にします」

自分でも空々しいと思う言葉が口をついて出た。


「違う」

声が鋭くなる。

「私はアドバイスなんてしてない。ただ、


私は俯いた。

何も返せず、握ったラケットが微かに震える。


一瞬、小暮さんの目が揺れた。

けれど次の瞬間、ふっと表情を整える。


「見てられなかったのよ。……それだけ」

今度の声は、ほんの少し掠れていた。


「とにかく。あなたはとは違う。天才とは違うの。――努力で届く場所じゃない」


その視線が、遠くの通路に向く。

次の瞬間、声がした。


「……小暮?」


振り返ると、一ノ瀬さんがこちらに歩いてきていた。

その目に、ほんの一瞬だけ驚きが宿る。


「一ノ瀬……久しぶり」

小暮さんは淡々と答えた。

表情は変えないまま、わずかに顎を上げる。


「白石さんに何を言ったのか」

「……事実を言っただけよ」


短い応酬。

どちらも視線を逸らさない。

ふたりの間に、知らない空気が流れた。


そこへ北条さんが到着する。

「ちょっと、あなたたち……何してるの?」


その声を聞いた瞬間、

小暮さんの肩がわずかに強張った。

北条さんは自然な調子で歩み寄るが、

小暮さんは半歩だけ、無意識に距離を取った。


「……別に。気づいたことを言っただけ。ただのアドバイスよ」

息を整えた声。淡々としているが、どこか硬い。


北条さんは眉をひそめる。

「よく聞いてなかったけど…そのアドバイス、白石さんに言ってるの? それとも――」


一瞬だけ、空気が止まった。

「知ってるくせに…」

小暮さんは悪態をつく。


北条さんの目が、ほんのわずかに柔らかくなる。

「……そう。なら、いいけど。」


小暮さんは顔を背けた。

「……見てられなかっただけよ」

それだけ残して、通路を去った。

光の中に、その背中が消えていく。


北条さんはその背中をしばらく見つめ、

何か言いかけて、やめた。



---


「白石さん、大丈夫?」

北条さんの声が現実に引き戻す。

「……はい、大丈夫です」

そう言いながらも、声はかすかに震えていた。


「大丈夫って顔じゃないわね」

北条さんはため息をつく。


「片手はやめたほうがいいって言われて……」


「……なるほどね」

北条さんは何かを思い出すように納得していた。

一ノ瀬さんが視線を落とす。

「小暮が、そんなことを」


「お知り合いなんですか?」

私が尋ねると、一ノ瀬さんは少し笑った。


「昔、合宿で一緒だったんだことがあって。思ったことは言わないと気がすまない人だ。気にするな」


北条さんが小さく頷く。

「まったく、あの子ったら。大会期間中なのになにやってんのよ」


その口調には、怒りよりもどこか遠い響きが混ざっていた。

一拍置いて、北条さんは小さく笑う。


「悪気はないの。でもあの性格だからついていける人が少なくて」


一ノ瀬さんが小さく息を吐く。

「相変わらず……真っすぐだったな」


北条さんはわずかに視線を遠くへ投げた。

「ただの不器用なだけ。昔からホント変わらない。何事も一生懸命……別に嫌いじゃないんだけどね」


「あの子は小暮梨花こぐれりんか。――次の試合、私の対戦相手よ。」


少し間を置き、北条さんが微笑んだ。

「そういえば自己紹介が遅れたわね。私は北条由佳。北条テニスアカデミー所属よ。よろしくね、白石結晶さん。」


---


少し強い風が通り抜け、白い砂が小さく舞う。

私は無意識にラケットを握り直した。


> 「見てられなかったのよ」




その声が、まだ耳の奥に残っていた。

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