休憩中②
18番コートの周囲は、なおも観客の熱気に包まれていた。
北条さんの鋭い片手バックハンドが放たれると、観客からどよめきと拍手が重なる。
そんな中、俺と白石さんは少し離れた位置で静かに言葉を交わしていた。
「私、1年前まで軟式をしてたんです軟式はバックハンドを片手で打つのが基本なので……私にとっては片手の方が自然だったんです」
白石さんは控えめにそう切り出した。
「
少し驚いたものの、先ほどの白石さんの試合を思い出すと納得できた。
ボールの真後ろからラケットで叩くようなストローク。スピンの回転量が少なく、相手コートにほぼ真っすな弾道で飛んでいく。確かにソフトテニス経験者の打ち方だ。
「なるほど……でも、最初は違和感をすごく感じなかった? ソフトテニスと同じように打つのは難しいはずだけど……」
ソフトテニスから移ってきた人ほど、違和感は大きいという話をよく聴く。
俺のクラブにもソフトテニス経験者は多くて最初は片手でトライするけど、すぐに察して両手でバックを打つようになる。
なかには「片手はかっこいい」「フェデラーを目指す!」と頑張る人もいるが、やはり習得は難しいためかしばらくすると両手の練習を始める。
それは珍しいことではなく、一種の“様式美”のようになっている。
俺は横目で白石さんを見た。
(白石さんも……片手が“かっこいいから”なのかな?)
白石さんは少し間を置いて、言葉を続けた。
「もちろん軟式とのギャップはありました。ボールもネットにかかったり、相手コートに収まらなくてアウトしたり…」
「やっぱり白石さんも苦戦したんだね」
「はい。でも…テニスクラブの先輩が言ってくださったんです。『白石さんは両手より片手のほうが似合う』って。だから両手じゃなくて片手のほうがいいって」
「……まぁ、なんとなく分かる気もするな」
俺は曖昧に頷くしかなかった。
「それに、『ソフトテニスが片手だったんだから、硬式でも片手の方がいいよ』って勧めてくださって……」
「ん?」
「両手で打っていたら、『白石さんには似合わないからやめたほうがいいよ』ってわざわざ注意してくださって。だから私は……片手で続けることにしたんです」
そう言って白石さんは、どこか嬉しそうに微笑んだ。
まるでその言葉を純粋な善意と信じて疑っていないようだけど…
(……いや、それって本当に善意なのか?)
胸の奥がざわつく。
普通なら「両手に変えたほうがいい」とアドバイスするはずだ。もちろん意思は尊重するが、それを第三者が勝手に“似合うか似合わないか”で選定するなんて――まるで、本人の意思を置き去りにしている気がした。
そんな考えを振り払うように、俺は少し話題を変えることにする。
「……それで、片手を」
「はい。でも……1年も経ったのに、北条さんみたいに全然うまくならないですね。やっぱり私、才能がないのでしょうか?」
彼女は笑っているけど、明らかに自嘲している。
「それは違うよ、白石さん。むしろ逆だ」
「……逆?」
「たった1年でここまで片手を形にできてる時点で、すごいことなんだ。普通なら挫折して両手に変えている。続けてる時点で、もう才能だよ」
白石さんは驚いたように目を瞬かせ、ほんの少し間を置いてから小さな声で答えた。
「……あ、ありがとうございます。お世辞でも嬉しいです」
「いや、お世辞なんかじゃない。本気で言ってる。事情はどうあれ…良く貫いてきたと思う。凄いよ白石さんは」
白石さんはわずかに頬を赤らめ、視線を落とした。
俺はその反応に気恥ずかしさを覚え、慌てて視線をコートに戻す。
北条さんの片手バックハンドが再び鮮やかな軌道を描き、観客の歓声がひときわ大きく響いた。
俺はその音を聞きながら、改めて白石さんのフォームを思い返していた。
硬式テニスから始めても片手の習得は難しい。だからこそ、両手から始めるのが当たり前なくらいだ。
それなのに白石さんは、たった1年でここまで形にしている。軟式で片手経験があるとはいえ……それにしても――。
(……白石さんのいる
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