休憩中①

受付を終えて会場の通路を並んで歩く。

人の流れとざわめきが絶えず続いているのに、2人の間には気まずい沈黙が広がっていた。


「……い、いちのせさん……」

「ん? 何か言った?」

白石さんの声が小さくて聞き取れない。

一ノ瀬が耳を傾けた瞬間、小さな声が届いた。


「いちのせさん、く、苦しいです…」


はっとして気づく。

自分の右手はまだ彼女の口を塞いだままだった。緊急事態だったとはいえ異性にそんなことをするのは大問題だ。

しかも白石さんとは数時間前に知り合ったばかり。あまりにも距離感を詰めすぎている。


しかも後ろから抱きかかえるような体勢になっていて左腕には柔らかな感触――って


(……う、うわぁぁぁっ!まずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずい!な、な、なにしてんだ俺!!)


頭が真っ白になり、背中に冷や汗が噴き出す。

慌てて飛び退いたその姿は、第三者から見れば抱擁を解いた恋人同士にしか見えなかった。


「きゃー!見た?」「完全にカップルだって!」

通りすがりの女子たちが黄色い声を上げる。

隣にいた堅物そうなメガネの男性は「まったく最近の若者は……」と言いたげに渋い顔でこちらを睨んでいた。


「ごめん、白石さん。ち、違うんだ!本当に事故で!」

一ノ瀬は両手を振って必死に弁明するが、顔が真っ赤では説得力など皆無だった。

(そういえば、初めて会った時もこんな感じなことが。不可抗力とはいえ慌てていた白石さんが急いで着替えようとして…ピンク色の布――って思い出すんじゃねぇ、俺!)


一ノ瀬は自分の顔を壁に打ち付けて自省している中、白石は胸元をそっと押さえ、俯いたまま小さく首を振った。

「……き、気にしないでください。一ノ瀬さんは悪くありませんから」


その控えめな言葉に一瞬救われた気がしたけど

(いや、今のは俺のせい以外の何でもないだろ!)

と心の中で頭を抱える。


2人は互いに視線を合わせられないまま歩き続けると、前方から歓声が響いてきた。


18番コートの周囲に観客が人だかりを作っている。

熱を帯びた拍手とどよめきが重なり、自然と複数の列が形成されていた。


「……賑やかですね」

白石が小さく呟く。


「今の時間……確か北条さんの試合だ」

「…北条さん?」

「知らないのか…今大会の第2シードだよ。少し観に行ってみない?」

「は、はい」

一ノ瀬はコートをのぞき込み、すぐに頷いた。


視線の先。

長身の選手が軽やかにベースラインを移動し、ラケットを振り抜く。

――パシィンッ

鋭く振り抜かれた片手バックハンド。ボールは一直線に相手コートに向かう。

――キュッ

ボールにスピンがかかり、相手コートのベースライン付近に収まった。


「……鋭いですね。あんなに思い切り振り切ってるのに、ミスをする感じが全然しないです」

白石は息を呑むように言った。


「あの人が北条由佳、今大会の第2シード。見ての通り白石さんと同じ、もう一人の片手バックハンドの女子選手だよ」

一ノ瀬も目を細める。


「そんな…私と北条さんとは比べものになりません。月とすっぽんです……いえ、すっぽんに失礼かもしれません…」


一ノ瀬は心の中で息をついた。

(確かに北条に比べれば弱点は多い。安定感も、振り切りも足りない。まだまだ未完成だ。

でも……卑下するほどじゃないのに…振り切る勇気さえ出れば、あと少しで形になるはずなんだけど)


「…そういえば、白石さん」

「はい」

「白石さんはどうしてバックハンドは片手なの?」


白石はわずかに目を瞬かせ、コートに視線を戻した。

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