僕らは文芸部員だった

葛葉理一

桜の木の下にて

「桜が恋しい」


 上手く反応できなかったのは、その単語ゆえか、それとも君の奇行にまだ慣れていないからか。十一月最後の日、君は確かにそう言って僕の目を覗き込んだ。

「もうすぐだね」待ち遠しいな、と呟く君に、うん、そうだねと咄嗟に返した。

 いたずらを思い付いた子供のような顔を向けてから活動に戻った君を見てつくづく思い知った。

 

 僕は君という人間をこれっぽっちも理解していなかった。

 やっぱり君は、





 ――――――




 

 転ばぬよう、必死に足を動かす。

 手を引っ張ってくれるのは有難いけれど、貧弱な僕の足はもう笑いだしてしまった。

 そんなことはお構いなしに君は駆ける。色づく小枝の間を、踊るように、滑るように。

 ついさっき、うっとうしい、とばかりにほどかれた髪は青白い空気に揺れる。

 その嫋やかな色彩に目を奪われたが、肺に走った鈍い痛みが僕を現実に引き戻した。

 

 手を握って訴えるとぴたりと止まった君に尋ねる。

「な、んで、ここ、?」遠慮がちにぽう、と咲き始めた桜が見下ろす川沿いの小道。まだ一分も咲いておらず、人影もまばらな昼下がり。部室に入った途端手を引かれ、あれよあれよという間に連れてこられた場所にしては場違いな気がした。

「ほら、この前話したでしょ」肩で息をする僕にこの前を考える余裕はなかった。

「部活のときに。もうすぐだねって話したよ」もうすぐだね? 言われてみればそんな会話したような。

 待てよ、あれは去年じゃないか。この前なのか。

 息が落ち着くにつれ働き出した脳がそんな声を上げた。


 

 急に君が踊り出した。

 比喩ではなく、本当に。

 腕を伸ばし、名前の知らないステップを踏みながら。鼻歌を歌い、桜を掴むような仕草をして。

 人が少ないとはいえゼロではない。他人のふりをしようと思ったその時、君は僕の手を掴んだ。


 え。


 あはは、と笑いながらくるくる回る君に啞然としたが、その感情を掻き消し頭を支配するものがあった。


 怖い。

 周りの人の視線がねっとりと絡みつく。

 どろどろの粘着質なそれらは空気を蝕んでいき、酸素の代わりに体内に侵入して自由を奪う。クツクツと喉の奥から響くような嘲笑が両耳に突き刺さる。先ほどまで充満していた三月の青白い香りは消え失せ、ただ鼻先がツンと凍ったようだ。口の中がカラカラで砂のような鉄のような重たい味が拡がる。


 今すぐに逃げたい。しかし手を振りほどくわけにもいかない。



 葛藤していると、ふと疑問が浮かんだ。

 なんで君は平気なんだ。

 ちらりと見遣った君の顔は、笑っていた。

 君は花びらだけ見つめていた。桜だけ追いかけていた。

 口元に柔らかな笑みを浮かべ、嬉しくて仕方がないと言わんばかりに弾むように歩く。

 なにがそんなに。なんでそんなに。


「ねえ」


 どうしても気になった。んー、とご機嫌に返事をした君の目を見る。

「なんでそんなに楽しそうなの。他人の目が気にならないの」

 手を繋いで向かい合っている僕らは好奇の目に晒されているというのに。

「気にする必要なんてないでしょ。犯罪者じゃあるまいし」

 そうじゃない。いや、僕が間違っていた。一年経った今でもまだ君の奇行に慣れない。

 取り敢えず手を放してほしい、と伝えると残念そうに聞いてくれた。


「君が変人なのは知ってるけど、今日はどうしたの」

「桜が咲いたって聞いたから」

 決まっているでしょう、とばかりに断言した君。余程楽しみだったらしい。

「じゃあわざわざ僕を待っていたのはなんで」待つ分だけ遅くなるのだから、別に君一人でも良かったじゃないか。

「なんでってこれは我々、文芸部の遠征だからだよ」

「えんせい?」また突飛なことを。

「うん。運動部は遠征で他校と試合して強くなる。でも文化部にも、文芸部にもその方法はあるよね。私達の創作というアウトプットの活動はインプットの上に成り立つものなんだから。だったら良質なものをインプットするために遠出すれば遠征だよねって話だよ」言っていることは意外と的を射ている、のかもしれない。

「花見って良質なインプットなの?」随分とありきたりな気がするのは僕だけか。

「なんてことを言うのだね、四季は日本文化の根幹でしょ。良質だとも。だから肌で感じようってことだよ」言われてみればそうかもしれない。



「でもやっぱり一人でも良かったんじゃないの。僕を呼ぶ理由にはならないよね」

「迷惑だった?」

「迷惑というより困惑だよ。桜が特段好きってわけじゃないし」満開でもないこの時期に来る人なんて稀だろうに。君を普通の人なんて思ってはいないけどさ。

「去年は見に行けなかったの。だから今年は咲いたって耳にしたら一番に行こうって決めていた。君を連れ出したのはただ話したかっただけだよ」部活であれだけ、一緒に話しているのに?

 だって、と続ける。

「桜の話を持ち出すとあからさまに口数が少なくなったじゃない。ずっと苗字で呼んでいたから知らなかったけど名前のせいで嫌いなの? ――朔良くん」



 久しぶりに名前で呼ばれたな。

「嫌いってわけじゃないけど。まあ名前で嫌な思いしたことはあるけどね。話題を避けてたつもりもなかったし」

 なぜか、君に呼ばれるのは居心地の悪さを感じない。桜と区別してくれるからかな。くん付けとか、単純な意味での区別じゃなくて、もっと根源的な。言葉の裏に佇む君の感情、心が。


「じゃあいいや。文芸部、桜の樹の下にて遠征活動を始めます。今日のお題は桜について。死体は埋まっていないだろうけど、創作談義の続きをしよう」いつも通り急だな。

「どこぞの青春小説だよ……」

「私達の作風はどちらかと言えば純文学でしょ。高校生だから青春小説、は安直じゃない?」

 こんなところで思い出作りのような創作談義をする時点で青春小説っぽいんだけどね。

 でも思い出なんて安っぽい言い方をしない君が、出会った時から変わっていなくて安心する。

 



 分かり切ったことだけどさ。

 やっぱり君は無茶苦茶だ。理論的なことを言ったかと思えばどこぞの小説の主人公のような、気障っぽい台詞を吐いたりする。

 天衣無縫を体現する君に振り回される一年だったけど。

 部員が君でよかったよ。






 

 ――コン、コーン コン、ココン、コーン


 次に会うときには一年生ではなくなる今日の帰り道、君のローファーがリズムを刻む。

 軽やかなそれは、菜の花のつぼみと花びらが流れる水の音を伴って春の気配となり、風がどこかに運んでいった。

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2025年12月25日 00:00

僕らは文芸部員だった 葛葉理一 @Mahoro_write

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