第25話風邪と歯磨き

 ピピピピ、ピピピピ……


「……ん…ふ……ぅ……」


 鳴り響く電子音が俺の意識を引きずり出してくる。ズキズキと頭が縛り付けられるような痛みが走る。確か今日は朝から雨だったよな……死んでくれ低気圧。


 スマホを手に取り、うまく開かない目を擦りながらアラームを止める。

 なんだか体がだるい。時刻は7時30分。いつもなら起きている時間帯だ。もうすぐで次のアラームが鳴り出すはず。


 この場合は焦って起きるのが正解なのだろうけど、起きるどころか焦る気にもならない。頭がふわふわして、ちょっとだけ呼吸が苦しい。

 まさかと思ってずるずるとベッドを抜け出し、体温計を取り出す。脇に挟んで少し待っていると、電子音が鳴った。


「うーわ……」


 表示された体温は38.2℃。これは完全に風邪だ。

 心当たりはある。昨日の帰り道、強がって如月にブレザーを貸したまま帰ったせいで体が冷えてしまったのだろう。


 昨日は正夢を回避して完全に調子に乗っていた。この調子だと、学園に行くのは無理だろう。……天音に連絡しておくか。


 俺は火照る脳を必死に動かして天音にメッセージを送る。一通りの連絡を終えたところで力尽き、俺はベッドに再び沈んだ。


▼▽

≪如月side≫


「……ねぇ、あれって」

「如月さん……なんで男子用のブレザー着てるんだ?」

(ふふっ……これが優越感……!)


 自慢げに笑う如月がなぜ視線を集めているかというと、彼女が纏うブレザーが男子用のモノだったからだ。

 昨日の帰り道に日向から借り、家に戻ってから洗濯を終えて纏って来た如月は自分は彼のモノなのだという顕示欲を満たして満足していた。


(衣替え前で助かったわ……洗濯はしたけど、日向くんの匂いは残ってる……あぁ、たまらないわね……もう今すぐ舐め回したい……というか、食べたい)

「……うーわ、なにしてんすか如月先輩」


 如月が両腕に沈めていた顔を上げると、ドン引きした様子の天音が立っていた。


「あら、おはよう天音さん」

「なに平然と挨拶してんすか。人の義兄の制服の匂いスーハーしないでくださいよ。……先輩、風邪引いたらしいです」

「えっ」

「如月先輩には伝えておけと。……伝えましたから」


 気づけばいつもなら日向が来る時間。如月はブレザーにかまけて肝心の本人の事を失念していた自分を恥じた。


「天音さん、日向くんって……」

「……あ~、これは独り言なんですけど、先輩はとあるところに一人暮らししてるんですよねぇ。私に聞いたところで答えないですけど、先生に聞けばどこに住んでるかぐらいは分かるんじゃないですかねぇ」


 天音はそう言い残して教室を去っていく。如月が行動に移すまでは数秒とかからなかった。


▼▽

≪日向side≫


『お前のせいで……!』


 懐かしい記憶だ。

 ネットを挟んでボールを落とさないように戦う、シンプルでそれだけにミスは命取りなゲームの中に俺はいた。


 そんな目で見ないでくれ。俺だってこんなことをしたかったわけじゃない、なんて。

 結局のところ、自分が何をしたかったかなんて分からない。分かっても、よくない気がする。


 あの時跳んでいたら、俺は何か変われていたのだろうか。


 あいつに一つ、返せたのだろうか。


▼▽


「ぅ……」


 喉の渇きで目が覚めた。ふらふらとした足取りでリビングまで出てコップに水を灌ぐ。

 ぐっと一飲みすると、喉にイガイガとした痛みが走った。まだ体は熱っぽい。

 時刻は11時。朝よりは熱が下がっているが、まだ元気とは言えないだろう。


「薬は……やべ、切らしてた」


ピンポーン


 こんな時に限って来客が来る。俺はふらふらとした足取りでモニターを確認する。


「……えっ」


 俺はモニターの前で硬直する。

 予想外の来客に俺は動揺しながらも玄関へと向かう。少しの躊躇も熱に浮かされ、俺は扉を開いた。


▼▽

≪如月side≫


「来ちゃった」

「……なんで俺のブレザー着てるんだよ」


 いつもより気だるげな日向くんは一目見ただけでその調子の悪さが分かる。いつもより低い声にどこかドキドキしてしまっている自分がいた。


「……ていうか、どうやってここまで来た?」

「先生に住所聞いて早退してきたの。さぁ、具合悪いんだからベッドに戻って」


 日向くんの大きな背中を押してベッドに押し込む。普段ならもう少し抵抗を見せるところだろうけど、今回ばかりはかなり調子が悪いことが伺える。

 体温を計ってみると、37.3℃。完全に風邪だ。


「ゼリーとかポカリとか買って来たけど、なにか欲しいのある?そうだ、薬は……?」


 レジ袋から風邪薬を取り出したところで、私の視線の先には薬の入っていたであろう紙袋。


「薬はさっき飲んだから大丈夫だ……タオル、取ってきてもらえるか?」

「汗なら、私の制服で……」

「取ってきて」


 日向くんに促されて、洗面所からタオルを取ってくる。……ほんとはこのタオルもスーハーしたいところだけど、我慢我慢。


「取ってきたわよ。さ、脱いで」

「……えー」

「上半身ぐらいはやらせて頂戴。そうじゃないと、来た意味がないわ」


 そう言うと、日向くんは渋々服を脱ぎ始めた。

 日向くんの程よく筋肉のついた引き締まった体が露わになる。汗が伝う肌は、私の欲情を煽って理性を揺るがした。


「……舐めてもいい?」

「さっさとしないと自分で拭くぞ……」


 日向くんの体にタオルをあてがって汗を拭きとっていく。

 以前に空き教室で触ったときも感じたことだが、いい体つきだ。程よくついた筋肉はどこか扇情的で、今にも手が出てしまいそうだ。細いように見えてちょっと逞しい、私が理想とする体……


「……いい体……♡」

「そりゃどうも。……如月」

「何?」

「下のほうは、自分でやる」

「そんな、遠慮しなくても……あっ」


 私が下半身に手を伸ばした隙にタオルを奪われてしまった。……あわよくば触りたかったのに。


「そうだ、お腹空いてない?よかったらおかゆか何か作るわ」

「そういえば朝からなにも食べてないな……お願いするよ」


 許可を得てからキッチンを借りてぱぱっとおかゆを作る。自炊しててよかった。

 部屋に戻ってさりげなくタオルを回収し、熱くないように冷ましてから日向くんに差し出す。


「はい、あ~ん」

「……如月、自分で食べられるよ」

「あ~ん」


 根負けしたのは日向くんの方だった。やっぱり今日は体調が悪いらしい。

 

「おいしい?」

「うん。んまい。もう一口くれ」


 餌付けのような形を何度か繰り返して、日向くんはおかゆを完食した。

 普段の健康な日向くんと比べて、今の彼はちょっとだけ覇気がなくて、可愛い。

 私だけに見せてくれる、弱った姿。浅ましい独占欲がここでも顔を見せてくる。


「ご馳走様」

「お粗末様でした。片付けはやっておくから、あとはゆっくりしてて。それじゃ____」

「如月」


 部屋を去ろうとしたところで、日向くんが私の事を呼び止めた。

 なにや言いずらそうに口元を歪ませながら、日向くんはぼそっと呟いた。


「……手、握っててくれないか?」




「……えっ」





 ……はぁ?





 ……は?は?どういうこと?手繋いでほしいって、そんな熱があるからって急に可愛い事言わないでよ。

 何?欲しいの?襲ってほしいの?私にもう体を許したってこと?

 手を握るって、もう肌と肌が触れ合ってるんだからもうそれはキスよね?なんならディープな方よね?子供デキちゃうんだけど???コウノトリさんが赤ちゃん運んできちゃうんですけど???

 準備できたの?もう私と結婚したいってこと?子供作りたいってこと?何?結婚する?するのか???


「……嫌だったら構わないんだけど」

「喜んでやります」


 日向くんが伸ばした手をそっと握る。気恥ずかしそうに顔を赤らめる日向くんの顔を見ると、もう握っているだけでは我慢できなさそうだった。


「悪いな。……こうしてもらえるとちょっとだけ安心できるんだ」

「……誰かにこうして貰ってたの?」

「小さい頃に、母さんにな。……小さい頃はよく体調を崩してて、母さんによく看病してもらってたんだ。だから今でも体調が崩れるとちょっとだけ怖くなる」

「優しい人なのね。……大丈夫よ。私がついてるから」


 日向くんの手を優しく握る。こうして見ると、体は逞しいのに中身はちょっとだけ幼くて可愛らしい。

 日向くんはすぐに眠った。安らかな表情で寝息を立てている。


「おやすみ、日向くん」


 額にキスを一つ落として、そっと部屋を出る。洗い物を終えて、ペットボトルなどのごみを捨てたところで一息つく。


「さてと……」


 ここからが本番だ。

 日向くんの染みついた匂いを堪能しながら、部屋にマーキングをしていく。

 リビングのソファに体をこすり付け、彼のマグカップの横に自分のマグカップを置き、タオルを数枚入れ替える。他の女が来ても追い払えるぐらい、自分の匂いをこの家に残す。


「あとは……あっ」


 視線の先には日向くんの歯ブラシ。洗面所に無防備に置かれている。……自宅だから当然か。


「……そういえば、まだ歯磨きしてなかったわね。そうよ。私時間かかる方だし」


 自分に言い聞かせるように謎の言い訳をかました後、10分間みっちり歯磨きしてから帰った。


▼▽

≪日向side≫


「……んぅ」


 目が覚めた。昼の息苦しさはどこかへと消え、体もどこか軽い。

 熱を測ってみると、36.5℃。朝に比べたら随分と熱が下がった。


「……如月のおかげだな」


 リビングに出ると、天音の姿があった。


「天音、来てたのか。……どうしたそんなところに突っ立って?」

「……さい」

「え?」

「……臭い臭い臭い!雌くさぁぁぁぁぁぁぁぁぁい!!!なんですかこの匂い!誰だこんなことした奴!!!」

「えぇ……?別に変な臭いはしないけど……」

「……今日、誰か来ましたか?」

「……如月が来たけど」

「あの雌ぅ……先輩、換気換気!こんなところ耐えられないです!!!」


 お怒りの様子の天音を喚起しながら、この日はゆっくり休んだ。

 後日、部屋に身に覚えのないものが増えてて困惑したのは別の話。

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