第24話闇と光

≪星海side≫


 星海は、許せなかった。


 自分を取り巻く不幸が。

 自分を襲う孤独と虚無が。

 自分が選択を間違えたという事実が。


 世界の不幸がすべて自分に向いているような気がして、心配する家族や友人の言葉すらも煩わしい。

 星海は既に自暴自棄になっていた。

 持ち前の運の良さと周りの助けがあって自分は生き残っていただけなのだと、吐きそうなまでに痛感している彼女の瞳に生気は無い。


 星海は自分が破滅を辿るだけだということを察していた。だからこそ、このままでは終われない。

 自分だけが不幸で終わっていいはずがない。星海に根付いた自己中な思考はこの期に及んで猛威を振るっていた。


 雨の中、裏路地に潜む。視線の先には、同じ傘の中で幸せそうに笑う二人。


(……許せない)


 膨れ上がる復讐心が、星海をついにここまで連れてきた。バッグの中にある彼女の手には、鋭利な凶器が握られている。

 関係の破滅の全ての原因はあの女だ。あの女さえいなければ。


「あれぇ?こんなところでなにしてるんですか?」


 薄暗い路地裏から二人の背後へ。一歩踏み出そうとした星海を引き留めたのは、幼い顔立ちの少女だった。


「……ぇ」


 星海は目を見開いた。

 ここに来てからこの路地に人間がいないことは確認済み。そういう人が立ち入らないような場所をわざわざ選んだのだ。

 それだというのに、気配すらも感じられなかった。近寄る足音も、匂いも、気配も。


 雨に潜んでいたのは星海だけではなかった。どこから湧いて出てきたのかも分からない不気味なその少女に、星海の心は震え始める。


「ん~?バッグに片手突っ込んでなにしてんのかって聞いてるんですよ?もしかして、傘忘れちゃいました?……ここまで来てそれはないか」

「っ、誰!?私になんの用!」


 天野川学園の制服を見て焦る星海。そんな心境を見透かすように天音は舌なめずりをする。

 

「別に、これと言った用はありませんよ?見かけたってだけで」

「なっ、ならさっさと……」

「貴方こそ、に何か用でも?」


 星海は不意に首が締め付けられるような閉塞感に襲われる。

 すべて見透かされている。バッグの中だけじゃない。自分の心も、目的も、この絶望すらも。

 本能的に悟ってしまった星海の足が恐怖で震え出す。天音はそれを見て愉快そうに嗤った。


「ふふ、どうしたんですか?幽霊でも見たような顔しちゃって」

「ぁ……ぅぇ……」

「これ、な~んだ?」


 星海の恐怖をさらに煽るように天音の手元からはマジックのようにぎらりと光る刃物が現れる。

 人を殺めるには十二分な殺傷力を持った、小型のナイフ。その刃先が星海に向けられ、星海はへたり込む。


 つかつかとローファーを鳴らしながら天音が近寄ってくる。そして星海の腹部に刃先をあてがった。

 荒くなっていく呼吸。

 ぼやけ始める視界。

 嫌な寒気が背筋を伝う。

 顔から血の気が引いていくのが星海自身でも分かる程だった。


「知ってますか?通り魔は胸部をよく刺していくんです。心臓とか肺とか、重要な臓器が集まっていて尚且つ刺しやすいからなんですって。じゃあ腹部ここはどうなんでしょう?」

「ひっ……ぃ、いや……いやだっ……!」

「へその辺りは重要な臓器がありながらも、無防備なんですって。胸部は肋骨があるけど、腹部は何もない。強いて言うなら脂肪と筋肉だけですかね?……正直、どっちでもいいと思いません?刺されたらどのみち死んじゃいそうだし」


 不気味な笑顔で天音は星海のへその周りをなぞる。今からここを刺すぞ、と言わんばかりに。

 逃げないと。頭では分かっていても、体が動かない。星海の意思の弱さではこの状況から抜け出すことなんて不可能だろう。

 

 星海の口元が恐怖に震える。彼女の中の恐怖が限界値に達したその時、堰を切ったように言葉が溢れ出てきた。


「っ、ごめんなさいごめんなさい!私何もしてない!これから一切日向くんに関わらないから、如月さんにも関わらないから!何もしないから許して!」

「大丈夫ですよ。すぐに意識がふわふわして痛みなんて感じなくなりますから」


 天音の表情は驚くほど穏やかだった。まるで星海の悲痛な叫びなんて聞こえていないかのようだった。


「は……うぇ……」


 天音はそっと片手で星海の視界を奪った。残された聴覚で恐怖を煽るように、カウントダウンが始まる。


「はい、3…2…1…」


 沈黙と雨音が星海の恐怖を煽る。もう逃げ場なんてない。恐怖の刃が彼女の腹部に突き刺さる_________





「ぐさーっ!!!」





 なんてことはなかった。

 星海の泣いているのか驚いているのか、絶望しているのか状況を理解できていないのか、複雑に入り混じった表情を見て天音はこみ上げる笑いを抑えきれなかった。


「あははっ!なんですかその顔!おもちゃですよおもちゃ!引っ込むやつ!ほら、もともと切れないし、刺さりもしませんよ」

「え……ぁ……ぅ……?」

「あはっ!はははっ!ふひひっ、はーっはっは……はぁーあ。分かります?刺されるって結構怖いんです。そんな恐怖を煽って苦しませながら殺すための武器なんですよ?自分が恐怖に振り回されてるようじゃねぇ……」


 苦言を呈した天音は嘲笑で星海を煽った。

 まだなにがなんだか理解ができていない様子の星海に、天音は諭すように話す。


「光と闇ってのは相容れないモノです。自分の感情に任せて襲おうったって、成功はしないんですよ」

「……な、なんで……」

「なんで?……そんなの、先輩が好きだからに決まってるじゃないですか。猿でも分かる質問しないでください」


 当然のように言ってのける天音を見て、星海は今までに感じたことのない不安と恐怖を感じた。

 それはきっと_________


「愛は狂気です。恋は自分の狂気がどれだけ他の女を上回るか……そういう争いです。貴方はその狂気に対する耐性も、抗う武器も持っていない。……二人に二度と近寄らないでください。今度近寄ったら本当に、ぐさっ。ですよ?」

「ぅ……うわあああああああああああああああああああああああっ!!」


 星海は振り返ることなく走り去っていく。一刻も早く、あの化け物から逃げなくては。その本能に従って必死に足を動かす。

 脱兎のごときその背中を見て、天音はほっと息をつく。数日監視を続けていた甲斐あって、彼女を止めることができた達成感から出たものだっただろう。


(あの至近距離でナイフ出されたらどうしようかと思ったけど……そこまでの狂気は無かったな)


 天音は駅前にいた日向と如月の姿がいなくなっていることを確認し、ぐっと一つ伸びをした。

 

「はぁ〜あ、疲れた……面倒なこと起こすなっつーの」


 天音は懐かしき記憶を掘り起こす。

 

 天音はかつて父親に包丁と言う名の凶器を向けたことがあった。


 天音の実の父は絵にかいたようなクズであり、家庭を軽んじる性格だった。

 休日は外を出歩いてギャンブルに浸り、家に戻れば母へストレスをぶつける。母で一通り鬱憤を晴らした後は、それを天音にぶつける。

 そんな性格になってしまったのは、会社での事業がうまくいかなくなってからの事だった。

 

 ある日嫌気が刺した天音は凶器を手にした。

 刺し殺して逃げよう。自分が捕まっても、母さんだけでも逃がしてあげたい。そのためなら父親すらも殺す覚悟だった。


 しかし、天音が父親を殺すことはなかった。殺せなかったのだ。

 震える手で放った一撃は頬を掠めただけで、殺すまでには至らなかったのだ。恐怖が決意を歪め、心に残ったのは後悔のみ。


 天音を支配していたのは恐怖。殺人への恐怖だ。

 それは決して一時の感情で乗り切れるようなものではない。異常なまでの殺人への執着と常軌を逸した覚悟が無ければ扱えるものではないのだ。


 今でも手に残る、冷たく固い柄の感触。凶器は自らも傷つけてしまうことを、天音は知っている。

 

 こうして玩具のナイフを握っている手も、微かな恐怖に震えていた。彼女を支えるのは蓮人への愛ただ一つ。


 天音は凶器の扱いを知っている。だからこそ天音は星海を止められたのだ。


「さぁ~てと、あとは通報でもしときますかね……こういうのはお巡りさんに任せるのが一番ですからね~」


 愛は狂気であり、心を揺るがす凶器。

 天音は日向のためならなんだってする。覚悟は既にできていたのだ。

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